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複合≠ナつなぐ地域の暮らしと福祉

「もう一つの住まい方推進協議会(AHLA)」フォーラム


「第6回もうひとつの住まい方推進フォーラム 2010 複合≠ナつなぐ地域の暮らしと福祉」(東洋大白山キャンパスで)


小林教授

 先週金曜日は、隠れた顧客のニーズを掘り起こした感動的なマンション、野村不動産・三井不動産レジデンシャル「中野ツインマークタワー」を紹介した。昨日 (11月28日) は、また違った意味で感動的な催しを取材することができた。「もう一つの住まい方推進協議会(Alternative Housing & Living Association)」が主催した「第6回もうひとつの住まい方推進フォーラム 2010 複合≠ナつなぐ地域の暮らしと福祉」だ。

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 フォーラムの冒頭、AHLAの代表幹事を務める千葉大教授の小林秀樹氏は「福祉施設はデイサービス、老人ホーム、短期入所施設など目的や機能が細分化されており、私たちの暮らしの実態にそぐわなくなっている。一方、 NPO などの組織が発達し、住宅と施設という硬直的な建築区分の見直しを求める声が高まっている」と述べ、「『縦割り制度』を見直し、私たちの暮らしの実態に近づけようとする複合・混合・連携・協働・総合・合築・中間などの言葉で表現される試みを『複合』という言葉に代表させて『複合の可能性を追及しよう』」と語った。

 さらに、「複合」の魅力を追求していく上では、「利用者の視点」「担い手の視点」「建築計画の視点」が重要とし、「複合」の手法を駆使すれば「縦割り制度」を打破することが可能と述べた。様々な施設と住宅を融合した新しい概念の「特定住居」の提案も行った。


左から小林教授、社会福祉法人生活クラブ理事長・池田徹さん、井上さん

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 フォーラムでは、「複合」の手法を用いて成功した複合拠点、グループホーム、シェアハウスなどの事例がたくさん紹介された。ここでは、一つひとつ紹介しきれないが、いくつかの取り組みを紹介しよう。

 (1)  SAN せたがや地域共生ネットワーク〈宮坂・経堂・赤堤〉

 2008年11月に始まった活動で、「地域にひらく場をつくる」ことを目的に公益信託世田谷まちづくりファンドの助成を受け、様々な活動を展開している。例えば私道所有者の道を利用した「道をひらく」、個人の庭を開放する「庭をひらく」、個人の家を公開する「家をひらく」、障害者の「事業をひらく」活動などだ。

 この活動を主導する特定非営利活動法人・せたがやオルタナティブハウジングサポート代表幹事の井上文さんは面白いことを語った。「私たちの活動は行政の細分化された事業・助成を頼りに活動しているが、活動を広げようとすると規制の壁にもぶち当たる。この壁を突破したい」と。

 「世田谷」は、東京 23 区の中でももっとも住みたい街のトップクラスにあげられる。こうした市民の自発的な活動による「街づくり」が街の価値を高めていることを痛感した。井上さんの本業は建築士だが、本業が疎かにならないのか心配になった。

 (2) NPO法人ぱれっと

 障害者と健常者のシェアハウス、交流の場、障害者が就労するレストランとお菓子の製造販売を都心のど真ん中「恵比寿」に建設・事業展開している。

 今年4月に完成した障害者と健常者のシェアハウス「ぱれっとの家 いこっと」は一部のマスコミも報じたのでご存知の方も多いかもしれないが、ぱれっとの理事長を務める谷口奈保子さん(67)の話には胸を打たれた。

 普通の主婦だった谷口さんがこのような障害者の施設をつくろうと思ったきっかけは「なぜ、どうして」だった。障害者が差別される社会に対する怒りだった。28年前に始めた障害者が作ったクッキーの製造販売は年間2,300万円の売上げがあり、いまではブランドになっているそうだ。「恵を施してもらうのでなく、堂々と誇りを持って恵比寿のど真ん中で勝負した」とも語った。

 「いこっと」についてもグサリと胸に突き刺さることを語った。入居後半年が経過し、「疲れた」と言う言葉が障害者ではなく健常者から聞かれるのだという。つまり障害者がきちんと共同生活ができるのに健常者ができないというのだ。谷口さんは「健常者の家庭の問題。生活のルールを守ること、あいさつをすることなどができていない証拠。これは社会の問題かもしれない」と。

 (3)  NPO法人みんなの家

 重度知的障害者の親たちが共同で障害者グループホームが入居するコーポラティブハウスを建設し運営している。

 NPO法人みんなの家の事務局長を務める中村真知子さんが、今から10年前、このコーポラティブハウスを建設しようと思い立ったきっかけについて語った。それは「重度の障害を抱える息子と家族がたくさん抱えていた個人的な問題の解決策」だった。当時、中村さんは@息子の養育の問題A遠距離介護が必要になった親B単身赴任の夫と長男、自分の家族関係――という三重苦を抱えていた「普通」の主婦だった。

 それから6年。様々な援助と支援を受けながら敷地面積168u、5階建て7戸の住宅とグループホーム、NPO法人が入居するマンション・施設が横浜市営地下鉄センター北駅前に完成した。中村さん自身もホームヘルパーの資格を取得し、入居するマンション内のグループホームとの良好な関係も保ち続けている。

 中村さんは、「最初の個の取り組みが相互扶助、高齢者と障害者の同居、さらには全てのこころある人のつながりへと広がっていった。足し算が掛け算、ねずみ算式に広がっていった。サービスの受け手でもあり送り手でもある輪の中にいるとほっとする」と語った。

 (4)  南医療生協の地域だんらんまちづくり

 愛知県星崎・名南・東海市を拠点に医療・介護事業を展開。土地も建物も設計図も金も職員も利用者はもちろん地域住民を巻き込んだ取り組みに特徴があり、新しいビジネスとして保育園、フィットネスクラブ、レストラン、コンビニ、パン屋、喫茶なども展開。

 「生協ゆうゆう村きままてんぐ苑 苑長」という面白い肩書きを持つ首藤秀一氏(52)が活動を報告するうちに、180余名が参加していた会場は水を打ったように静まり返った。信じられないことを次々話し出したからだ。

 記者は「医療生協」が普通の医療機関とどう違うのか分からないが、「南医療生協」の取り組みはまさに地域の活性化だった。

 機関誌の配布ルートは2,320カ所あるが、全て手配りだという。新しい病院の内覧会・オープン祭りには1万5,000人を集めた。グループホームの開設では、地域の組合員が自転車隊を作って築60年の古い建物をほとんど無償で借り受けた。

 グループホームや多世代共生住宅などの複合施設「生協のんびり村」の開設や、「新南生協病院」の建設にまつわる取り組みは想像を絶するものだ。「のんびり村」の敷地約1,000坪はほとなどただ同然で借り受けた。生協加入や出資金の増額依頼のため、毎週地域の組合員と職員が「夕焼け訪問」を行い、「ブロックそうめんまつり」には1日で約1,000万円の出資金を集めた。2006年8月〜2010年4月まで毎月の千人会議は45回開催、延べ参加者は5380人に上った。それまでまつりごとでは2,000人集めるのが限度たったのに、その10倍の約2万人をオープンセレモニーに集めた。

 首藤氏は「事業を成功させるには組合員の自立が一番重要。町内会、学校、スーパー、派出所などあらゆるところに働きかければ、行政の規制の壁は突き抜けられる」と語った。

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 フォーラムでは、古民家を借上げ高齢者のデイサービスや子どもの寺子屋などを運営して地域との連携を図っている「山田屋『和のいえ 櫻井』」、東京都日野市のNPO法人やまぼうしの活動なども報告されたが、あまりにも長くなるのでこの当たりでとどめる。また機会をつくって紹介したい。


左からNPOシニアネットワークさがみ野理事長・古居みつ子さん、価値総合研究所常務理事・村林正次氏、NPOほっとコミュニティえどがわ理事・露木尚文氏、中村さん、山田屋社長・山田哲矢氏

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 さらに長くなるが、AHLAとはどのような組織なのか紹介しよう。同協議会のホームページによれば、AHLAは「相互扶助、個人交流、相互ケア、自主管理、運営参加などを取り入れることによって、人々が自分らしく安心して住み続けられる多様な住まいと暮らしの実現を目指し、そのハード・ソフトを開発し普及することを目的」として設立された。

 「もうひとつの住まい方」とは、住まい方の多様化、個別化が進んでいる一方で、普通の分譲住宅や賃貸住宅だけではそれに応えられないという現状認識に基づき、「入居者主体の住まいづくり(コーポラティブハウスなど)」や「多世代の共同生活型住まい(コレクティブハウスなど)」「高齢者の共生生活型住まい(グループリビングなど)」など新しい住まいや暮らしの総称として採用された言葉(Alternative Housing & Living =略称 AHL)として採用し、その「もうひとつの住まい方」の普及と推進をはかるためこれまで先駆的に取り組んできた団体や協力する個人が集まってつくられた組織だ。

 代表幹事を務めるのは千葉大学大学院工学研究科 建築・都市科学専攻教授の小林秀樹氏。


左からNPO楽理事長・東洋大准教授・柴田範子さん、価値総合研究所常務理事・村林正次氏、谷口さん、NPOやまぽうし理事長・伊藤勲氏、首藤氏

(牧田 司 記者 2010年11月29日)