積水ハウス「グランドメゾン品川シーサイドの杜」モデルルーム(全てが本物の中低木)
ずっと以前から気になっている分譲マンション・一戸建てのモデルルームのインテリアについて書く。断っておくが、記者は素人だ。しかし、自分で油絵を描くし、少しは美醜を分ける素養があると思っている。
モデルルームではほとんどすべてをチェックするが、もっとも重視するのは設備仕様レベルとデザイン(単なる意匠ではなく、あえて言えば品格)だ。最近は、建築費の高騰でどんどん貧しくなってきている。大理石や御影石の天板などはともかく、突板仕様のドア・建具などすっかり影をひそめてしまった。ほとんどがケミカル製品だ。
これはやむをえないとしても、あまりにもひどいのが造花の氾濫だ。坪300万円だろうが400万円だろうが、グロスにして7,00万円も8,000万円もするモデルルームでも生花が飾ってあるものなどほとんど見たことがない。
なぜそうなるかは容易に想像できる。1年も2年も使用するモデルルームに高価な手入れも必要な生花など飾れないということだろう。それよりも手入れの必要がない本物そっくりの造花のほうが来場者に強いインパクトを与えるだろうとデベロッパーは考えているはずだ。
インテリアコーディネーターは、内心ではばかばかしいと感じながら、おそらくそのようなデベロッパーの意向を忖度して派手派手しく飾ることに専念するのだろう。
一カ所でも派手に飾ると、他もすべてそうせざるを得なくなる。収拾がつかなくなり、かの岡本太郎〝芸術は爆発だ〟状態になる(岡本太郎の作品がダメと言っているのではない。TPOを言っているのだ)。そうしないと釣り合いが取れなくなるからだ。
結果どうなるか。例えば食卓。たかだか20畳大のリビングダイニングに4人掛けのテーブルを置き、そこに皿などの食器類にワイングラスを並べ、さらにいかにも造花然とした訳の分からない造花が飾ってある-こんな光景を何度見たことか。
しかし、立派なホテルやレストランでテーブルに造花が飾られているのを見たことがあるだろうか(記者は外で摘んできた草花を店のグラスに活けて怒られたことがあるが、それでも懲りずに時々そうする)。和食でも洋食でもメインは料理であり食器類だ。食卓に造花を飾るのはご法度だ。おいしいものでもまずく感じる。ましてや大ぶりの花がそぐわないことなど素人でもわかる。
そのような愚を平気でおかす。〝うちは関係ない〟と言い切れるデベロッパーはどれだけいるだろうか。天然御影のカウンターと安っぽいカサブランカやアンスリウムの造花がどうして釣り合うのか。デベロッパーは〝来場が少ない〟〝歩留まりが低い〟などと嘆くが、ユーザーの心をつかむ努力を怠っていないか考える必要がある。一生に一度の大きな買い物になるかもしれない、人生を変えるかもしれないマンションや一戸建てのモデルルームを造花で飾り立てる神経が私は理解できない。〝simple is best〟-この言葉の意味をもう一度考えてほしい。
1階の提案(これもすべて本物の中低木)
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プロパストをご存じだろうか。リーマン・ショックのとき破たんしたが、それまではデザイナーズマンションの雄として一世を風靡したデベロッパーだ。もう20年くらい前だ。都心のあるマンションのモデルルームは玄関も廊下も壁もドアもすべて白。ところどころに黒がアクセントとして用いられていた。そして、リビングのテーブルに1本の赤いバラが活けてあった。
みなさん、その光景を思い浮かべていただきたい。すべて真っ白の空間に赤いバラ1本。当時の森俊一社長は何と言ったか。「都内の花屋を駆けずり回って探してきたバラです」と。
同社は徹底してデザインにこだわった。パンフレットを入れる紙袋もそうだ。つやつや光る黒の紙袋は手の汗などを付けると汚れたようになる。同社はそうならないように艶消し処理を施した紙袋にした。
そこまでするからユーザーは感動する。マンションは感動を売る商売でもある。記者が20年も昔のことでも思い出せるのも、それだけ強い印象を受けたからだ。
現在、そうしたこだわりのマンションを供給しているところはどれだけあるだろうか。生花に限ればフージャースコーポレーションがそうだ。同社には〝営業の神〟と呼ばれる人がいて、その人の指示でモデルルームは極力生花にしているそうだ。
積水ハウスもそうだ。いま売れ行きが極めていい「グランドメゾン品川シーサイドの杜」をぜひ見学していただきたい。戸数が多いからできる芸当だが、販売事務所そのものが「杜」になっている。
記者は取材先の道端などに咲いている草花を摘み取り、濡れたティシュでくるみ家や事務所に持ち帰って飾る。今はドクダミが美しい。
わが家の洗面(ドクダミは四谷で摘んできたもの)