3月6日付「住宅新報」のコラム「子どもの自立と空間テーマに 旭化成ホームズがフォーラム開く」の記事に目が点になった。次のようにあった。
「欧米では▷個を認める▷子の責任を問う▷(子どもは)不満でも親に従う▷親子の信頼関係を築く▷(親が)子の心に寄り添う▷ひとり寝-を指摘。一方、日本では▷親子密着▷子の責任は問わない▷(子どもは)不満なら従わない▷親は子を見守る・世話をする▷子のプライバシーない▷川の字就寝-と分析。日本の子どもには自律(立の間違いか)の機会がないという」
講師の大阪市立大学名誉教授で、子どもと住文化研究センター理事長を務める北浦かほる氏の講演をまとめた記事だ。
記者は子育てに失敗した。語る資格はない。欧米の住文化もまったくしらない。しかし、記事だけを読むと、わが国の住文化が全否定されたような嫌な気分になった。
わが社の男女数人の社員に感想を聞いた。「文面からすると、子ども部屋を設けなさいと取れるが、子ども部屋と自立(または自律)は別問題」「これが日本の文化」という声があり、「このフォーラムって、一部屋多く売ろうとしているんじゃないですか」という女性の鋭い指摘もあった。一方では「アメリカでは小さいころからひとり寝をさせる」と、欧米の住文化を肯定的にとらえる者もいた。
記者は、子ども部屋の有無・大小と自立・自律は別問題だと考えている。先日も、半分冗談だが「子ども部屋は2畳大でいい」なんて書いた。記者などは小さいころ、子ども部屋なんか与えられなかった。
これは事実だ。囲炉裏で父親が書く漢字を書き順通り覚え、計算も学んだ。灰に字を書くのだから紙はいらない。寄合というものがあって、近所の人たちが集まって、稲の出来具合、政治の話から猥談まで、祖母の膝の上に座って経済、文化を学んだ。世の中は貧富の差が大きいことを知った。進駐軍がなにをしたかも聞いた。先日、京阪電鉄不動産の「小川」の記事でも書いたが、たき火は情報収集源だった。
いまはなくなったかもしれないが、6畳一間に住む家族が、父親が酔っぱらってか寝相が悪かったからか、太ももで赤ちゃんの子どもの鼻をふさいで死亡させるというような新聞記事も読んだことがある。
北浦氏が子ども部屋を設けなさいというのは結構だ。しかし、いまでも満足に子どもに部屋を確保できない貧しい人たちはたくさんいるはずだ。都内のファミリー賃貸は家賃が20万円以上するのではないか。
北浦氏の説に従えば、貧乏人の子どもはみんな自立・自律できない人間に育つということか。
記者はそうではないと思う。記者は田の字型のマンションプランをやめるべきとずっと昔から主張してきた。子ども部屋は小さくていいとも、夫婦の部屋を大きくすべきとも書いてきた。居住環境が人間の成長に大きな影響を与えるのは否定しないが、それが全てではない。環境に順応し、工夫をするのが人間だ。
子ども部屋の有無ではなく、社会(コミュニティ)や家族そのものが壊れてしまいそうないまの社会に問題がある。そちらのほうが深刻だ。北浦氏は「個」というが、記者は「孤」に置き換えて考えないといけないと思う。