フージャースホールディングス グループ経営方針発表会・懇親会(グランドプリンス新高輪)
フージャースホールディングスは5月19日、グループ経営方針発表会・懇親会を開催した。従来のアナリスト・報道陣だけではなく、すべての取引関係者を対象にしたもので、会場となったグランドプリンス新高輪国際館パミールの大宴会場は約550名の参加者で埋め尽くされた。
冒頭、挨拶に立った廣岡哲也社長は、「ここ数年事業の多角化を進めてきた結果、事業内容が分かりづらくなってきており、報告セグメントを変更し、企業理念を含めた方向性を明確に示すことで、関係者の皆さんの一層の理解と支援をお願いしたい」などと開催の趣旨について述べた。
向こう5カ年の経営方針として、企業理念として掲げる〝全ての人の「欲しかった暮らし」を叶える〟ため、①エリア拡大②ターゲット拡大③事業範囲拡大-の三つの挑戦を掲げた。平成21年3月期には売上高1,000億円(平成28年3月期は359億円)、経常利益100億円(同28億円)を目指す。
エリア拡大については、現在、全国33カ所で展開中の分譲マンションや復興・再開発、地方創生、リノベーションとリゾートも視野に入れさらに拡大するとした。5月19日付で九州支店を開設した。
ターゲット拡大については、これまでほとんど供給のなかったシニア向けを5カ所以上で分譲・計画しており、M&Aによるシニア向けスポーツクラブの運営やCCRCへの展開、富裕層向けリゾートマンション、アパート投資事業も進める。
事業範囲の拡大については、コンバージョン、不動産投資、都心のコンパクトマンションなどの事業を行う。
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記者は最近まで知らなかったのだが、平成26年3月まで野村不動産ホールディングス代表取締役副社長執行役員だった松本聖二氏が同社の社外取締役に昨年9月に就任した。松本氏はこの日の懇親会で他の経営陣とともに紹介された。
松本氏は「フージャースさんがリーマンショックの影響で資産を売却せざるを得なくなったときからのお付き合い。廣岡さんの人格にも惚れた。微力ではあるが発展に貢献したい」と話した。
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Slow and steady wins the race-廣岡社長の人柄なのか、最近の同社の堅実な事業そのものを反映した発表会だった。
広い会場に用意されていた席は約600席。「どうぞ、前から順番にお座りください」-同社スタッフの誘導が完璧だった。例えは適当でないかもしれないが、参加者は将棋の駒かドミノの牌のように最前列から一つの空席もなくきれいに並べられた。まるで小学校の入学式か葬列のようだった。
これがよかった。適度な緊張感を生んだ。約1時間20分間、席を立つ人も私語を交す人も居眠りをする人もなく、廣岡社長などの話に聞き入り、それこそしわぶき一つ聞こえなかった。参加者がてんでんばらばらに座ったら収拾がつかなかったはずだ。
廣岡氏の話そのものはプロジェクターに忠実に添ったもので、笑いを誘ったり洒落を飛ばしたりするような場面はほとんどなかった。
それでも参加者はみんな集中して廣岡氏の話を聞いた。それはなぜか。第一は分かりやすいということだろうと思う。記者は常々、人が相手に分かりやすく話すのは1分間に200~250字くらいが適当だと思っているが、廣岡社長はそれくらいの範囲だったはずだ。
もう一つは、この種の会合では言いたいことは3つくらいに絞るべきだと思っているが、廣岡社長も伝えたいことを絞り、それを何度も繰り返した。
廣岡社長の人柄を示す例を一つ紹介する。廣岡社長は東日本大震災の被害状況を見るために岩手県の湾岸から浦安までレンタカーを借りて駆け巡ったそうだが、「事業を通じて具体的な支援を行ないたい」と強く感じたという。その思いは石巻、塩釜、いわきなどの復興・再開発プロジェクトの実現につながった。
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記者が勝手に〝この方を知らなければ業界モグリ〟と思っているだけかもしれないが、この方について書く。会場でばったり出くわした。
かつて昔、億ションの代名詞のような「ドムス」という会社があった。坪単価2,000万円とか3,000万円、グロスにして1戸44億円という決して塗り替えられない記録を打ち立てた会社だ。その販売事務所にこの方はいた。今でいえば派遣だろうが、当時はハウジングアドバイザーと呼ばれていた、そのうちの一人だった。
例えていうなら、吉永小百合さんと八千草薫さん(記者は美人といえばこの二人しか思い浮かばない)を足して2で割って、しかも2回りくらい若くしたような、こちらが赤面するくらいの美女だった。
バブルが崩壊してややあって、この方はある会社の広報担当になった。たまたまその会社の役員を同僚の記者がインタビューすることになった。記者はその記者に懇願してカメラマンとして同行した。
インタビューの部屋には役員の近くにその方が座っていた。記者は役員の写真を撮るふりをしてその方を撮りまくった。役員は怪訝な顔をしたが、なにも言わなかった。20枚くらいは撮っただろうか。
インタビューを終えて外に出て記者は「やった!」と快哉を叫んだ。早く写真屋で現像してもらおうと、その場でフィルムを巻き戻した。ン? 手ごたえがない。そこで初めてフィルムが装てんされていなかったことに気が付いた。
あれから30年くらいがたつ。この方の年齢は分からないが、当時すでに成人していたはずだから、22+30=50歳代にはなっているはずだ。
本人は「いやだ」「ダメ」と断ったが、押し切り30年越しにこの方の写真を撮ることができた。
何を隠そう、この方こそ知る人ぞ知る、当時の会社を辞められ、20年前にマンションの販売スタッフ会社「ミューズ・ワン」を立ち上げた小林美穂氏だ。
「書かないで」とも言われたが、記者の五段活用には未然形の「書かない」はなく、「書きます」「書く」「書くとき」「書けば」「書け」しかない。
どうだろう、八千草薫さんを茶髪にしたらきっとこうなるはずだ。(写真はご本人提供)
デベロッパー各社の皆さん、マンションの販売スタッフはミューズ・ワンに依頼してください。苦戦物件が得意だから、間違いなく売ってくれるはずです。