埼玉県住まいづくり協議会が先月14日に行ったセミナー会場で、同協議会の副会長を務めるリブランの取締役会長・鈴木靜雄氏に久々に会った。
鈴木氏は、「会社には年に1回、正月に幹部らと話をするくらいで、経営には関わっていない」としながらも、現在の中堅デベロッパーに次のような手厳しい注文・檄を発した。
「われわれが30代、40代の頃は大手と戦ってきた。ヒューマンランド、タケツー、興和物産などもそうだった。いまの中堅デベロッパーは戦っていない。今こそ住居とは、コミュニティ、子育て、健康とは何か、これら数値ができない、業界が関わろうとしないところに価値がある。ここに焦点を当て深く掘り下げれば、数値化できない、見えない価値が見えてくる。マーケットは無限だ。決断するかどうかだ。われわれが提唱している倫理経営、居住福祉産業へチェンジすればマーケットは無限に広がる」と。
激しい口調に〝昔と全然変わっていない〟と思いながら、お歳を伺ったら74歳とのことだった。鈴木氏が60歳を迎えたとき、業界関係者らと還暦祝いの飲み会を行い、赤いちゃんちゃんこを羽織って「引退」をほのめかされたのを思い出した。あれから14年が経過したことになる。
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鈴木氏は第一線を退くまでは同社の社長として、「環境共生」を前面に掲げたマンション・戸建てブランド〝エコヴィレッジ〟を幅広く展開し、中堅デベロッパーをリードしたばかりでなく、業界全体にも大きな影響を与えた。大手と互角に戦った〝中堅の星〟的な存在だった。
今では常識となっている「パッシブデザイン」を真っ先に導入したのもリブランだったし、〝リビングイン〟を提唱したのも同社だった。ビオトープを備えた戸建て「川越ハートフルタウン霞の郷」は現時点でも最高傑作のひとつといえる物件だ。防音機能を備えたミュージシャン向けの賃貸マンションなども手掛けて話題を呼んだ。
また、コミュニティ支援にも力を入れ、地域のバレーボール大会を後援するなどCSRでも業界の先駆的役割を果たした。
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鈴木氏が第一線を退かれた以後は同社への取材も足が遠くなり、また全国住宅産業協会(前日本住宅建設産業協会)とも訳あって〝絶縁〟したこともあり、中堅デベロッパーの動静には疎くなっているのだが、鈴木氏が現在の住宅・不動産業界に〝シフトチェンジ〟を求める主張は説得力がある。
記者が見る限り、全住協会員会社が分譲するマンションは完全に大手との競争力を失っていると思う。リーマン・ショック後、金融機関の貸出態度が厳格化したために〝戦えなくなった〟事情は考慮しなければならないが、〝戦っていない〟という鈴木氏の指摘は的を射ている。「倫理経営」「居住福祉」の原点に立ち戻れば、前途に光明を見いだすことも可能かもしれない。
鈴木氏が実業家の滝口長太郎氏と出会い、「倫理経営」に傾倒し、神戸大学名誉教授・早川和男氏らが提唱する「居住福祉」を盛んに口にしたころと、同社の業態が劇的に変わり、業績も上昇の一途をたどった昭和60年代の前半と一致するからだ。鈴木氏は「倫理経営」「居住福祉」を間違いなく実践した。
鈴木氏が「(私たち不動産・住宅業界は)住宅と人間、社会との関係性に本質的思想が欠如されたまま突き進み続けました。その結果、住宅産業は景気産業に変容してしまい、様々な社会問題が勃発して、日本社会は現在、末期的様相を呈しています」(2011年11月8日号「住宅新報」)という認識は的を外してはいない。日々生起する問題が住居と深くかかわりあっていることは自明のことだ。
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この日、鈴木氏に同行していたリブランのミュージション事業部部長代理・田代聡夫氏が「会長は社内のだれよりも精力的に活動している」と話したが、鈴木氏は今年6月に韓国で行われた「第11回平和と繁栄のための済州フォーラム」に日本セッションの実行委員長として参加、「倫理資本主義で世界を救おう」と呼び掛けた。日本居住福祉学会でもデベロッパーとしては唯一理事として活動されている。
〝引退〟とは、「人間と居住の本質から見れば『廃拠』に等しい」従来型の不動産業からの決別であり、「居住福祉産業」へ突き進む第一歩だったのだろう。