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急成長する中古マンション再生業(2)
文字通り蘇った中古マンションの買取専業
アークフェニックス(10月8日)

 

 中古マンションの買取業といえば、この会社を抜きに語れない。アークフェニックス(本社:中野区、石井正幸社長)だ。会社設立は昭和54年。石井社長(56)がまだ31歳のときだ。会社を設立して数年は不動産業は厳しい環境下にあったが、やがてバブルの発生と共に同社も急成長。中古マンションを買い取り、内装を施して販売する事業が大ヒット。バブルが崩壊する平成2年までの数年間、売上高は300億円近くに上った。

 当時を振り返り、石井社長はいう。

 「まさに狂乱。広尾ガーデンヒルズなど最初の分譲単価は坪300万円もしなかったが、1000万円を越えるとあれよあれよという間に値上がりし、バブル崩壊直前には坪3000万円を突破した。5坪のワンルームでも5000万円した時代だ。売値を4000万円と決めて内装をしている段階で4200万円、4300万円の値が付いていった。4000万円で売った物件が半年も経つと、二転三転して5000万円の値がつけられ、我々に買わないかと戻ってきたりした。月額家賃が12 、13万円しか取れない2DKのマンションがどうして4000万円でも売れるのか、私は疑問を抱いた。危険を感じて仕入れをストップしたこともあった。しかし、仕入れの営業マンは『社長、どんどん値が上がっているじゃないですか。どうして買わないんですか。これを買わずして何を買えばいいんですか』と抵抗した。それでもストップをかけた。しかし、3回が限度。4回もストップをかけると社員は辞めていった。仕入れをしないと、売りものもなくなるから買わざるを得なかった。よほどの哲学を持っていないと、あのバブルは避けきれなかった」

 同社は、そのころ株式の店頭公開を準備していたこともあり、バブルの波に乗るしかなかった。資産として買い取ったマンションを賃貸として所有もした。

 ところが、平成2年の銀行の貸し出し総量規制に国土法の規制などが加わり、はしごを突如外された格好でバブルは崩壊。石井社長はまだ機転が利いた。「売って、売って、売りまくった」。資産として所有した賃貸の処分には手間取ったが、なんとか会社を潰さずに済んだ。それでも「この15 、16年間は大変だった。私はまだ若かったからできた。今の歳だったらとても処分なんかできなかった。おそらく会社も吹っ飛んでいただろう。髪の毛も真っ白になった」。

 いまは「買いまくる会社と、安定的な収入が得られる賃貸中心の会社、情報を売る会社に分社化して、どのような時代の変化にも対応できるようにしている」と語る。現在の中古マンションの買取・仲介については、「先が見えない。強気と弱気が拮抗している。ミニバブルの様相を呈してきた。当社は年間グループ全体で400戸ぐらい扱いだが、闇雲に増やす気はない」と語る。

 「もう失敗は繰り返さない」ときっぱり言い切る。アークフェニックスは文字通り、不死鳥のようによみがえった。

(牧田 司記者 10月8日)