平成28年11月6日に80歳で死去した東京建物特別顧問・南敬介氏(元会長・社長)の「お別れの会」が12月12日、都内のホテルで行われた。同社関係者や親族、各界の代表者ら約1,200人が参列した。
東京建物・佐久間一社長、喪主で妻の南美智子さんらに続き、参列者が献花をして故人との別れを惜しんだ。参列者に対する佐久間氏の「御礼」には、故人の業績について「短期間での弊社事業の建て直しを行い、弊社第2世紀に向けての基礎固めを行いました」と称えられていた。
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南氏が同社の社長に就任されたのは平成7年。バブル崩壊後の最悪期は脱し、バブルの痛手を被っていない若年層の購入意欲の高まりの中でマンション・戸建て市場が元気を取り戻しつつあったころだ。
あれはいつだったか。社長就任直後だったと思う。記者が年始あいさつ回りをした時だ。広報室にあるマイクを通じて南社長の年頭訓示が流れていた。同社の置かれている厳しい環境、克服すべき課題、目指すべき方向などを諄々と説かれた。
その話に感動した記者は、「これは業界全体の人に聞いてほしい」と思い、同社にお願いして全文を頂き、業界紙に紹介した。その時感じたのは、「眠れる東建は必ず目を覚ます」だった。
それからの同社の展開はご存じの通り。平成10年、SPC法に基づく不動産証券化第1号登録を取得。官庁整備にPFIを導入する先駆的事業「霞が関コモンゲート」でも中心的な役割を果たした。
そして何より、南社長の最大の功績は平成15年のマンション新ブランド「Brillia」の立ち上げだろうと思う。
その翌年、効果がてき面する。セイコーグループの錦糸町の工場跡地再開発「オリナス」の一環である「Brilliaタワー東京」を分譲して圧倒的な人気を呼んだ。イメージキャラクターに親日家のジャン・レノ氏を起用して話題も呼んだ。その後もマドンナ、オダギリジョーなど大物を起用して、同社のマンションイメージを劇的に向上させた。
平成18年に同社会長に退かれたが、記者に「向こう10年くらいは当社も安泰。その分の投資をした」と語った。
茶目っ気もある方だった。その翌年の4月、同社のリゾート「羽鳥湖高原レジーナの森」のリニューアルオープンイベントが行われた。
南氏は「僕のところにはてんぷらでもお茶でも、ヤーコンは何でもある。僕はここに住んでいるんだ。年間40日は利用している。ここには尾瀬に負けない湿原があって、日本一といわれるほど豊富な植物が生える。最高に素晴らしい。住民税も安い」と、リゾートがある天栄村と施設を自画自賛した。
その後、糖尿病と仲良く付き合っている記者は南氏に会うたびにヤーコン論議をした。「ヤーコン」とは、タロイモやレンコンに似た糖尿病に利くという南米原産の野菜だ。
しかし、その後の業績は順風満帆とはならなかった。リーマン・ショックが同社を襲った。平成23年12月期決算で、同社は720億円にも上る赤字を計上。南会長は経営の責任を取り相談役に退いた。そのときの感想はついに聞くことはなかったが、それでも不動産協会の新年賀詞交歓会には必ず顔を出され、しばし歓談した。業績もV字型回復を見せた。
そして来年末、南氏が用地取得に関わった「目黒駅前地区」の再開発マンション「Brillia Towers 目黒」が完成する。全661戸の坪単価が600万円超、平均価格1億1,434億円をわずか4カ月で完売させた歴史的な物件だ。完成したときのコメントが聞きたかった。「そら見ろ、〝10年は安泰〟と僕の言った通りだろ。君は何も分かっちゃいない」と高笑いするのが目に浮かぶ。
安らかにお眠りください。
合掌