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やがて花開く 細田工務店の遠大な戦略
「杉並営繕隊」(9月28日)
 

 細田工務店が今年4月、「リボン館 杉並営繕隊」を発足させた。同社には、プロジェクトチームに○○隊≠ニ名づける習慣がある。田島亮隊長(61)以下、竪谷比呂司隊員(34)、真野目 竜二 隊員(38)の3人しかいない小部隊だ。

 何をする部隊かというと、平たく言えば「なんでも屋」。「便利屋」といってもいいかもしれない。つまり、住まいの修繕について気楽に相談を受け、どんな小さな工事、例えばくぎ一本打ったり、電灯の取替えなども引き受けたりする、いざという時に役立つ仕事請負人の部隊だ。

 あれは3月だったか。記者は同社がこの部隊を発足させることを聞き「これだ!」と思った。記者自身が「身近に便利屋のようなものがあったらなぁ」という経験を何度もしているからだ。量販店に仕事を奪われた電気屋さんが街から姿を消した。かつては、絵画を飾るためマンションの壁に釘1本打ってくれるように頼めば、電気屋さんが飛んできた。それが、今ではできなくなった。こんな経験もした。トイレの水が止まらないので、業者に見てもらったら「全部取り替えなけりゃダメ。約30万円」といわれた。自分でよく調べたら、何のことはない。数百円の浮き球を取り替えるだけでよいことが分かった。業者は信頼できないと思った。55歳の記者ですらこうだ。歳をとると若い人なら何の造作もないことができなくなる。

 急がば回れ=B細田は、記者のような層を顧客に取り込むことを真剣に考え出したと、その時判断した。同社が信頼できる仕事をやれば、それこそ建て替えから増改築、顧客の紹介まで顧客は何でも任そうとするに違いないと、私なりに読んだ。

 それから半年。田島隊長と竪谷隊員にインタビューすることができた。

 田島隊長はいう。「地元の方たちとコミュニケーションを図る目的で、本社に設けているリボン館の経験がヒントになった。杉並でずっと本社を構えているのに、地元の方たちにはゼネコンだと理解されてきた。お客さんにとって敷居が高かった。これではダメだと。われわれからもっと積極的にお客さんのところに出て行かなければダメだと考えて立ち上げた。すぐ利益が出るわけではなく、人件費は経営企画部におんぶしてもらっているが、いま種を蒔いておけばやがて収穫できるときが来る」。

 実際に東奔西走するのは、竪谷隊員と真野目隊員だ。建築士の資格を持つ竪谷隊員は、「これまでマンションや木造などいろいろ手がけてきたが、自分を生かせる仕事と思って自分から手を挙げた」という。毎日、自転車と軽トラックで区内を駆けずり回るのが日課となったが、自分自身、自転車で会社に通勤していることもあって、すっかり街の人気者になりつつある。

 「1日4〜5件回るのが限度なんですが、お客さんの顔を覚えるのが大変。街で声を掛けられることも多くなった」と笑う。

 田島隊長は「口コミでの広がりは予想以上。これからは放物線を描くように増えていくはず」と語った。

 一粒一粒、丹念に蒔いた種がやがて区内のあちこちで大輪を咲かせるに違いない。

(牧田 司記者 9月28日)