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2014/02/06(木) 15:49

3.11からもうすぐ3年 人口は震災前より2.0%、6万人減少

投稿者:  牧田司

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岩手県田野畑村の今年1月の広報紙「たのはた」表紙

福島県の死者・行方不明者3,461人のうち47%が「関連死」

 死者15,883人、行方不明者2,643人、住宅の全・半壊399,548棟の被害(平成25年12月10日現在)を出した平成23年3月11日の東日本大震災からもうすぐ3年だ。マスコミは連日復興の模様を伝えているが、記者も少しでも役に立てればと、ほとんどがホームページから拾ったものだが、復興の状況を調べた。まずは人口動態から。

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 別表は東日本大震災が襲った東北3県と茨城県の北茨城市と高萩市の震災前と現在の人口を調べたものだ。

 震災前の人口は約260万人で、直近の人口は約254万人。減少率は2.0%だ。この減少率をどう見るかだ。復興庁は「被災3県の人口は、減少傾向にあるもののその度合いは鈍化しており、社会増減率は、沿岸市町村においても震災前の水準に戻りつつある」(復興庁ホームページ)としているが、果たしてそうか。

 各市町村の人口増減を詳しく見ると、とても「震災前の水準に戻りつつある」などと楽観的な見方はできない。

 別表にあるように、震災後、人口が増加しているのは仙台市、名取市、利府町の3市町だ。この3市町を除く沿岸市町村は5.4%も減少している。多数の死者を出した山田町、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町などは二けたも減っており、女川町は実に25.3%も減少している。

 また、254万人はあくまでも住民登録している人の数で、実際に住んでいる人の数ではない。現在でも全国に約27万人いる避難者が住民票をそのままにして、他のエリアに住んでいるケースも相当数に上るはずだ。福島原発による「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に指定されている南相馬市、浪江町、双葉町、大舘村、楢葉町などは今後どうなるのか皆目見当もつかない。

 復興庁などが調査した浪江町の住民意向調査では、回答した約6,000世帯のうち37%の人は「現時点で戻らない」と回答している。避難指示が解除された広野町でも実際に戻ったのは全世帯の35%にあたる686世帯だ。昨年の9月では実際に住んでいるのは10分の1と言われたように「確実に戻ってきている」(広野町役場)のは確かだが、復興には程遠い。岩手県や宮城県の避難者がどのような意向であるかは不明だ。避難者に対する生活支援はエンドレスではない。

 東北3県は内陸部の過疎の問題もある。震災前の3県の人口は約571万人だったのが、現在は約557万人で、2.4%減少している。沿岸の人口減少率より大きい。震災復興と内陸部の活性化という二つの大きな課題を抱えている。

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 数字を眺めていると、その裏に隠されたものがあぶりだされてくる。見えないものが見えてくる。

 その一つが関連死認定の数だ。関連死も含む死者・行方不明者の数は21,139人だが、関連死は東北3県で2,948人にも達している。

 岩手県では5,106人の死者のうち8.5%にあたる434人(内陸31人含む)が関連死による死亡と認定されている。大きな被害を受けた釜石市では、死者988人のうち100人(10.1%)が関連死認定を受けている。

 一方、宮城県では、死者10,471人のうち関連死は8.4%の879人だ。岩手県と比率的には同じだが、市町村によってかなり差がある。例えば仙台市では908人のうち関連死は27.9%(253人)に上るのに対し、3,518人の死者を出した石巻市の関連死は7.1%で、他の市町村も数パーセントにとどまっている。

 興味深いのは福島県だ。同県の震災による死者・行方不明者は3,461人(内陸部含む)で、このうち47.2%に当たる1,635人が関連死だ。福島原発に近い浪江町は499人の死者のうち63.5%の317人が、南相馬市は40.8%、太平洋に面していない飯館村は43人のうち42人が、葛尾村は25人すべてがそれぞれ関連死として認定されている。

 関連死について復興庁は次のような報告を行っている。「マスコミは、まるで『心のケア』なる明確なものが存在し、それを行えば様々な被災者の心の問題が解決すると報道する傾向にある。しかし本来は、地域経済・職業・健康状態の改善等、いわゆる生活再建を通して、はじめて被災者の心の健康が回復していくものである。生活不安が解消しない状態では、心のケアは万能ではないことを知るべき」と。

 この報告通りだとすれば、太平洋岸に住む人の圧倒的多数は「不安が解消」されていないのではないか。特に福島原発エリアの住民の不安は少なくとも向こう数十年間、あるいはもっと長期間にわたって続くはずで、ヒロシマ・ナガサキのように「関連死」はまだまだ増えるのだろうか。

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 各市町村のホームページのスローガンは創意工夫を凝らしているようだ。キーワードは「絆」「こころ」「みんな」「うみ」「ひと」「元気」「希望」「笑顔」「復興」「一丸」「キラリ」「未来」などだ。

 記者が惹かれたのは「海と生きる」(気仙沼市)「ともに前へ仙台」(仙台市)「東北に春を告げる町」(広野町)などだ。「海と生きる」は、プロレタリア文学の傑作と言われる葉山嘉樹の「海に生くる人々」(岩波文庫)を連想させるし、「ともに前へ」は、強い意志が込められている。「東北に春を告げる町」とは、真っ先に春めく町なのだろうか。

 その一方で、浪江町の馬場有町長が昨年の9月17日付で「東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故から2年半が経ちました。この間は、皆さまには故郷を離れて悲しみ・怒り・悔しさが溢れる途方もない苦悩の日々であることを考えますと、胸が締め付けられる思いです」とメッセージを発している。町長はその後メッセージを更新していない。

 広報紙は全部見たわけではないが、岩手県田野畑村の今年1月号の表紙が目に留まった。若い夫婦が親子と思われる馬とともに緑一色の牧草地を背景に映っている写真だ。タイトルには「馬いこといく1年に」とある。悲惨な写真よりもいいと思い、田野畑村の広報担当者の了解を得て掲載した。ご夫婦の方も了承してくださったとのこと、「東北の山にも里にも野にも 春よ来い」-この強い願いを込めてお礼の言葉に代えさせていただきます。

 次は被災地復興土地区画整理事業について紹介します。

 

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