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 45年の歴史に幕、明大グラウンドが570戸のマンションに

野球部OB星野仙一氏らが最後の別れ

関係者が見守る中、最後のお別れの投球をする星野仙一氏


 45年の歴史に幕、明大野球部グラウンドが570戸のマンションに――昭和36年の開場から現在まで45年の歴史を持つ明治大学野球部グラウンド・島岡球場の閉場式が10月7日、 調布市深大寺南町の現地で同大OB星野仙一氏ら関係者を集め行われた。グラウンドは府中市に移転、跡地は総合地所・三井不動産・新日本建物・長谷工コーポレーションの4社JVとなる14階建て全570戸の「深大寺レジデンス」に生まれ変わる。

 このグラウンドは、用地の選定から地権者との折衝まで故・島岡監督が直接行い、数々の名選手を育てた。この日、OB代表として出席した星野氏は昭和40年から44年まで在籍、合宿生活を送った。島岡監督は、ほとんど家に帰ることなく、選手らと寝食を共にした。

 挨拶に立った星野氏は、「当時の4年間がなければ、今日の私はない。汗と涙の青春を過ごした。そんなグラウンドがなくなるのは寂しいが、これも時代の流れ。新たな街づくりに協力できる。サヨウナラ」などと語った。

 また、島岡監督のエピソードを聞かれると、「早稲田大学にノックアウトを食らった日の夜中、監督にたたき起こされ、『グラウンドの神さまに謝れ』とグラウンドでパンツ1枚になって土下座させられた。当時は、周りに何もなく真っ暗。1時間や2時間じゃない。夜明けまでやらされた。夜が白む頃、ホームプレートに人がいるのが分かったが、それが監督だった。私は、このとき一生このおやじについていこう≠ニ思った」と、当時の島岡スパルタ教育について語った。

 グラウンド跡地は、総戸数570戸のマンションになるが、事業主の総合地所東京分譲事業本部東京第一事業部副部長・土田晃氏らによると、約70〜80平方bのファミリータイプが中心になり、来年2月降に分譲開始となるという。

 坪単価は不明たが、このところの相場の上昇からして坪200万円を軽く突破することになりそうだ。現地は、京王線つつじヶ丘駅からバスで10分ほど、最寄駅の柴崎駅からだと徒歩16分の位置になる。施工は長谷工コーポレーション。

 

「深大寺レジデンス」模型

挨拶する星野仙一氏

(牧田 司記者 10月7日)