RBA OFFICIAL
 
2013/11/16(土) 14:56

元プロ野球首位打者・長崎慶一氏(元大京コーチ)RBA25周年記念懇親会に出席

 

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長崎慶一氏

 プロ野球大洋ホエールズ時代の1982年に打率.351で首位打者に輝き、平成元年の第1~3回RBA野球大会に大京のコーチを務めていたレイアンドエム社長・長崎慶一氏(63)が11月22日(金)に行われる「RBA設立25周年記念懇親会」に出席される。開催を前に長崎氏は「野球も仕事もプラス思考。失敗したらどうしようなんて考えないで行動すること」とRBA関係者にエールを送った。

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 まず長崎氏の輝かしい経歴を紹介しよう。

 長崎氏は大阪出身。法大では、六大学野球リーグ史上初の2シーズン連続首位打者を獲得するなどの活躍を見せたあと、1972年、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。当初は三振の多い打者だったが、自然体で構え、身体の回転で球を運ぶ打法に変更してから打率が上昇。1982年には、当時、中日ドラゴンズの田尾安志氏と首位打者を争い、対中日最終戦で大洋が田尾氏を敬遠〝攻め〟にして長崎氏が打率.351で首位打者になった。その差はわずか2毛差だった。

 その後、阪神タイガースに移籍。1985年の日本シリーズでは西武相手に第6戦で満塁本塁打を放ちチームを初の日本一に導き、優秀選手賞に選ばれている。

 1987年に現役引退。その後はテレビの野球解説者、シドニー五輪の日本代表打撃コーチ、高校教師を経て、2003年、荒川区議選に自民党から出馬して当選。区議を1期務めたあと、2007年に民主党公認で参院選に立候補したが落選。現在は、冒頭の会社社長として、いわき市の震災復興プロジェクトでもある観光農園「ふくしま和郷園・きずな農場」のオープンに向けて取り組んでいる。

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 「私が大京さんでコーチを務めたのは3年間だが、力建さんや東急リバブルさんが強かったのを覚えている。当時の大京さんは勢いがありましたね。選手も高校や大学野球の経験者が多く、決断力が速く、マイナス思考の人はいなかった。野球も営業も一緒。三振したらどうしよう、ゲッツーだったらどうしようと考えると、絶対三振するんですよ。プラス思考でまず行動すること。失敗したら、そこで考えればいいと」と、何事もプラス思考に徹することを強調した。

 もう一つ、長崎氏はものの見方・考え方にも通ずる貴重なアドバイスをした。「毎日、数字を追いかけていたら疲れちゃう。私は、広島の山本浩二さん(法大の先輩)から教わったんですが、規定打席403(当時、試合数は130試合で規定打席は130×3.1=403)を4つに分けて、100試合で30安打放つことを考えた。それ以上打てればもうけものですよ。根つめると精神的によくない」(ものごとをクォーターで考える思考方法はラグビーやテニスに代表されるように欧米の発想だろうが、わが国の証券取引でも2003年から四半期決算が導入された)

 「バブル崩壊後、企業スポーツは真っ先に弾き飛ばされた。なのに、RBAはよくぞ25年間も継続してやってこられた。すごいこと。ドームや海外交流の機会があれば、仕事の疲れも吹っ飛びモチベーションも上がるはず。22日は友人を連れて出席させていただく」と語った。(記者は、大京のコーチ時代、何度かお会いしているが、それより西武ファンの記者は長崎氏が西武の息の根を止める満塁弾を高橋直樹投手から放ったのをよく覚えている)

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 長崎氏のプラス思考は現役を退いてからも変わらない。先に高校教師になったことを書いたが、「自分の息子を教えるため。自分の息子を教えられないシステムに問題があると思った」からだそうだ。

 区議に立候補したのもプラス思考・「少年の野球教室を行なっており、グラウンドがないので区に陳情に行ったら『区議になったら出来るかもしれないよ』と勧められ立候補したら受かっちゃった」

 参院選の出馬については「甘かった。スポーツ省をつくろうという動きに乗って立候補したが、選挙のシステムもよく分からなかったし、区議を辞めて2カ月しか準備期間がなかった」

 そして、現在のビジネス。いわき市のハワイアンズに隣接するゴルフ場跡地約2万坪のうち1万坪に農業法人と組んで観光農園を開業する計画だ。「ふくしま和郷園・きずな農場」と称するもので、いちごやトマトを栽培してハワイアンズのお客さんなどに販売するほか、100本のバラの庭園、キャンプ場、レストラン、直売場などを整備するものだ。「準備まで2年かかったが、一部は来年オープンできる」そうだ。

 

 

 

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