元大京社長、会長の横山修二氏が死去したことに伴い、全盛時の部下で幹部だった安倍徹夫氏(アンビシャス社長)が「日刊不動産経済通信」に追悼文を寄せた。同紙の承諾を得たので、全文を紹介します。
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とにかくスケールの大きい方だった。どんな状況の時でも、正道を歩む経営をされていた。
大京が上場した頃、一番辛かったのはシベリアでの捕虜の時代とオイルショックだったと講話されたことがあった。
「戦時中、学徒動員で徴兵され、戦後シベリアに3年間捕虜として抑留された。厳寒の中、坑夫として過酷な労働を強いられ、毎日満足な食事も与えられず、地下の坑道を数百メートル往来し、周りには病死する若者が続出した。朝起きたら、戦友の堀内君が亡くなっていた」と述懐されていたことがあった。
35歳で独立し、会社を急成長させ、オイルショックの頃は何度も倒産しそうな状況にあったが、どんなときでも部下を信頼し、その家族を大切にされていた。
仕事をぬかるみの道に例え、小学校時代の恩師に教わった「土牛のごとき人生を歩む」を座右の銘にしていると、社員に話をされたことがあった。
大京の売上が7,000億円を超えた頃、常に言われていたのは、投資向け不動産を扱うな、投資向けは必ず崩れる。大京は実需の会社なんだと口癖のように言われていた。
マンション事業の他に海外、特にオーストラリアの開発に夢を抱いていた。
昭和40年代後半には、ゴールドコーストやケアンズに人を派遣し、リゾートエリアの開発やホテル建設に尽力された。部下を信頼し、いつも夢を語っておられた。
私も16年間の役員時代に稟議を却下されたことは1度もなかったと記憶している。
常に部下を信頼し、部下に任せ、事業を成長させ、逆に任せたことによって傷つくことがあっても、常に人を信頼していた。
様々な思い出が走馬灯のようにめぐってくるが、事業を通して正しい道の歩き方を多くの人達が教えられたと思う。海が大好きな方だった。
心から哀悼の意を表します。