山際の母・美智代さん(東京ドームで)
三井不動産レジデンシャルリースの核弾頭で〝東邦の主砲〟として名を馳せた平成元年生まれの山際がこの試合、初めて地元名古屋から家族を招いた。一昨年と昨年は三井不動産レジデンシャル、今年は人事異動に伴う移籍により三井不動産レジデンシャルリースのメンバーとして3年連続で決勝戦に臨めた自らのプレーを家族の前で見せたかったからだ。
父方の祖父は社会人野球日本選手権の前身となった大会に出場し後楽園球場でプレーした選手。父も野球好きだったが、病気のため断念。母方の祖父はマラソン、母は陸上というスポーツ一家。とにかく一生懸命に取り組むということを家族から教わった。
小学1年生で野球を始めてから、中学で県境近くまで練習試合に行く時も、東邦高で甲子園を目指し県大会を戦う「4番山際」も、常に家族の温かい応援があった。
「させてもらえる環境なしに野球はできなかった」とずっと感謝している山際だが、昨年までは「恥ずかしい」と試合に呼んでいなかったという。今回「30歳になる年。同じプレーがこれからもできるかわからない。ずっと見てくれていた両親に、元気で野球している今の姿を見てほしい」と考え、招いた。
打撃では音なしだったが、堅い守備で存在感を示した。試合後、スタンドに歩み寄ってしっかりと挨拶した。「名古屋からきてもらい、ありがとうの一言です」
母・美智代さんは「息子の野球では私も親同士のコミュニケーションが広がり楽しませてもらっていました。今日はやっと来ていいと言ってくれた。いいヒットが出なかったけれど、守備ではほっとしました」と微笑んだ。
山際