旧木下工務店の創業社長で日本ハウスビルダー協会理事長、日本住宅建設産業協会(現全国住宅産業協会)の理事長を務めた木下工業会長・木下長志(きのした・ながし)氏が1月11日、急性心不全のため死去したとWeb業界紙「R.E.port」が報じた。享年92歳。
2月28日12時より京王プラザホテルで「お別れ会」が開催される。
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訃報に接したとき、しばし言葉を失った。あれほどの功績を残した方が死亡し1カ月が経つまでなぜ報じられなかったのかということだ。地元の中日新聞などはすぐに訃報を伝えている。
と同時に、昭和50年代から60年代にかけた建売住宅業界がもっとも輝いた時代がそれこそ走馬灯のようによみがえった。
いま手元に、前職の「週刊住宅」の記者時代に書いたバブルが崩壊後の「週刊住宅」平成4年3月19日号がある。首都圏マンションと建売住宅の同年2月の販売動向を伝えるもので、「マンション市場に〝春一番〟」の大見出しと「供給増え、郊外の売れ行き回復」とのサブタイトルが付いている。
建売住宅は46物件717戸が供給され、月内に494戸が成約となり月間契約率は69.4%となっている(マンションの月間契約率は64.4%)。木下工務店は「オークきおろしヴィレッジ」15期10戸を最多価格帯4,900万円台で販売し、最高12倍、平均4.2倍で即日完売したとある。
このほか、三井不動産、三菱地所、西武不動産、積水ハウス、大和ハウス工業、ミサワホーム、中央住宅、平和不動産、京成電鉄、スターツなどのほか日本新都市開発、エルカクエイ、秋田県木造住宅などの懐かしいデベロッパーの名前もある。
記者は約20年間、このマンションと建売住宅の販売動向調査を続けた。「〇〇(調査機関)の調査によれば」と他人のふんどしで相撲を取りたくなかったからだ。自分こそが情報の発信者という無分別というか若気の至りというか、驕りもあったと思う。
なぜ、この記事を持ち出したかといえば、このように毎月1回、マンションばかりでなく建売住宅の販売動向を記事にしていたことを、当時、〝建売住宅の雄〟の地位を確立した木下社長は評価してくださった。「他紙は全然市場を伝えない」と。
建売住宅は供給物件を捕捉するのが難しく、今現在も詳細なデータはどこも持ち合わせていないはずだ。
木下社長を好きだった理由はほかにもある。長野県の農村(現在は飯田市)の出身だったからだ。三重県の寒村出身の記者は若いとき「農村文学」に夢中になり、信州を舞台にした小説なども片っ端から読んだ。戦前戦後もずっと国の犠牲になり搾り取られたにも関わらず、教育に熱心(そうせざるを得なかった事情があるのだろうが)で、いかがわしい店舗を認めずギャンブル(競馬、競輪、競艇がないのは長野くらい)もご法度の、記者とは真逆のまじめな県民性に敬意を表してきた。
戦後の小説家ではやはり長野県出身の丸山健二氏こそが他社の追随を許さない最高峰で、ノーベル文学賞ものだと信じている(しかし、氏の小説を海外向けに翻訳できる人もまずいない。言外の意味を伝えるのは困難)。
木下氏には、10年くらい前に日住協の会合でお会いしたのが最後だった。「いつでもどうぞ」と長野の取材を快く承諾されたのに行かなかったのが悔やまれる。
92歳といえば大往生だろうと自分を納得させるしかない。長生きされたのは一般庶民に質の高い住宅を供給しようという高い信念・哲学を掲げ、本社があった住友ビルの10数階のオフィスまでエレベータを使わず階段を上り下りするなど身体を鍛えてきたからだと思う。