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2015/04/02(木) 00:00

東京建物「Brillia Towers目黒」の坪600万円が意味するもの

投稿者:  牧田司

 東京建物の「Brillia Towers目黒」がヴェールを脱いだ。記者の坪単価予想550万円はものの見事に外れ、600万円になることが分かった。高いか安いか、これは最終的には市場(ユーザー)が決めることだ。

 しかし、「目黒」で坪600万円の値が付いたことで、今後の都心のマンションは高値を続々更新してくるのは間違いない。先に住友不動産が竣工見学会を行った「高田馬場」も「池袋」も坪400万円だ。分譲時には「安くない」と思ったが、今となったらこれは安いか。立地、その他総合的な評価ではもちろん「目黒」だが、坪200万円も差があるのか。

 さらに、駅力からいったら山手線29駅で「目黒」を上回るのは、東京を筆頭に、品川、新宿、原宿、渋谷、恵比寿、有楽町などがあり、比較感から他の駅も軒並み400万円以上になる。山手線内の高級住宅街は最低でも700万円、800万円以上つけないとバランスが取れない。

 他のデベロッパーはこれ、つまり他社物件が高値をつけるのを待っていたのだ。今回の「目黒」がメルクマールとなって、数字が独り歩きし、さらにヒートアップするのではないか。

◇      ◆     ◇

 もうずいぶん昔のことなので記憶はさだかではないが、「目黒」を見学しながら、バブル発生当時の狂乱人気を思い出した。昭和61年のころだ。東洋製糖の子会社ヨートー開発(平成11年12月に解散)が「ヴェラハイツ目黒ガーデン」(79戸)を分譲開始した。記者は売れ行きを確認するために同社に聞いたら、何とほとんどを一般のユーザーではなくて不動産会社が買い占めたというのだ。販売する前に〝即日完売〟したのだ。

 その後、割安感のあるマンションには数日前から現地に申し込み希望者が並び、ホームレスを雇って抽選券を手に入れる人も現れた。デベロッパーは対抗策として、申し込み時に印鑑証明を提出することを求めた。

 住宅金融公庫融資付きなどの新築は、抽選分譲しなければならないという縛りがあったため、不動産業者は投資用マンションや中古をターゲットにした。買い取り専門業者は月に数百億円の仕入れを行っていた。戸数にして数百戸だ。転売するごとに価格は跳ね上がり、1回転すると価格は倍になっていたというのはざらだった。

 億ションの代名詞「広尾ガーデンヒルズ」は、昭和60年ころの坪550万円くらいだったのが、バブルがはじける平成2年には坪3,000万円を突破した。マンションは株と同じ投機の対象となった。

 新築は国土法の規制がありなかなか高値追求はできなかったが、当時、億ションをたくさん手掛けていたドムスは、あとで当局から摘発されることとなったのだが、1戸44億円の億ションを麻布で分譲した。これは今でもマンションの最高価格記録になっているはずだ。

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 とりとめのないことを書いてきたが、「バブル」とはいったい何だったのか簡単に振り返ってみたい。

 バブルの発生については諸説があり、ミルトン・フリードマンは「日本の『バブル経済』は1987年のルーブル合意がもたらしたものである」と指摘し、野口悠紀雄は1987年11月に「バブルで膨らんだ地価」という論文で「私の知る限り、この時期の地価高騰を『バブル』という言葉で規定したのは、これが最初である」と語っている。

 しかし、記者はもっと早い段階で「バブル」は発生していたと思う。「バブル」という言葉は言いえて妙で当時〝なるほど〟と感心したものだが、われわれ業界人は「狂乱地価」という言葉で不動産市場を表現した。

 その狂乱地価、バブル経済が顕在化したのは昭和60~61年だ。昭和60年の天皇在位60年記念硬貨と61年秋に分譲された民活マンション第一号の「西戸山タワーホウムズ」、そして62年2月に売り出されたNTT株を称して「3大財テク商品」としてマスコミは報じた。

 「西戸山タワーホウムズ」は、モデルルームオープンが真夏でパンフレットも有料だったが、連日、隣の西戸山公園を見学希望者がとぐろを巻いた。来場者、申込者もケタ違いだった。最近のマンションの来場者数は数千人もあれば話題を呼ぶが、「西戸山」は約6万人が押し寄せた。購入希望者は、北は北海道から南は鹿児島までに及び、分譲戸数576戸に対して購入申し込み倍率は実に44.2倍に達した。

 NTT株は売り出し初日には値が付かず、売り出し価格1,197,000円に対して初値が付いたのは翌日で1,600,000円だった。1日で約40万円の値上がりだった。まさに濡れ手に泡の狂乱ぶりだった。

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 先に書いたヨートー開発のマンションは、「西戸山」や「NTT株」の時期と重なるはずだし、もう一つ、今回の「目黒」が呼び水となって市場を過熱させる機能を果たすのではないかと予測する〝根拠〟がある。

 根拠と言っても理論的に証明できないのだが、どういうわけかマンション市場の好不調のターニングポイントが春とか夏休み明けとかに集中しているのだ。

 古い話だが、〝不況期の大量供給〟と言われた昭和57年の夏休み明けの9月初めの日曜日、首都圏を台風が襲った。記者はマンションの抽選会を取材するため家を出た。1、2分も経たないうちに、濡れ鼠になり取材を断念した。多くのマンション販売現場が水浸しになり、販売を中止するところが続出した。その後、不況に突入していった。

 バブルの発生は五月雨式にやってきたが、決定的な後押しになったのは3月末の春休みに発表される地価公示だった。地価上昇が報じられ〝買い安心〟を誘った。

 バブル崩壊も平成2年の夏休み明けの9月上旬だった。株価が暴落し、ほとんどすべての株は売り気配で値が付かなかった。バブル崩壊の予兆とも言うべき1987年10月19日ブラックマンデーも文字通り休み明けだった。

 バブル崩壊の痛手からようやく回復しかけた市場に冷水を浴びせかけたのも2007(平成19)年夏のサブプライムローン問題だった。その翌年9月、リーマン・ショックが全世界を襲った。どちらも夏休み中とその直後だった。

 そして今日は春爛漫の春休みではないか。これまでのマンション市場と異なるのは、主役が若干異なることだ。かつてのバブルの主役は金融機関と不動産業者だった。

 今回は、主役とまではいかないまでも先導役を果たすのはアジアの投資マネーだ。いま、都心マンションの契約者の3割、4割がアジア系企業(個人)というマンションも少なくないはずだ。バブル期もそうだったように、都心部のいわゆるビンテージマンションと呼ばれる中古がターゲットになる。

 いったいいくらのお金が不動産投資用に注がれているのか記者はよく分からないが、1兆円くらいではないかと思っていた。

 この予想を日経新聞が裏付けてくれた。3月26日付のコラム記事「反転うかがう地価」は、「都市未来総合研究所によると、14年の国内の不動産取引額は約5兆600億円と前年比16%伸びた。とりわけ外資系ファンドなど海外企業の投資は1兆円弱と前年の2.7倍だ」と書いている。

 バブルで痛い目に遭い、リーマン・ショックで打ちのめされ、さらに3.11で追い打ちをかけられた記者は、もう2度とつらい目には遭いたくないと思っているのだが、少なくとも2020年の東京オリンピックまでは市場を冷やす材料は見つからない。「国土強靭化」に突き進むのだろうか。普通のサラリーマンはその心構えも基礎体力も回復していないと思うのだが…。

 

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