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2016/02/17(水) 00:00

旭化成不レジ わが国初の分譲マンション建て替えは「ヒカリエ」に隣接

投稿者:  牧田司

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建て替え後の完成予想図 

 旭化成不動産レジデンスは2月17日、築63年のわが国初の分譲マンション「宮益坂ビルディング」の建て替え説明会・見学会を行った。分譲当時は10坪で約100万円で、今の価値にすると億ションだったそうだが、いったいいくらになるのか、ワクワクするマンションだ。建て替え後は商業・事務所とマンションの複合になる。

 物件は、渋谷駅から徒歩1~2分、渋谷区渋谷2丁目の「ヒカリエ」に隣接した敷地面積約1,311㎡、地下1階地上11階建て(高さ規制はいわゆる「百尺規制」により31mまで)延べ床面積約7,872㎡。1階から4階が事務所・店舗で44区画、住居部分は5階以上70戸。建て替え計画では地下2階建て地上15階建て(地区計画の絶対高さ規制は60m)、延べ床面積約14,553㎡。住宅は約30~78㎡、事務所・店舗は37区画。竣工予定は2019年。還元率は75~80%程度になる模様。

 同社開発営業本部長・中園明弘氏は、「わが国初の分譲マンション建て替えに参画できたことは非常に光栄。今回の建て替えが25棟目の着工になる予定。建て替えは当社のコア事業で、トップランナーとして今後、年間10棟の着工を目指し態勢を整えていく」と挨拶した。

 同社開発営業本部・マンション建替え研究所長・向田慎二氏は、複合建て替えで渋谷の立地条件などから「マンションはSOHO利用やベンチャーの入居を想定した商品企画にしたい」などと語った。

 また、マンション管理組合理事長・ウレマン フレッド氏は「30数年前、事務所を構えた。それぞれ自分のわがままを通すのでなく、合意形成を図ることに力を注ぐべきことを学んだ」と振り返った。

 区分所有者の一人、満田照世氏は「昨年亡くなるまで母が住んでいた。私は15年前から理事を務めているが、『面倒くさいからこのままでいいのよ』といつも言っていた無精者の母のお陰で、63年前当時のままの部屋が残った。昨日、ビルの中で最後の会議を行った。和気あいあい、とてもいい雰囲気で最後の会議を締めることができた。この地で続いていたことがまた次代に引き継がれることになって非常にうれしい」と話した。

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現在の外観

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昭和30年の現地周辺(写真はすべて満田氏のお宅)

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ピクチャーレール付きの床の間(左)と通気口

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当時のままの襖(左)とトイレ

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当時のままの食器棚(左)、下足入れ(中)、玄関収納(右、下部は炭入れ)

◇       ◆     ◇

 多くの建て替えマンションを取材しているが、こんなにワクワクして話を聞いていたことはない。「ヒカリエ」に隣接したわが国初の分譲マンションがどのようなものに生まれ変わるのか、想像するだけで楽しくなってくる。もちろん、最大の関心事は価格がいくらになるかだ。以下、当時の状況を紹介しながら思いつくままに書く。

 専有面積(当時はそのような概念はなかったが)34.01㎡で価格は1022,000円だった。支払い条件は3割・7割の2回払い。

 主な設備仕様などは、電気・水道は個別契約でなくビル全体で契約、電話交換手が内線で接続(管理人室横に電話交換手)。ダストシュート、メールシュート付き、エレベータにはブルーの制服のエレベータガール、ガス風呂・水洗トイレ付き、和室に床の間付き、スチール窓サッシの内側には木製枠付き、居室のサッシは上吊型でレールなし、居室に通気口付き、玄関に下足入れと別の収納・炭入れスペース付き、キッチンカウンターは人造大理石張り、外廊下はサッシ付き、ビル内に医院・歯科医院が併設など。

 配布された資料によると、竣工当時の新聞は「天国の100万円アパート」「お金持ちアパート」「ここは停電も断水もない天国の家」「この文化アパートは区の文化水準を示すものとして誇りに思う」(渋谷区助役談)「住宅70室に対して会社重役が47人申し込み」などと報じたそうだ。

 昭和28年は、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた年で、わが国は戦争特需の恩恵によってその後の経済発展のスタートを切った年と言われる。NHKがテレビ放送を開始し、伊東絹子さんの「八頭身」が流行語になったのもこの年だ(彼女の水着姿はよく覚えている)。しかし、スターリン死去後の米ソ冷戦時代は激化の一途で、吉田首相の「バカヤロー解散」など世情は混とんとしていた時代だった。

 当時はもちろん〝億ション〟という言葉はなかったが、今の価値で測ると「億ションだった」(管理組合理事長・ウレマン フレッド氏)ようだ。

 記者も昭和28年当時のことは全然思い出せないが、森永キャラメルが8個入りで10円だった時代だ。1円、2円でお菓子が買えた。当時の100万円は設備仕様の豪華さも考慮に入れると、今の1億円以上の価値が確かにあると思う。つまり坪1,000万円以上ということだ。

 さて、それではいったいいくらで分譲されるのか。竣工はオリンピックの1年前の2019年。分譲はそれより前の来年か再来年だ。その頃のマンション市場がどうなっているか読めないが、渋谷の再開発の未来像がより具体的になるはずだ。

 しかし、高さ規制60mのため15階建てにしかならず、敷地南側には「ヒカリエ」がそびえ、日照はほとんど期待できず、宮益坂に面した北向き住戸となる。これは大きな難点だ。スカイデッキで銀座線と接続されるメリットを考慮しても、坪1,000万円で分譲するのは難しいと思う。市場が沸騰すれば坪800万円はあるかもしれないし、利回り3%とすると坪800万円は妥当な価格にも思えるが、果たしてどうなるか。記者なら自然光採光システムを採用して、全ての居室に光を取り込む工夫をする。これは相当の価値があるはずだ。

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ウレマン氏(左)と満田氏

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廊下

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真鍮の手すりとらせん階段(手すりは人造大理石)

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屋上のボイラー煙突(左、背後の建物は「ヒカリエ」)とエントランス照明

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ダストシュート

旭化成不動産レジ、わが国初の分譲マンション「宮益坂」建て替えへ(2015/2/9)

 

 

 

 

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