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傲岸不遜 許せない一般紙記者の取材態度

 

「週刊朝日」記事に激怒 「これはいわば言論によるテロだ」安倍首相

 安倍晋三首相が激怒したという。「週刊朝日」が 5/4 ・11合併増大号で、長崎市長射殺事件と安倍首相や元秘書とが「関係」があるような記事や広告が掲載されたことに対してだ。安倍首相は「これはいわば言論によるテロではないかと思います」と語ったそうだ。

 記者は早速、その記事を読んでみた。安倍首相が怒るのも当然だ。記事を読んだ限りでは、「関係」があるとは全く思えない内容だった。いくら売るためとはいえ、このような記事と広告を掲載するなんて「朝日新聞」のやることではない。羊頭狗肉≠ニはこういうことを言うのだろう。朝日新聞社は 25 日付でお詫び記事を掲載したが、後の祭りだ。

会見に自ら遅れ「もう一度説明して欲しい」

 安倍首相が激怒したその日、記者も、信じられない横柄な同業記者(以下A記者)に出会った。プロパストの「霞ヶ浦プロジェクト」発表会の席上だった。

 定刻どおり10時30分から会見は現地で始まった。同社役員の説明があり、質疑応答に移ったとき、ある一般紙のA記者が質問した。記者によくあるラフな格好で、無精ひげが生えていた。最初からけんか腰で、質問をする態度ではなかった。記者はかつての団交≠思い出した。いわゆる吊るし上げだ。傲岸不遜そのものだった。

 あ然としたのは、「会見に遅れてきたから、もう一度説明して欲しい」とA記者が語ったことだった。会見に遅れてきながら、もう一度説明させる図太い神経に言葉を失った。「止さないか」とそのA記者に言おうかと思ったが、せっかくの会見を台なしにすると判断したので自重した。会見の大半は、A記者とプロパストのやり取りとなった。

 A記者が怒ったのは、プロジェクトの概要がいま一つはっきりしなかったからだろうが、あまりにも常識を欠ける態度に無性に腹が立った。

自戒しなければならない取材のためなら手段を選ばず

 なぜ、このようなことを私が書くのか。それは、A記者の取材態度は今回に限ったことでなく、どの場でもA記者はそのような取材手法を取っていると思ったからだ。さらに言えば、そのような取材手法を許す雰囲気がその新聞社にもあると思われるからだ。そして、われわれ記者にも取材のためなら手段を選ばず≠ニいうようなところがあるからだ。

 つまり人のふり見て我がふり直せ≠ニいうことを言いたかったからだ。私がその新聞社の編集長だったら、もう一度社会人としての教育を施す。それからでないと取材現場には出さない。A記者の年齢はとうに30歳を超えていると思われたので、もう手遅れかもしれないが…。

記事はラブレター$Sを込めるから読者に感動してもらえる

 記者は記事はラブレター≠セと思っている。恋文に心を込めるから恋人を感動させる。記事も同じだ。お客様(読者)に感動してもらう記事を書くためには、自らの人格を高めなければならない。いくら美辞麗句を弄しても、さもしい心の持ち主では、いい記事は書けない。

 朝日新聞があのような記事・広告を掲載し、A記者のような態度が許されるわがマスコミの将来は暗い。

 

(牧田 司記者 4月26日)

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