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2017/10/06(金) 10:09

なぜ80年間も持続できたのか 奇跡の街 入間市の「ジョンソンタウン」を歩く

投稿者:  牧田司

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「ジョンソンタウン」(ジョンソンタウン提供)

 約80年の歴史がある街、埼玉県入間市東町の「ジョンソンタウン」が今年の日本建築学会賞(業績)、第11回キッズデザイン賞優秀賞(少子化対策担当大臣賞)をそれぞれ受賞した。一昨年の平成27年には国土交通省の都市景観大賞で「都市空間部門」大賞(国土交通大臣賞)も受賞している。西武池袋線入間市駅から徒歩18分、敷地面積は約25,000㎡(約7,500坪)。平屋が中心の賃貸・店舗併用住宅79棟が建ち、130世帯210人が暮らす。稼働率が95%にも達する〝奇跡の街〟だ。

 この街のどこが素晴らしいのか、どうして80年も生き延びられたのか、大規模ニュータウンの再生・活性化やコミュニティ形成、空き家対策のヒントになるか-これらを自分の目で確かめるのが取材の目的だった。キッズデザイン賞の授賞式で「ジョンソンタウン」を経営する磯野商会の常務・磯野章雄氏(41、以下章雄氏)に取材を申し込み、今回実現した。

 「私は昭和51年生まれ。53年に創業者である祖父が82歳で亡くなったので、祖父の記憶はまったくありません。祖父の三男で私の父がいまの社長。父は平成8年、ある大手電機メーカーを58歳で退職し、祖父の長男(伯父)から事業を引き継ぎました。79歳の現在も元気で『お前(章雄氏)にはまだ任せられない。死ぬまで現役だ』と頑張っています。現役で仕事をしていることが元気の源だと思います。私は平成13年入社。この街の繁栄と発展に引き続き取り組んでいきたい」章雄氏はこう話す。

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「ジョンソンタウン」イメージ(ジョンソンタウン提供)

 少し長くなり繰り返しになるが、この街の歴史をたどる。

 創業は昭和11年。製紙会社の農園20万坪を磯野義雄氏(以下義雄氏)が競落し、「磯野農園」を開業したのに始まる。その翌年、日中戦争が勃発。義雄氏の夢であった農園経営は戦争の波に飲み込まれる。昭和13年、陸軍航空士官学校の将校住宅「磯野住宅」50戸を建設して賃貸。

 終戦後の農地解放で20万坪あった土地は約7,500坪に縮小。米軍の駐留-朝鮮戦争をきっかけに「磯野住宅」のほかに「米軍ハウス」24棟を建設、日本人と米国軍人が同じ敷地内で暮らす街となる。昭和53年、米軍基地は日本に返還、自衛隊入間基地となり、「米軍ハウス」は日本人向けに賃貸されるようになる。

 その後、義雄氏の死去に伴い、その長男が事業を引き継いだが、街は荒廃・スラム化が進行する。平成8年、義雄氏の三男で現社長の磯野達雄氏(79、以下達雄氏)が事業を引き継ぎ、街の復興・活性化に着手。約15年かけて米軍ハウスを改修、「平成ハウス」35棟を建設するなどして現在に至る。平成21年、街の名称もかつての米軍基地の名称にちなみ「磯野住宅」から「ジョンソンタウン」へ変更した。

 用途地域は第一種中高層住居専用地域と第二種住居地域。いずれも建蔽率・容積率は60%・200%。

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上空からの街なみ(ジョンソンタウン提供)

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街並み(ジョンソンタウン提供)

◇      ◆     ◇

 街並みは確かにわれわれが日常目にするそれとは異なっている。住宅・店舗のほとんどがトラス構造の平屋の木造で、しかも下見板張り、ペンキ塗り仕上げ、西部劇に出てくるようなウッドデッキ、カラフルな英語表記の看板…このような風景はまずないはずだ。

 なぜこのような異質な環境が保持されてきたのか。最大の理由は分譲ではなく賃貸であることだと考えた。章雄氏も否定しなかった。「売ってくださいという方がたくさんいらしたが、全て断ってきた。1区画40数坪から50坪くらいで、不動産活用としての効率は悪いですが、祖父が残してくれた土地。売り払ったらこの環境は守れない。今後も売却するつもりはありません」ときっぱり。

 住宅の面積は20~30坪だが、章雄氏が話したように1区画の面積が大きいのも、豊かな緑と環境を保持し続けてきた要因の一つだろう。ミニ区画だったらこうはならない。

 低層住宅と店舗が混在する街は他にない。店舗は全部で55店。内訳は飲食が20、物販が20、その他サービスが15。章雄氏は「現在の店舗数は少し過剰ではないか?と考えている。住まいと店舗のバランスを見て、今後調整していきたい」と将来の算盤をはじく。

 入居者の属性については、「30~40代が多く、職業はサラリーマンよりも、インターネットがあれば仕事ができるデザイナー、カメラマン、ライターなどが多い」という。「最寄駅からのバス路線がないので、バスの誘致を検討している」だそうだ。

 樹木が多く樹種が豊富なのも大きな特徴だ。章雄氏が「父は木を大事にしていて、タウンに生えているどんな木でも『切るな』と言われている」と話したが、それを裏付けるかのように、テラスの真ん中にでんと座り、屋根を突き抜けている大きなヒノキもあった。樹種はスギ、ヒノキ、ヒバ、クリ、シュロ、キリ、ツバキ、マツ、サクラ、モクレン、キンモクセイ、カキ、オリーブ…樹齢は間違いなく数十年から百年以上だ。圧巻というほかない。

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飲食店「カフェ&ダイニング ボンボンウェポン」

◇      ◆     ◇

 「3年前に都内から引っ越してきたのですが、人工的でない景観が気に入りました。都内ではどこに行っても車などの音がしますが、ここは音が消える。これもいいですね」飲食店「east village OTHER」のオーナー・吉田政憲氏(43)がこう語った。

 タバコを吸いたくて、コーヒーを飲みたくてこの店に入ったのは午後3時過ぎ。店内には壁時計が掛かっていたが、時間は9時20分で止っていた。吉田氏は「アメリカ製で電池が動かないんです」と笑ったが、ひょっとしたら時間がゆったり流れる雰囲気を表現する演出かもしれない。

 この店をよく利用するという大学生3人組も「(木の)テラスがあって雰囲気がいい」「駅に遠いという不便さより、ほかにない価値がここにはある」「女の子に好かれるんです。犬の散歩もできるしショッピングもできる」と話した。

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飲食店「イーストレッジ アザー」(高さ数メートルのキンモクセイが印象的。右の写真の左から3人目が吉田氏、他は利用客)

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テラスの屋根を突き抜けるヒノキ

◇      ◆     ◇

 章雄氏から祖父や父の話を聞きながら、記者は親-子-孫の3世代を描いた小説を考えた。真っ先に浮かんだのはマルケス「百年の孤独」だ。ケン・フォレット「永遠の始まり」、佐々木譲「警官の血」、さらには歴史的名著パール・バック「大地」、ロマン・ローラン「ジャン・クリストフ」など…。

 「ジョンソンタウン」は戦争に翻弄される祖父、その資産を引き継ぐ子、孫の思い入れ、葛藤がお世辞にもきれいと言えない街並みに反映されている。農地解放で20万坪の土地のほとんどを買収されたとき義雄氏は何を考えたのか、同じ敷地で米国軍人と一緒に住んだ日本人は何を考えたのか、「木を切るな」「土地を売るな」という達雄氏の〝家訓〟を章雄氏はどう守っていくのか、入居者のコミュニティは今後どのような方向に向かうのか。興味は尽きない。

 今年の春に発刊した16ページ建ての季刊誌「JOHNSON TOWN Style」は実に面白い。数人のライターが入居者をインタビューし、歴史をたどり、当時の建築技術や裏話を引き出し、コミュニティなどについて丹念な取材を行っている。写真がまたきれいだ。これからも80年の歴史の悲喜交々を追いかけてほしい。そして未来につなげてほしい。

 一つの街ですべてが完結する-これが理想だ。現在の用途地域規制の限界も感じた。

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住民同士のバーベキュー(ジョンソンタウン提供)

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冬のOne Dayマーケット(ジョンソンタウン提供)

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交差点(車のスピードを出させないための工夫か)

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路地が網の目のように走っている(ネコはまるで大家の代理人のよう)

限りなく限界集落に近い首都圏の郊外団地 人口4割減55歳以上の人口比率48.7%(2012/7/27)

 

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