「ユニバーサルデザイン2020関係府省等連絡会議 街づくり分科会(第5回)」が12月19日、開催された。同会議は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を契機として、ユニバーサルデザイン化・心のバリアフリーを推進し、大会以降のレガシーとして残していくための施策を実行するために設置されたもの。今年2月から「街づくり分科会」と「心のバリアフリー分科会」に分かれて論議されてきた。「街づくり分科会」は今回が最終会合となり、近く行われる「心のバリアフリー分科会」の最終会合ののち、最終とりまとめとして発表される予定。
この日、参加したのは座長を務める秋山哲男・中央大学研究開発機構教授をはじめとする有識者、障がい者団体、関係事業者、関係府省、オブザーバーなど56名(他に欠席者7名)にのぼった。関係府省は平田竹男・内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局長のほか、内閣府、警察庁、総務省、スポーツ庁、経済産業省、文部科学省、国土交通省などに及んでいる。
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会議は、「街づくり分科会」と「心のバリアフリー分科会」に分かれているように、「文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう」(ウィキペディア)本来の意味のユニバーサルデザイン(UD)とは若干趣旨が異なる。
これは、平田氏が説明したように「広い範囲で論議するより、今回はピンポイントを『障がい者』に絞り、クリアカットで方向性を示そうという官房長官の意向」が働いているようだ。
これに異論はない。記者はユニバーサルデザイン(UD)という言葉が一般に知られる前から取材を行ってきており、「オリンピック・パラリンピック」が動機・契機というのは情けないと思うが、あらゆる府省、関係団体が一堂に会してUDを普及させようという取り組みは大歓迎だ。画期的なことではないか。配布された資料は、工程表も含めA4で75ページにも上る。確実な実行を望みたい。
一つだけ気になる、というか承服しかねるのが「街づくり分科会」と「心のバリアフリー分科会」の両者で予定されている「共生社会の実現に向けた行動に関する共同宣言(案)」の「差別」についての現状認識だ。
宣言(案)の書き出しは次のようにある。
「過去において、障害のある人が受けてきた差別、虐待、隔離、暴力、特別視などは、わたしたちの社会において、決して受け入れられない。そして、今もそれらが存在するとすれば、断じて許されない」
みなさんは、この文章を読んでどう思われるか。記者はわざわざ「過去において」と断っているのが理解できない。障がい者に対する差別などは過去も今も行われているのは歴然とした事実だ。「わたしたちの社会は」というのも何だか変だ。これは「他の社会」では差別が行われているというほのめかしの意味で用いられているのだろうか。さらにまた、「(差別などが)存在するとすれば」という仮定形の意味も不明だ。
全体として、野蛮な国はともかくとして、日本には障がい者に対する「差別」など存在しないと言っているようにも聞こえる。
差別を行ってきたのが歴然であるからこそ、障害者権利条約にわが国は批准(2007年)したのではないか。そして、今も差別が行われているからこそ、なくそうとしているのではないか。
宣言(案)の文中に出てくる「人の命の重さに思いを馳せ」「障害者権利条約の理念を思い出し」というのも何だか変だ。人の命の重さは思い馳せるものではなく、自覚・認識するものだと考えるがどうだろう。
この宣言そのものについては、全国重症心身障害児(者)を守る会副会長・髙木正三氏が「どこかから引用して作り上げたような文章。しっかりしたものにしていただきたい」と発言した。「理念を思い出し」については、髙橋儀平・東洋大教授が「理念を踏まえか、理念を基本にか、というように改めるべき」と発言して、了承が得られた。
考えてみれば、「心のバリアフリー」も何だかわかるようで分からない言葉だ。障がい者に対する差別意識は、歴史的社会的、後天的に植え付けられたのではないか。人間は生来、そのような差別意識を持っているのだろうか。