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2022/12/11(日) 18:24

「産業デベロッパー目指し、日々妄想」植田俊・三井不動産次期社長

投稿者:  牧田司

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植田氏(左)と菰田氏(東京ミッドタウン日比谷で)

 三井不動産は12月9日、社長交代人事を発表し、同日、次期の代表取締役社長 社長執行役員社長に就任する同社取締役専務執行役員・植田俊(うえだ たかし)氏と、代表取締役会長に就任する同社代表取締役社長 社長執行役員・菰田正信氏が出席して、社長交代に関する記者会見を行った。両氏からはとても興味深い話・エピソードが飛び出した。

 会見の冒頭、菰田社長は2011年6月に社長に就任してから12年弱(退任時では11年9か月)を振り返り、「就任時は東日本大震災の直後で、リーマンショックの傷がいえない時だったが、これまで若干実績を積み上げてきた」と語った。

 具体的には、「イノベーション2017」で①街づくりの進化②スマートシティの実現③グローバル化の戦略課題にスピード感を持って推進した結果、6年間で営業利益は6倍、純利益は2倍という高い目標を達成したことなどを話した。

 2018年に策定した「ビジョン2025」では、①持続可能社会の実現②デジタルイノベーション③グローバルカンパニーの進化-などを掲げ、コロナ禍で経常利益は1,000億円近い減益(2021年3月期)となったが、3年が経過し、コロナの収束が見通せるようになり、今期の営業利益は過去最高の3,000億円を達成できる見通しが立ったと述べた。

 社長交代ついては、「『ビジョン2025』達成の道筋が見えたことから、その先は次世代のリーダーにバトンタッチするのがふさわしい」と決断。「後任の植田専務は私の右腕として、業績向上に大きく貢献した立役者」と紹介。「人物、見識、能力はもちろん社内外の人望も厚く、リーダーシップを発揮して新時代を切り開いてくれると確信している」と称え、「植田専務は相手の立場に立ってものごとをよく考える。『妄想』の言葉に象徴されるように、既成概念にとらわれない自由な発想で、新たな三井不動産を切り開いてほしい」とエールを送った。

 今後の国内外の市場・展開については、「政治経済の動向、地政学的なリスク、気候変動など先行き不透明感は極めて高いが、私も植田新社長とともに社業の発展に全力を尽くしていく」と語った。

 印象に残っている事業としては、米国ハドソンヤードでの2つのプロジェクトを「常識を覆して」成功に導いたことと、菰田氏も10年以上かかわった「柏の葉」のスマートシティの街づくりプロジェクトをあげた。

 辛かったことについては、「人を集め、街を創るのが仕事のわれわれにとって、コロナ禍で〝人を集めるな〟と言われたのは辛かった」と率直に語った。

 記者は、これまでの菰田氏の実績、同社の業績の推移などから、やり残したことなど一つもないだろうと質問したら、菰田氏は「そんなことはない。たくさんある」とし、日本橋川の再生が2040年になっていることをあげた。(小生はかつて、岩沙会長が「わたしの生きている間に再生してほしい」と語ったのを忘れない。あと20年後だ)

◇        ◆     ◇

 菰田氏の挨拶を受けて、植田次期社長は「社長の命を受け、その使命の重大さと責任の重さに身が引き締まる思い。本日は、わたしがどんな人間であるか、どんな思いを持っているかお話ししたい」と切り出し、次のように語った。

 「わたしが歩んできたビル事業の職歴からして、さぞかし皆さんは、三井不動産の保守本流を歩いてきた男だろうと思われるかもしれないが、実際は、来春で丸40年の会社人生を迎える中で、日本橋本社勤務は2009年からの10数年のみ。それまでの長い間は支店や出向などを繰り返し、外からの目線で三井不動産という興味深い企業グループを見つめてきた。

 最初の配属先は、今では百数十人の規模になっている横浜支店だが、当時の横浜事業課はわずか4人のスタートだった。今では清算されて存在しない、6年半勤務した三井不動産ファイナンス時代では、バブル崩壊後の不良債権処理に取り組んできた。毎日が砂を噛むような厳しい仕事だった。10年以上勤務した三井不動産投資顧問は金融危機の直後で、リートなどの証券化ビジネスを立ち上げた。

 これらの勤務を通じ、今ではなかなか経験ではないディープで濃厚・濃密な会社人生を送ってきた。その時々で多くの社内外の方々に助けられながらやりぬいてきた自負がある」と振り返った。

 どのような考え方をしているかについては、「大切にしているのは『妄想』『構想』『実現』という言葉。一人ひとりの突拍子もない妄想に大義があれば仲間が集まり構想になり、実現につながるという、この三段論法を自己実現に向けて常に心がけている」と語った。

 不動産業のあり方については、「わたしの経験からして、確かにビル、商業施設などハードな建物をつくり、街づくりを行う意味では不動産デベロッパーだが、これらの事業を通じて産業競争力を強くし、発展させるプラットフォーマーであることを考えると、産業デベロッパーではないかと考えている。つまり、不動産や街づくりなどは手段であって、当社の本質は産業デベロッパーでありプラットフォーマーである」と述べた。

 さらに、同社のこれまでの事業を紹介し「わたしがライフワークとしているライフサイエンスをはじめ、日本橋には宇宙、スタートアップ企業、アカデミアが集まり、新たなビジネスが生まれている。今後も取り組みを強化し、産業デベロッパーとして企業や社会、それを構成する人々の発展と成長に貢献していく」と述べ、「当社の羅針盤である『ビジョン2025』の次なる発展形をどこかでお話ししたい。産業デベロッパーとしての『妄想』『構想』『実現』にご期待頂きたい」と締めくくった。

◇        ◆     ◇

 記者は、植田氏から「日々妄想」「産業デベロッパー」「よそ者、馬鹿者になれる」「日本橋をライフサイエンスの聖地にする」「おせっかいな大家」などのフレーズがポンポン飛び出したのに驚きはしたが、同時になるほどとも思った。

 まず「妄想」。妄想とは、「広辞苑」(岩波書店)によれば「①〔仏〕(モウゾウとも)みだりなおもい。正しくない想念。徒然草『所願皆-なり』②〔心〕根拠のない主観的な想像や信念。統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっても容易に訂正されることがない。『誇大-』『被害-』『関係-』-・しょう【妄想症】パラノイアに同じ」(広辞苑)とある。

 また、「日本国語大辞典」(小学館)には「(-する)ありえないことを、みだりに想像すること。みだらな考えにふけること。また、そのような想像。空想。夢想」とある。

 記者もそうだが、読者の方も植田氏の「妄想」を辞書通り受け取ってはいないはずだが、普通ではなさそうなことは分かる。「日本橋をライフサイエンスの聖地にする」という植田氏のビジョンを聞いたとき、菰田社長は「これは大風呂敷ではないか」と疑ったというエピソードを明かしたことからもそのことがうかがい知れる。

 つまり、植田氏の妄想とは、常識的な考えからするとありえない空想、絵空事ではあるが、その常識的な考えが間違っていると仮定したら、妄想こそが事実・現実となる。

 記者は、この植田氏の話を聞きながらもう20年くらい前、同社の幹部が〝みだり〟に「不動産はソリューションビジネス」と語っていたのを思い出した。つまり、不動産業は課題解決業だと。今流でいえば社会課題解決業だ。

 植田氏が「日々妄想」と語ったのは、この考え方と通底する。絶えず不動産業の現実を凝視し、疑ってかかる姿勢を貫いていると理解できる。そのヒントは、前段で紹介した植田氏の発言の中にある。

 約40年の職歴の中で、30年弱は外から、そして、その後の十年余は内から三井不動産の事業を見続けてきたということだ。双方から世界を眺めることで、内外に抱えている課題=妄想をたくましくし、構想として練り上げ、実現してきた。この三段論法の正しさを証明して見せたということだろう。菰田社長は植田氏の発想の豊かさ、交渉能力の高さ、粘り強さを絶賛した。

 同じようなことを写真家の今森光彦氏が先の積水ハウスのフォーラムで話した。今森氏は写真を撮るときは被写体と距離を置き、冷静な目で俯瞰し、同時に被写体の中に入り込むようにして、中から見える世界を写し取り、自然と人間の関係性を明らかにするのだと。

 「産業デベロッパー」という文言は、植田氏が初めて用いたのではないか。一般的には大手デベロッパー=総合デベロッパーとして理解されている。しかし、劇的に変化、多様化する経済・社会では、従来の発想では課題を解決することは難しいと植田氏は強く感じているのではないか。「産業界に入り込まないとじり貧の一途」とも語った。

 〝よそ者、馬鹿者〟〝おせっかいな大家〟として産業界にイノベーションを巻き起こす姿勢を植田氏は示した。BtoCはもちろんBtoBへの事業展開が加速度的に進むのではないか。

 「日本橋をライフサイエンスの聖地にする」-この「聖地」にはさすがに驚いたのだが、同社が2019年5月に行った「賃貸ラボ&オフィス」事業開始に伴う記者会見で、当時、同社常務執行役員だった植田氏は「この種の事業は欧米ではけた違いの規模で行われているが、わが国には市場そのものがない。具体的な事業規模は現段階で申し上げられないが、マーケットメークし、当社の6番目の新しい事業に育てたい。『コミュニティ』の構築、『場』の整備、『資金』の提供を3本柱とし、わが国がライフサイエンス産業における世界に冠たるアジアナンバーワンの地位を確立することに貢献する」と話している。(植田氏には、当時書いた、小生の妄想でもある「新木場」をライフサイエンス拠点にできないかと質問したかったのだが、その機会はなかった)

 意外だったのは、苦い思い出を記者団から質問された植田氏の答えだった。「辛いことはすぐ忘れる」と前置きしながら、三井不動産投資顧問に出向していたときの2001年9月17日、防衛庁檜町庁舎跡地を1,800億円で同社など6社が落札した舞台裏を明かした。

 「当時は、金融危機が収束しておらず、お金を集めるのが大変な時期で、何とかタイムリミット直前の6月に2,200億円のファンドを組成することができた。落札日は娘の誕生日なのでよく覚えているのだが、その1週間前には日本ビルファンドの上場(記者は当日初値で株を買った。そこそこ儲かった)があり、大変な9月だった。しかし、ふたを開けたら2番札の入札価格が1,200億円とかなり差があったことから、高値で入札したのではないかと文句も言われた。そのとき仲間で話し合ったのは、僕らいつか『プロジェクトX』に出ようと。テーマは決まっていて『金のないのに入札に臨んだ男たち』。結果としていいプロジェクトになった」

 小生は、この落札が決まる半年前、「落札価格は1,850億円」と予想した全10段の記事を書いた。それがほぼ的中して快哉を叫んだのを思い出す(外れたら袋叩きにあっていたか)。資金集めの担当者が苦労していたことなど初めて聞いた。そんなに厳しかったのか。記者の仕事も取材先の中に潜り込まないといけないということか。

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