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2016/01/20(水) 00:00

前途多難 佐倉市・千成に見る郊外団地の現状と課題

投稿者:  牧田司

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「千成ニュータウン」の街並み

 皆さんは「千葉県佐倉市」から何を連想されるだろうか。野球好きの記者はすぐ「長嶋茂雄さんの出身地」と反応するのだが、不動産業界では、昭和40年代の高度成長期から60年代にかけて、大量の建売住宅やマンションなどが分譲された東京のベッドタウンとして知られる。最盛期には7,000万円から8,000万円の建売住宅が飛ぶように売れた。

 しかし、開発が早かったための課題・難題がここにきて重くのしかかってきている。建物の老朽化、居住者の高齢化、世帯分離による子世代の転出・人口減少などだ。

これらの問題が集中的に表れている市内の「千成ニュータウン」を見て回った。

◇       ◆     ◇

 京成佐倉駅からなだらかな坂道を上って十数分。長嶋さんが通った佐倉高校の隣に「千成ニュータウン」はある。新宿に本社を構えていた成田屋工務店が昭和40年代初期に開発した総戸数が1,119戸もある大規模な一戸建ての団地だ。

 「千成」の名前は、千葉市と成田市の間にあることから名付けられたと多くの人は思っているようだが、そうではない。記者は豊臣秀吉の馬印「千成瓢箪」にちなんで名づけたと当時の同社関係者から聞いていた。第2、第3の「千成」を同社は計画していた。しかし、その遠大な計画はとん挫する。過大な投資が負担となり、同社は昭和60年代の初期に破たんした。バブル崩壊の予兆でもあった。

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千成東小学校の近く

地価公示の4分の1でも売れない高台の土地

 全ての住宅地を見て回ったわけではないが、なにしろ都市計画法ができる前だ。道路幅は5メートルくらいあったが、隅切りはなく、新しいガス管に替えたためか、黒いアスファルトの跡が生々しい。

 開発当初の平屋建てなどがそのまま残っている住宅の割合は1、2割程度しかない。多くは建て替えられたりリフォームされたりした住宅だ。もちろん地区計画や建築協定などなかった時代だ。外観もまちまちで、古い住宅と新しい住宅が混在している風景は異形の街と言えなくもない。

 空き家はどれくらいあるか判然としなかったが、見かけ上は10軒に1軒あるかどうかだった。建て替え工事中の建物もいくつか見た。かつては商店だったものはほとんど閉店していた。街の中心部に蕎麦屋があるくらいだ。街ゆく人はほとんど見かけなかった。

 いったい、いくらくらいで住宅や土地が取り引きされているのか。平成27年度の公示地価によると、千成2丁目の住宅地の坪単価は約14万円だ。住宅・土地の売り情報もおおむねその前後となっている。

 ところが、地元のトクスイ不動産が扱っている千成1丁目の80坪の土地の売り出し価格は290万円、坪単価にして約3.6万円になっている。公示地価の4分の1の価格だ。

 なぜそんなに安いのか。「この土地は敷地延長部分に階段が30段以上あるのがネックとなり、なかなか売れません。地域の活性化や空き家の解消は難しい問題です。私は佐倉が地元で39歳ですが、私が小学生の頃の千成の小学校は1クラス3~4組ありましたが、確か今は1組のはずです」と同社の担当者は話した。階段1段当たりのステップを仮に18センチとすると5メートル以上だ。

 千成ニュータウンは山あり谷ありの起伏の激しい住宅地であるのも特徴の一つだ。団地内は比高差にして20メートルくらいはあるのではないか。

「77歳の夫は世田谷まで通っています」

 居住者の女性に話を聞いた。

 「主人は77歳、私は74歳。成田屋さんから土地を買ったのは昭和54年。50坪で1,250万円(坪単価25万円)。成田屋さんは家も建てさせてくれといったのですが、大手のハウスメーカーに建ててもらったんです。お父さんはサラリーマンですが、元気でまだ働いています。世田谷まで毎日2時間かけて通勤しています。『俺は85歳まで元気で働く』と言っています。

 街の将来? そうですね、みんな歳をとってきて、お年寄りが亡くなるとそのまま空き家になってきています。昔はスーパーもあったんですがね…。

 私も娘が二人いるんですが、『おいでよ』と言われているので、一人になったら引っ越すか老人ホームに行くか考えています。家は近く1,000万円かけてリフォームします」

 Aさんが40歳の時、昭和54年に買った土地は坪25万円。いまの地価公示はその半値だ。土地が値下がりすることなど、Aさんは夢にも思わなかったはずだ。

 若い人は信じられないだろうが、昭和40年代から60年代の土地神話が生きていたころは、一般のサラリーマンが土地付きの一戸建てを取得できたのは、千成ニュータウンのような都心から1時間、2時間かかるところしかなかった。

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佐倉市役所

千成ニュータウン 高齢者人口比率は推定40%超

 市のデータによると、総人口はピーク時の平成23年の約17.8万人から漸減しており、27年12月末現在17.7万人。ほとんど横ばいだが、23年のデータでは外国人をカウントしておらず、27年には外国人(2,407人)を含めているのでこのような結果となっている。平成42年には約15万人に減少すると予測されている。空き家は平成13年の2,380戸から20年に8,230戸へと約3.5倍に増加している。

 千成ニュータウンの数値は深刻だ。千成1~3丁目の世帯数は平成13年の1,092世帯から27年12月の1,047世帯へと4.1%、人口は3,155人から2,425人へと23.1%、1世帯当たり人口は13年の約2.9人から約2.3人へとそれぞれ減少。

 高齢者人口比率は平成13年の14.0%から22年には31.3%へと大幅に増え、27年は推定だが間違いなく40%を突破しているはずだ。幼年人口比率は13年の11.1%から22年には8.8%と10%を割り込んでいる。

 大きな特徴は、平成13年の時点で約250人いた25~29歳の層は22年(35~39歳)には約180人へと3割近く減少していることだ。結婚、転出などによって街を離れる人が多いことを物語っている。

 市は、人口減少に歯止めをかけるとともに、住みよい環境を確保して将来にわたって活力ある社会を維持していくため昨年10月、将来ビジョンを描いた「佐倉市まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定した。

 企業誘致の推進、雇用拡大・就業支援、若者世帯等の親との近居・同居の住み替え支援、中古住宅リフォーム支援事業、空き家等を活用した移住者支援などを打ち出し、3団地を団地再生モデル事業として掲げている。

 また、空き家法の施行を受けて、空き家対策計画の策定、協議会設置、情報収集などを進めていくが、空き家の除却などに対する補助は行わない方針だ。団地再生モデルについても具体的な対象団地は決まっていない。

 市のホームページによると、市にゆかりのある人物として明治の洋画家・浅井忠や津田塾大学の前身、女子英学塾を開いた津田梅子が紹介されていた。

 市役所のエントランスにはモンキー・パンチさんも紹介されていたが、長嶋茂雄さんはなかった。長嶋さんを前面に打ち出せば効果的だろうと記者は思うが、長嶋さんは田園調布の人か。

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市役所の市紹介コーナー(背番号3は長嶋さんのユニフォームではなかった。モンキー・パンチさんを紹介するものだった。その上の背番号10はサッカーの本田選手を紹介するものだった。佐倉市にサッカースクールがあるようだ)

空き家対策 喫緊の課題ではあるが難問も山積(2016/1/18)

 

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