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2015/03/04(水) 00:00

震災から4年 「希望」はあるのか 陸前高田に見る復興事業

投稿者:  牧田司

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陸前高田市(岩手県の資料より)

 2011年3月11日の東日本大震災からもうすぐ4年目の春を迎える。岩手県陸前高田市は、県内でもっとも多くの多くの死者1,559人を出し、いまだに行方不明者が215人いる。死者・行方不明者の1,814人は人口の7.78%に達する。また、日本の白砂青松100選にも選ばれていた「高田松原」の砂州と約7万本の松が消滅した。「奇跡の一本松」は「希望」のシンボルとして〝全国区〟になった。

 そしていま、陸前高田市は「IPPON MATSU」を合言葉に急速に復興への街づくりを進めている。数字から過去-現在-未来へアプローチする。

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 別表は陸前高田市の震災前の平成22年と震災後の26年の数字を比較したものだ。人口は約3,000人減少し約2万人になった。市町村税も約1割減少した。その一方で、一般会計は120億円から1,293億円へ約11倍に膨れ上がった。予算規模は、人口約32万人の東京都中野区の1,206億円を上回る。

 歳出を目的別にみると、災害復旧費が約223倍、土木費が約46倍、総務費が約27倍と激増した。もちろん、増加した分はほとんど国や県からの支出・補助金による復興事業に充てられている。

 その復興の目玉でもあるのが住宅地を高台に移転し、あわせて市街地の整備を行う土地区画整理事業だ。

 市では別表のように「高田地区」と「今泉地区」合わせて約303ha、計画戸数2,120戸、事業費約1,200億円の区画整理事業が進行中だ。

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 事業前の土地の評価額は約415億円で、事業後は約716億円へ約300億円、1.7倍増加する。1,200億円の事業費を投入してもそのうち900億円は回収できないという計算も成り立つ。

 復興のもう一つの目玉は防災集団移転促進事業(防集事業)だ。国費から宅地造成費、住宅建設補助金として360億円が投じられ503戸が建設されることになっている。1戸当たりに換算すると約7,200万円だ。このほか災害復興公営住宅が約300戸建設される。

 これら区画整理事業、防集事業、災害復興公営住宅による住宅建設戸数は約2,900戸。震災で蒙った全壊と半壊戸数3,341戸の86.8%が新たに建設される計算だ。

 「復興への希望の象徴となり、岩手県民だけでなく国内外の多くの人々を勇気づけてきた」(高田松原津波復興祈念公園基本構想)「奇跡の一本松」はどうなるのか。消滅した砂丘は、計画では国営追悼・祈念施設を含む約124haの県営公園として生まれ変わる。具体的な整備計画はまとまっていないが、整備費に約100億円かかると試算されている。

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「奇跡の一本松」(同)

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 記者は昨年の3月、宮城県名取市に別件の取材で出かけ、閖上地区を見て、仙台空港アクセス線美田園駅前の仮設住宅に住む被災者にインタビューをした以外、3.11はまったく取材していない。

 取材もしないで、復興のための土地区画整理事業について書く資格はないのかもしれない。それでも書かざるを得ない。果たして大丈夫かと。

 かつて区画整理事業は「都市計画の母」ともてはやされた。ところが、バブル崩壊後は、高い梯子を外されたのと同じ格好で、ほとんどの事業が行き詰まった。首都圏ばかりでなく広島や岡山の悲惨な事業も取材している。死屍累々ということばがぴったりだった。「姥捨て山」と書いて怒られたことがある。

 そもそも区画整理事業は、そこに住む人を呼び込むポテンシャルがあり、土地が上昇することが前提となっている。右肩下がりでは保留地がねん出できず、金利負担だけが覆いかぶさってくる。

 しかし、「震災復興」の大義名分のためにはだれも「無謀」などと異論を挟めない。それでも、緑の木々が切り倒され、赤土がむき出しになった区画整理の無残な姿を見ている記者は「大丈夫か」と言わざるを得ない。

 陸前高田市と同じように、被災地では50カ所くらいで土地区画整理事業が進められている。「日本創成会議」が昨年、2040年までに東北4県は全市町村の8割以上が人口半減すると予測し、大騒ぎになった。立派な「街」を造れば人口は維持できるのか。国土強靭化政策は実を結ぶのか。

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 この記事を書き出したころ、発刊されたばかりの重松清氏著「希望の地図3.11から始まる物語」(幻冬舎文庫)を読んだ。現地取材をもとにしたドキュメントノベルだ。

 重松氏は巻末の「四度目の春を前に-文庫版あとがきにかえて」で、2014年暮れに取材したときの陸前高田の風景を次のように書いている。

 「2011年秋の時点では悲しいほど静かだった町に、絶えることなく工事の音が鳴り響く。自衛隊や警察の車輌が行き交うだけだった国道を、ダンプカーが土埃を舞い上げて駆け抜ける。どこも大規模な工事だった。文字どおりゼロからつくりあげているのだというのが、まざまざとわかる。

 …もしかしたら、いまの陸前高田は、『復旧』はもちろん、『復興』をも超えて、ふるさとの『創造』の段階に足を踏み入れているのかもしれない。

 …『町』の時計が前へ前へと進んでいく一方で、『ひと』の時計は行きつ戻りつを繰り返す。それを忘れるな、と自戒した。書き手として自分が言葉を尽くして伝えるべきものは、『町』と『ひと』のどちらなのか――わかっているよな、と肝に銘じた」

 重松氏はまた、「単行本版のときは見過ごしていたことに気がついた。…『目処』という言葉が、驚くほど数多く用いられていたのだ。…それは書き手として恥じ入るべき話である。…いまだに『目処』すら立たない原発事故など幾つもの事柄に、あらためてやりきれなさや憤りがつのらないか? 」と書いている。

 しかし、記者は「目処」よりも「希望」が頻繁に出てくるのに戸惑いを覚えた。タイトルからして「希望の地図」だから多いのはやむを得ないが、ざっと数えたら95個もあった。「人々の希望を背負って」「涙と希望の成人式」「希望というのは、未来があるから使える言葉なんだよ」などだ。ページ数は280ページくらいだから、3ページに1回出てくる勘定だ。

 さすがに重松氏も自らをとがめたのか。「『希望』の響きや字面が、甘くはないか。軽くはないか。とても怖い。単行本刊行からの三年間で、『希望』という言葉は、こんなにも磨り減らされ、疑われ、色褪せて、時として欺瞞や偽善や選挙活動の小道具にまで貶められたのだから。

 もしも題名に冠した『希望』に違和感を覚える方がいらっしゃったら、そして、その違和感が辛い記憶を呼び起こしてしまったり、悲しい思いを生んでしまったりしたなら、書き手として心からお詫びしたい」と書く。

 記者も「希望」に違和感を覚えた一人で、「希望」やら「平和」やら手あかにまみれ陳腐化した言葉などむやみやたらに使うものではないと思っている。

 重松氏の作品をいま一つ好きになれないのは次の一文に象徴的に表れている。「そのうえで、しかしあえて、改題は行わずに文庫化させていただく。『希望』とは未来に向けての思いである。キツい現在を踏ん張るための底力である。…『希望』はある。絶対にある」――まだ「希望はあるというものでもなく、ないというものでもない」と書いた魯迅のほうが正直だ。

 

 

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