日本建築学会の建築計画委員会に属する「ライフスタイル小委員会」が3月13日に行なった公開研究会「もうひとつの居場所(サードプレイス)をどこに持つ? 」を取材した。
同委員会は、少子高齢社会における家族と住まいの現状と課題を共有し、これからのライフスタイルに対応した住宅・地域の在り方を検討することを目的に設けられているもので、この日は港区の「芝の家」を見学し、多摩ニュータウンの「福祉亭」、墨田区の「コレクティブハウスかんかん森」の事例が紹介され、「自宅」や「職場」などの居場所以外の「もう一つの居場所」の今後の可能性などが話しあわれた。
研究会では、同委員会主査の湘北短期大学准教授・大橋寿美子氏が、「家族機能が弱体化した少子高齢社会では、人と人のつながりが希薄になっている。もう一つの居場所としてのサードプレイスは3.11以降、より一層重要性が増している。孤独や孤立からの開放、生きがいにつながる可能性を探るのが、この研究会の目的」と、概要について説明した。
「芝の家」は2008年、港区と慶應大学とが連携して設けられた芝3丁目のコミュニティ拠点。民間のオフィスを賃借しているもので、大人から子どもまで年間1万近くの利用者がある。事業費は年間950万円。
慶應大学特任講師・坂倉杏介氏は、「緩やかなつながりを求める人が多い。単体ではなく、いろいろな組織と連携して自主的で多様な取り組みがインフォーマルな『共』をつくり出す」と語った。
「福祉亭」は、多摩ニュータウンのUR賃貸空き店舗を利用してNPO法人福祉亭が2003年から運営している施設で、飲食提供のほか、高齢者支援事業、街づくり事業などを行なっている。これまで100近いテレビ、新聞、雑誌などに取り上げられており、認知度は全国区になった。
福祉亭の理事・寺田美恵子氏は、「セーフティネットの網を広げているつもりだが、漏れることもある。初期投資、立ち上げ支援、運営補助の仕組みが大切。近隣には株式会社方式も含めて、同じような施設が4カ所でき、激戦地になってきた。売上げは年間約800万円。トータルで約900万円。補助金は60万円しかない」と笑った。
「かんかん森」は2003年、わが国初のコレクティブハウスとして誕生。人員構成は0歳~88歳まで48名。子どもが13名、大人が35名。夫婦7組、単身女性16名、単身男性5名という構成だ。
居住者でコレクティブハウスの社長・坂元良江氏は、「誕生してから10年以上が経過したが、毎年子どもが生まれ居住者の自主管理、自主運営は発展している。コモンスペースは時には居酒屋状態になることもあるが、週に2~3回のコモンミール(食事当番)は作る人のレベルも上がってきており、レベルの高い食事が提供できている」と話した。
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「サードプレイス」は、アメリカの都市社会学者Ray Oldenburg氏の著作「The Great Good Place」(1997年)の邦訳で、「ファーストプレイス」である自宅、「セカンドプレイス」である職場などとは別の居酒屋、カフェ、本屋、図書館など情報・意見交換の場、地域活動の拠点として機能する概念のことだ。
このようなサードプレイスは、普通の人にとってはごく当たり前の施設だ。ことさら「サードプレイス」として注目されるのは、家庭も職場も自分の拠りどころではなくなっていることの証左なのだろう。無縁社会、格差社会、パワハラ、ワーキングプア、パラサイト・シングル、ネットカフェ難民…およそ20年前にはそんな言葉すらなかった深刻な問題が生起し、日常茶飯となっている。
ならば「サードプレイス」はこれらの問題を解決してくれる万能薬になるか問えば、答えは「ノー」だろう。万病に効く処方箋はないし、「サードプレイス」に過大な期待をかけるのは酷だ。性急に成果を求めない緩やかで多様なつながりを辛抱強く続けることしかないのではないか。
次は、数年前からナイスが取り組んでいる「住まいるCafé」を紹介する。住宅の売買・仲介店舗を地域の居住者に開放したCSR活動だ。
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「サードプレイス」を取材しながら、これは社会的弱者にとってこそ必要な施設ではないかとずっと考えていた。
そうした社会的弱者に対して、社会学者の上野千鶴子氏が近著「女たちのサバイバル作戦」(文春新書)で心強いメッセージを送っている。少し長いが、以下に紹介する。
「日本の女のこれからを思うと、サステイナブルよりサバイバル、の方が切実だとわたしは思えます。たとえ日本が『沈没』して難民になっても、亡命してでも、どこででも生き延びていけるスキルを身につけてほしい、と思うようになりました」「自分のことは自分で。他人とは関係ない。集団で活動するのはうざいし、ださい――こういうメンタリティがネオリベ的感性です。ネオリベは強者と弱者を生みますが、問題は、弱者も強者と同じメンタリティを共有していることです。強者はつるむ必要がありません。ですが弱者は弱者だからこそ、つるむ理由があります」「制度も政治も変えられないかもしれないけれど、自分の周囲を気持ちよく変えることは自分と仲間の力でできるかもしれない」
「たとえ目の前の問題がただちに解決できなくとも、たった今の苦しみを共有してくれるひとたちがいることで、困難にへこたれないでいられる、問題に立ち向かう元気がもらえる――そうやって女たちは生き延びてきた…傷の舐めあい――と揶揄する人がいました。それでけっこう。傷ついた者たちは、傷を舐めあう必要がありました。女性はその必要があったからこそ、つながりをつくってきました」