〝うその塊〟を明らかにするのが私の責務
「2011年3月11日。
まさかこの日が、この家で生活する最後の日になろうとは、露にも思っていなかった。
その日は朝から晴れ、春の気配がかすかに漂い始めていた。
揺れは突然やってきた。大地がうなり声を上げた。
私は自宅(双葉郡富岡町)で業者と打ち合わせをしていた。まずドンと縦に揺れ、その後、横に揺れだした。それはどんどん大きくなり、立っているのさえ、やっとになった。
…
――ひょっとしたら――。
不吉な思いが胸をよぎった。
大きな津波が来襲すれば、第一原発は危うい。
一番の心配は、海水ポンプが『5円玉』のところにあることだ。『5円玉』とは海抜5メートルをさす、私たちの隠語。5メートル以上の津波がきたら、海水ポンプは間違いなく水没する。そして、確実に機能を失う」
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冒頭の文章は、福島原発の稼働時から現在までの約40年間、現場の最前線で保守・点検の業務を行ってきた技術者・名嘉幸照氏が書いた「〝福島原発〟ある技術者の証言」(光文社、四六判、本体1400円)のプロローグの書き出し部分だ。
名嘉氏は1941年生まれの73歳。沖縄県出身。大学時代、米兵が起こした事件に憤り学生運動を起こしたことから石もて追われるように東京に脱出。その後、日本郵船の乗組員として世界を駆け回り、単身渡米。GEに入社。1973年、福島原発スタート時から今日まで約40年間、原発の最前線で保守・点検の業務に携わり、80年には東電の協力会社「東北エンタープライズ」を設立。現場で指揮を執るとともに、若い技術者育成に取り組んでいる。
本著を読むと、原発を知り尽くしている技術者の危機管理能力が欠如した政府に対するいら立ちがひしひしと伝わってくる。
以下、11月27日に行われたNPO法人OSI(沖縄環境・観光産業研究会=代表:百瀬恵夫・明治大学名誉教授)の第104回勉強会で名嘉氏が講演した一部を紹介する。
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あってはならない事故が発生しました。真実を国民の前に示さないといけない。私は技術屋、書くのは苦手で〝なんで俺が〟という思いもありましたが、〝うその塊〟を明らかにする責任を感じ書きました。何とか出版できたのは編集の仕事をしている娘のお蔭でもあり、娘からは「正直な告発本だね」と褒められました。
日本の原発行政 事故は避けられなかったか
原発にはPWR(加圧水型)とBWR(沸騰水型)の2通りのプラントがあります。PWRは原子炉の中で発生した高温高圧水を蒸気に変えてタービンに送り、発電機を回すもので、BWRは原子炉の中で蒸気を発生させ、それを直接タービンに送る方法です。違いはそれほどありません。産業用として日本が採用したのはBWR型が東京電力、中部電力、北陸電力、中国電力、PWR型が関西電力、四国電力、九州電力、それと北海道電力です。
福島原発の1号機、2号機、6号機は東電からの発注を受けてGEが直接建設しました。私がGEで教育を受けて任務に就いたのは1973年でした。
その後、ずっと事故対応を行ってきました。その原因が設計・施工に起因するのか、あるいはメンテナンスの不備から来るものかなどを判断し、報告するのが私の任務でした。
この間、様々なトラブルを解決してきました。私は「聴診器」を持ち歩いていました。先端が尖った金属の棒で、一方をタービンなどの機器に当て、もう一方は耳に当てて伝わってくる「音」を聞くためです。医者の聴診器と同じです。瞬時に原発の健康状態を診断してきました。(名嘉氏は2年前から激しい難聴に苦しんでいる。激務との関係は不明だが、間違いなく職業病だろう)
今回の事故を経験して肌で感じたのは、政府が「原発は安全」を繰り返し、そのリスクをきちんと公表してこなかったことに根本原因があるということです。大きな政策の誤りで、それが今回の事故につながった。悔やまれてなりません。
事故は避けられました。起こした責任をだれが取るか。国民も政府も電力会社もみんな取るべき。原発に国境はない。全世界に対して謝らないといけない。技術先進国としてわれわれ国民は恥ずかしいと思わないといけない。
事故後の東電と政府の危機管理について
当日の夜、私は社員14名といわき市のビジネスホテルに避難しました。現場から全然情報が入ってこなかった。危機管理がなっていないのに愕然としました。非常にあせった。一方で、GEのOBや国際的なシンクタンクから連絡が次々に入ってきました。アドバイスをもらって12日の夕方、東電と原子力安全・保安院に今後の展開をシミュレーションしてメールとファクスを送りました。
事態はどんどん悪化していきました。3月16日夜、名前は知らなかったのですが、ある大臣から携帯に連絡が入りました。「状況が名嘉さんのシミュレーション通りになっているが、どうして分かるのか」という内容でした。そのあと専門的なことを秘書の方と話しましたが、大臣は細野さん(豪志氏、当時内閣総理大臣補佐官)でした。
その時感じたのですが、非常に重大なことであるにも関わらず、東電は適切に情報を伝えていないことを知った。身震いがしました。今でも東電幹部は机上の技術しか知らないのではないかと思うと、腹も立ちます。
菅総理が13日にヘリで視察したことはマスコミなどで批判されましたが、私は東電から適切な情報がもらえなかったやむに已まれず取った行動であり、現場に飛んだのは正しいと思う。菅さんには私の考えを届けていませんが、選挙に落ちたら慰めてやろうと思っています。
福島原発の現状と今後の課題
今後、メルトダウンした3基の原子炉を廃炉に向けどう冷やすかですが、不幸中の幸、冷やしているシステムはかろうじて維持されています。
格納容器(Dry well)は原子力規制法に基づいた施設じゃないといけないが、現状は全て仮設の設備で運用されています。したがって常にリスクがあると考えないといけない。水漏れなどで放射能が飛散する恐れは十分ある。
廃炉に向けたロードマップが政府、東電から発表されていますが、廃炉までどれくらいかかるのか全く見通しが立っていません。これからも注視しなければなりません。
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名嘉氏はこのほか、沖縄県の電力行政と危機管理、安謝港⇔読谷村までの自然再生と開発についても講演した。電気料金は東電並みに高く、これが沖縄の経済発展を阻んでいる要因の一つで、火力発電設備の老朽化や危機管理、さらには普天間基地が存在することも認識しなければならないと指摘した。
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名嘉氏は著書のエピローグでこう綴っている。「私は、あの日米の地上戦で廃墟になった沖縄戦の生き残りである。平和がなによりも大切だと思っている。原子力も、日本が平和で豊かに暮らすための、産業であると思い、自分の生涯を賭けてきた」原発事故には「わが身が引き裂かれるような痛みを感じる」と。
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OSIは2003年6月設立。沖縄の自然保護、環境保全及び自然と人間との調和が全てに優先することが基本理念で、沖縄県内の諸団体、企業、住民が主体となり、海洋資源、文化資源の開発や新しいシステムを確立することが目的。これまでほぼ毎月1回、東京を中心に勉強会を行っており、今回が104回目。
百瀬氏は中小企業研究の第一人者で、「泡盛」を全国区に広めた貢献者としても知られる。現在、明大校友会副会長、明大体育会柔道部明柔会(OB会)名誉顧問、明大マンドリンOB倶楽部最高顧問などを務めている。