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2018/04/02(月) 11:08

欠けるのは「愛」 記者生活40年 業界紙に期待するもの ニュースを追うな①

投稿者:  牧田司

 数回に分けて不動産業界紙について書く。昨年3月、東急不動産ホールディングス・金指潔会長が「このままでは業界紙は生き残れない」と発言して以来、事態はその通りに展開している。「週刊住宅」は自己破産し、その後復刊したもののページ数は半減した。創業70周年の老舗「住宅新報」は今年2月、分社化し、出版部門を切り離し、新聞部門は社名も「住宅新報社」から「住宅新報」に変更した。紙面が一新さることを期待したが、記事を読む限りではむしろ退化、劣化しているとしか思えない。忸怩たる思いがする。業界関係者からも批判的な声が頻々と発せられている。

 批判記事を書くことは、さらに状況を悪化させないとも限らず、天に唾するようなものかもしれないが、M.J.アドラー/C.V.ドーレン「本を読む本」(講談社学術文庫)には「著者に語り返すことは、読者に与えられた機会であり、また義務でもある」とある。記者を育ててくれたのは不動産業界紙だ。書くことは業界紙への恩返しでもある。

 年間100~200件の分譲マンションや戸建ての現場取材を40年近くにわたって行ってきた記者の経験、取材姿勢を伝えることは若い記者の方々に参考になるはずだ。

 内容的にはかなり辛辣な言い回しもあるが、それは記者の品性の低さの反映であって、ためにするものではないことは読んでいただければ理解していただけるはずだ。なによりも業界の発展のための、記者なりのラブコールだと受け止めていただきたい。

 記事量は400字原稿用紙にして18枚を超えるが、一言で結論を言えば、業界紙に欠如しているのは「愛」だ。「愛」とは、言うまでもなく惜しみなく奪う欲望であり、全てを与えたいという献身だ。

ニュースを追うな 勝てない記事を書くな

 

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昭和60年11月7日号「週刊住宅」

 

 〝お前はどうなんだ〟と言われそうなので書くが、記者は前職も含めてニュースを追うような記事を書いてこなかった。今も昔も業界紙は行政、民間、大手、中小、デベロッパー、ハウスメーカー、流通などといった具合に分野別に担当が振り分けられている。

 記者が前職で最初に担当したのは行政だったが、当時、住宅新報には素晴らしい記者がいた。絶対勝てないと思った。なので、担当を外してもらい、〝遊軍〟記者にしてもらった。誰も競争相手がいなかった分譲マンションや建売住宅の取材をすることに決めた。

 それで掴み取ったのが昭和57年11月、第1期分譲が平均41倍で即日完売した「広尾ガーデンヒルズ」の記事だ。記者は抽選会場に張り付いて〝熱狂ぶり〟をレポートした。

 当時のデベロッパーは鷹揚なもので、会場には入れてくれなかったが、外で片っ端からインタビューするのを見て見ぬふりをしてくれた。

 霧雨が降る寒い日だった。抽選に当たった人などに出会うことはほとんどなかったが、夕方近くだったか、満面に笑みを浮かべたきれいな女性に出会った。当選者だった。見出しにこう書いた。「その時、銀座クラブの美人ママはトイレに駆け込み歓びをかみしめた」と。

 断っておくが、当時は、読売新聞などは平気で社会面の記事に「美人ママ」と書いた。記者が出会ったその銀座のクラブのママはぽっちゃりとした本当に美人(と記者は思った)だった。「今日はわたしの誕生日」とその38歳の独身美人ママは明かした。

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昭和57年11月25日号「週刊住宅」

 ニュースを追わなければこんな楽しい記事が書ける。もう一つ二つ紹介する。昭和60年11月の「出たァ!坪1億円」の見出しの記事も、担当を持たない軽薄短小の記者だからこそ書けたと思う。噂を聞いて銀座にすっ飛んだ。関係者に話を聞き、登記簿も調べた。確証は得られなかったが、この銀座の土地が初めて坪1億円で取り引きされたのは間違いなかったはずだ。

 もう一つ、20年間くらい毎月2回発表したマンションと建売住宅の販売状況に関する記事だ。今でもそうだが、マンションと建売住宅の販売動向は不動産経済通信(同様の調査機関はほかにもあるが)の独壇場だった。他紙は「不動産経済通信の調査によれば」と二次情報として書かざるを得なかった。

 ひねくれ者の記者は他人のふんどしで相撲を取りたくなかった。自らが情報発信者にならなければ記者として自立できないという自覚があった。意を決し自分で調べることにした。毎日、マンションの広告をながめた。

 最初は容易ではなかった。取材意図が通じないモデルルームの現場からは「何? 『週刊住宅』? 知らねえよ。どこの馬の骨ともわからないお前に、どうして販売状況を教えなきゃならないんだ。しかもフリーダイアルの電話を使いやがって」と罵られた。

 それでも、必死で訴えた。「コーヒー1杯分(新聞の料金)でお宅の物件も含めて全ての物件の販売状況が分かる。その数字が嘘か本当か、少なくとも1物件はあなたが知ることができる」と。訴えが通じたのか、協力してくれるデベロッパーが増えていった。

 調査表には販売日、売主、用途地域、物件名、販売戸数、契約戸数(即日完売は最高、平均倍率)、月間契約率、交通便、最多価格帯、坪単価を掲載した。物件数は多い月はマンション、戸建て合わせて300件を超えたときもあった。これを約1週間で調べた。不動産経済通信より1~2週間早く発表した。

 建売住宅の物件捕捉率は6割くらいに達した。不動産経済通信は今でも建売住宅の捕捉率は1~2割くらいではないか。

 経験を積むうちに物件概要を読むだけで売れ行きが予測できた。いまでもマンションの坪単価を言い当てることができるのは、この調査のお陰だ。

 ここに例示したのはバブルがはじけた平成4年3月の1面記事だ。見出しは「マンション市場に〝春一番〟」で、都内のマンション月間契約率は50.3%とある。白山が坪700万円、綱島が坪500万円、下総中山は坪370万円…、千葉県布佐の戸建ては6,000万円超だ。若い方は信じられないだろうが、それが〝バブル〟だった。

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平成4年3月19日号「週刊住宅」

 

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