9月26日付の朝日新聞と毎日新聞の朝刊は、国立市が明和地所のマンション建設をめぐる訴訟で、市が上原公子元市長に対して、市が同社に支払った損害賠償金約3,120万円を支払うよう求めた裁判の判決が25日にあり、東京地裁は「元市長への求償権行使は信義則に反し許されない」として、市の訴えを棄却したと報じた。
記者は判決文を読んでいないので、以下、新聞報道を基に持論を述べたい。両紙以外の読売、日経、産経は記者がチェックした限りでは全く報じていないし、東京新聞は簡単に報道しているのみだった。
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明和地所の国立マンション問題には、建設計画が持ち上がったころから深くかかわってきた。記者の人生を変えた問題でもある。
ここで明確にしたいのは、この国立マンション問題の本質は、同社が市を相手取り、建物の高さ規制を20mとした条例の無効と営業妨害による損害賠償を求めた裁判で、司法は「マンションの建築、販売を阻止することを目的とする行為であり」「地方公共団体とその首長に要請される中立性・公共性を逸脱し、急激かつ強引な行政政策の変更であり、異例かつ執拗な目的達成行為であって、地方公共団体またはその首長として社会通念上許容される限度を逸脱している市長らの行為は明和地所に許されている適法な営業行為を妨害した行為である」(東京高裁判決要旨)ということだ。
その後2006年3月、最高裁は全面的に明和の主張を認め、市側の敗訴が確定した。市長に明らかに不法行為があったことを認めた。
今回の「求償権裁判」は、賠償金は市ではなく、条例を制定したときの市長だった上原氏が負担すべきとする2009年の住民訴訟が発端だ。翌10年、東京地裁は市に上原氏への支払いを請求するよう求めた。
この一審判決を不服として控訴した当時の関口市長は2011年の市長選で落選。当選した佐藤市長は控訴を取り下げた。上原氏が市への支払いを拒否したため、市が上原氏を提訴した。
ところが、市議会は昨年12月、「元市長個人に請求するのは適当でない」とす上原氏への求償権放棄を決議した。この議会決定に対して佐藤市長は地方自治法に基づき都知事に審査の申し立てを行なわなかった。判決では、求償権放棄の議会決議を無視した市長の対応が問題とされた。
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市長が代わるごとに市の対応が異なったのと、明和地所が賠償金に相当する額を市に寄付したことで実質的に市の財政的負担がなくなったことなどが問題を分かりにくくしているが、今回の判決は元市長の一連の行動は景観保持という政治理念に基づいて行なったもので、違法性は高くないと判示されたようだ。
こんがらかった問題をほぐそう。まず、報道にある「業者の市への寄付によって政治的には決着がついていた問題」について。これは明らかに問題のすり替えだ。
同社の関係者は、「裁判は市の一連の決定の適法性を問うもので、われわれの主張が認められたことで決着を見ている。寄付金は賠償金を補てんする目的ではなかった。当初、教育委員会に出向き『子どものためピアノでも買ってください』と特定寄付を申し出たが、市側から『一般寄付にしてほしい。そうでないのなら受け取らない』と言われ、いろいろ検討した結果、最終的には市と妥協し一般寄付とした」と話している。
つまり、特定寄付ではなく使途が問われない一般寄付としたことで、賠償金を補てんしたと受け取れるような印象を与えようという当時の市の姿勢がうかがえる。
求償権とは、債務者の債務を弁済した者が債務者に対して持つ返済請求権のことで、今回の裁判は約3,200万円の債務を弁済した市が、債務者である上原氏に返還を求めるものだ。冒頭でも書いたように、明和が市を訴えた裁判では「中立性・公共性を逸脱」「異例かつ執拗」「社会通念上許容される限度を逸脱」など極めて厳しい文言で上原氏らの違法行為を指弾している。これらの経緯からして、求償権を請求するのは極めて妥当の訴えだ。
報道では、上原氏は「景観を守りたいという政治理念に対し、民意の裏付けがあるということを認めてもらったことが一番ありがたい」と述べたそうだが、政治理念の実現のためには「社会通念上許容される限度を逸脱」してもいいのかと問いたい。
上原氏はまた市長個人に求償権を求めることは「市民に応えようとする首長を萎縮させてしまう」と主張しているようだが、違法行為を行なった本人が言うべきことではない。市民の要求に応えるためには法を犯してもいいといっているようなものだ。
今回の判決について市は「判決内容を精査して、控訴するか検討する」としているようだが、とことん争うべきだ。むしろ求償権を放棄することは行政の不作為として責任を問われかねない。
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記者がどうして上原元市長と国立市を糾弾するのかだが、法治国家として許せない不法行為を行なったことはもちろんだが、もう一つ大きな理由がある。それは、明和のマンション計画の対案として裁判に提出した事業計画プランがあまりにもデベロッパーやユーザーを馬鹿にしたものだったからだ。
市の対案では、高さを明和の計画の半分以下にしても同じ戸数、同じ面積を確保できるとし、事業採算的にも十分成り立つものとしていた。
しかし、そんなことができるはずがないことは素人でもわかる。明和のプランも立派なものではなかったが、市のプランはいわゆるようかん切りの単調なもので、プライバシーを全く考慮しない住戸間のお見合い、自己日影などが随所にあり、およそ商品と思えない劣悪以下の代物だった。
そのようなプランをどう表現していいか分からず、同僚の記者などに聞いた結果、ある若手の記者が「刑務所マンションはどうですか」と言った。記者は刑務所がどのような構造になっているか知らなかったが、さもありなんとして「市の対案は刑務所マンション」と見出しにつけた。
権力が公金を使って「刑務所マンション」を提示して、その合理性を主張することが許せなかった。デベロッパーやユーザーに対する挑発であり愚弄するものだと感じた。その後の経緯については触れない。
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