三井不動産リアルティは10月28日、都心の1棟リノベーションマンション「THE UPPER RESIDENS AT MINAMI-AOYAMA」のプレス向け案内会を行った。バブル期に外国人向け賃貸マンションとして建設されたもので、内外装を一新させて富裕層向けに販売する。立地に恵まれた都心部のリノベーションマンションは、新築と比較し価格的に優位にあり、都心部での仲介で他社をリードする同社はこの分野での事業を加速させるとみられる。
物件は、東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅から徒歩6分、港区南青山5丁目に位置する7階建て全41戸(住戸36戸、店舗3戸、倉庫2戸)。建物完成は平成4年。既存建物施工は竹中工務店。改修工事施工は三井不動産リフォーム。今回分譲は4戸で、専有面積は115.82~166.51㎡、価格は19,800万~35,000万円。坪単価600万円。売主はTSMアセットマネジメント。媒介は三井不動産リアルティ。
設備機能の劣化、デザインの劣化に対応するため、大規模修繕を実施し30年の長期修繕計画を策定、外観デザイン、専有部デザインにもプロを起用して再生を図っている。
建物は現在、一般賃貸借契約による入居者もいることから、契約解除できたものから順次リノベーションし、一般に販売していく。全住戸の販売には3年くらいを見込んでいる。
もう一つの大きな特徴は、同社が売主になるのではなく、不動産・債券などの流動化・証券化事業のプロ集団TSMアセットマネジメントを核に事業リスク回避のためのスキームを立ち上げていることだ。
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個人的なことで申し訳ないが、案内会はサプライズの連続だった。最初に同社の富裕層向けビジネスであるリアルプラン事業について挨拶したのが執行役員・石井雄二氏だった。続いて、都心部のマーケットについて説明したのがコンサルティング事業部部長・佐藤邦弘氏だった。そして、今回の物件について説明したのが同部営業グループ主査・神義一氏だった。
何がサプライズかと言えば、同社は26回目を迎えたRBA野球大会で初の東京ドームでの決勝進出を決めたのだが、石井氏は応援団長的な存在だ。佐藤氏も野球部を応援しており、今回の案内会では完璧の説明を行った。
ここでは詳しく紹介しないが、同社がリアルプラン事業を立ち上げたのは、バブル崩壊で新築も中古市場も氷河時代に突入しようかという20年前だ。その後、どんどん店舗数を増やしてきた。この間、閉鎖した店舗もあるが、アッパーミドル・富裕層向けビジネスは不動産分野だけでなくあらゆる分野で注目されており、どこもこの分野に力を入れている。
どこよりも同社が早くこの分野の取り組みを強化してきたからこそ今がある。同社は都心のプレミアムマンション148物件、約17,000戸のマーケットを抑えている。佐藤氏の説明は詳細な情報に裏打ちされていたから説得力があった。
2009年から取り組んでいる1棟リノベーション事業は2014年度の9月末時点で取扱高121億円45戸(平均17,800万円)の実績をあげている。この数字は2013年度の通年実績とそれほど変わらない。
さて最大のサプライズは神氏だった。石井氏と佐藤氏の話を聞きながら「みんなRBAの応援団ではないか」と勝手な解釈をしていたら、〝大トリ〟に何と同社の野球チームの主砲が登場したではないか。これには飛び上がらんばかりに嬉しくなった。すかさずシャッターを切った。
神氏は同社のリアルプランチームが〝出ると負け〟を繰り返していたときからの主砲だ。今回決勝進出を果たした立役者の一人だ。野球で長い間チームを引っ張ってきた人物が、会社を代表してこれからも成長分野の事業について堂々と話したことが嬉しかった。リノベーション事業を立ち上げたときは神氏ともう一人の2人だけだったスタッフは現在13人に増えたという。
今回の物件は、専有部の内装にもうすこしグレード感のある自然素材を採用してほしかったという希望はあるが、坪単価600万円というのは割安感がある。すぐ近くで大手デベロッパーが工事を進めているマンションは間違いなく坪800万円を超えるはずだ。
野球大会の決勝で対決する旭化成ホームズには歯が立たないだろうが、野球はやってみないと分からない。神氏が相手エースを叩き、石井氏や佐藤氏が大応援団を繰り出せばあわやのシーンもあるかも。
ついでながら余分なことを書く。この記事を含め三井不動産グループの記事が昨日から連続して4本目になった。同社だけを選んで取材しているのではない。たまたま現場案内会が集中したためだし、現場取材は極力参加することに決めている。その点で、デベロッパーは記者を育てる意味でも重要な現地見学会などを増やすべきだと思っている。
もう一つ書く。一昨日の三井ホームの見学会では同社関係者などが一生懸命説明しているとき、メモも取らず舟を漕いでいた若い見慣れない記者がいた。叩き出したくなったが、その記者とはかなり離れていたので声が掛けられなかった。そのあとの懇親会で注意してやろうと思っていたが、いつの間にか姿を消していた。