RBA OFFICIAL
 
2018/08/27(月) 17:21

前代未聞、空前絶後の挑戦 高円寺阿波踊りの音量・盛り上り度を数値化

投稿者:  牧田司

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第三企画・殿様連(第62回高円寺阿波踊り)写真は全てプロカメラマン・中村人士氏撮影

 カン カン カン ドドン コ ドン チャチャン チャチャン チャン チャン チャン ドドン ドドン ドン ドン ドン ヤットサー ヤット ヤット ドン ドン ドン…踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…

 本場の徳島とともに日本三大阿波踊りと呼ばれ、すっかり夏の風物詩として定着している「第62回高円寺阿波踊り」と「第34回南越谷阿波踊り」が8月25日(土)~26日(日)同時開催された。参加連は高円寺が119連、南越谷が79連、観客は高円寺が例年より若干少ない97万人、南越谷が過去最多の75万人だった。

 鉦と太鼓が地を揺らし、おとこ踊りが阿呆を演じ、おんな踊りが優雅に天を舞う-そんな連と観客が一体となり、何の恨みがあるのかぎらぎらと照り付ける太陽と白々しい冷笑を浴びせかける月に十分すぎるお返しをした。

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◇       ◆     ◇

 記者はこの十数年間、双方の阿波踊りを見学している。高円寺では踊り子や観客の「阿呆」ぶりを虫の目と鳥の目でしっかり観察してきた。南越谷はハウスメーカーの広報担当者と取材記者との懇親会を兼ねたもので、見学する前にかなり酒を飲みすっかり出来上がっており、肝心の有名連による舞台踊りは熟睡していることも多いのだが、芸術の域まで達した踊りを堪能している。

 今年は一念発起。考えるより行動するのが記者の真骨頂だ。鳴り物の音量と観客の歓声・盛り上りを何とか数値化できないかと仮説をたてた。早速、デジタル測定器で測ることにした。

 25日、高円寺阿波踊りの桃園演舞場近くの店舗の軒下に立ち、開始の午後5時から8時までの3時間、ほとんど一歩も動かず、左手に測定器を右手にボールペンを握り、2秒ごとに更新される数値(dBA)をクリップボードの用紙に書き込んだ。

 単純なことだが、これか実に大変、疲れる。タバコも吸えず酒も飲めず、トイレにも行けない。鳴り物や踊りはちらちらと覗くだけで、数字とにらめっこしっぱなしだ。デジタル文字の「8」と「9」が目まぐるしく変わると、実際の数字と残像がごちゃまぜになる。じっとしているだけなのに背中やわきの下、太ももに汗がしたたり落ちる。記者の領土に侵入を企てる狼藉ものも少なくない。押し合いへし合いだ。

 50連のMAXの数値を記し終えたときは息も絶え絶え、歩くことすらできなかった。歩かないのに足が痛くなることを初めて知った。(中学生の頃はいつも廊下に立たされていたが、せいぜい45分だ)RBA野球の取材のほうがはるかに楽だ。

 その結果が別表だ。測定数字には手心を一切加えていない。かわいい子どもや美しい女踊りの連には数値が上がってほしいと願ったが、測定器がそんな気持ちを忖度して誤作動した可能性は皆無のはずだ。

 測定できたのは50連だから、この日の全参加連の3分の2くらいはカバーできた。もっとも音が大きかったのは東京天水連で109。2位は吹鼓・天水連で108、3位は第三企画・殿様連、むさし南連、華純連が同数の107。このあたりの連の音はそれこそ五臓六腑が揺さぶられ、苦痛とも快感ともつかぬ感覚が鼓膜を通じて脳天を貫いた。全ての連が96以上だった。

 翌日は、踊りと観客の距離が近いパル演舞場で一部だが計測した。第三企画。殿様連がトップとなった。鳴り物の鉦を叩くのは本場仕込みの久米信廣で、太鼓はふだん重い紙を自由自在に操る川口工場の猛者が中心。日頃の鍛え方が違うのが断トツの結果をもたらしたと思われる。

 説明するまでもないが、90デシベルはカラオケの店内や怒鳴り声の大きさで、100デシベルは電車が走るガード下か声楽家の声、110デシベルは車のクラクション並みのようだ。

 こんな馬鹿馬鹿しい企みを実行に移すのは記者くらいで、前代未聞、空前絶後の愚行だろうが、数値化する意味はあるはずだ。鳴り物の音と歓声は周波数が異なるだろうから、双方を測れる測定器を使えばもっと詳細なデータが集まるのではないか。美醜を測定するロボットも開発されるのではないか。(来年はそれこそ〝美〟に焦点を当てようかしら)

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 以下は記者の独断と偏見による推論だ。正論とはかなりかけ離れているかもしれないが、それほど的は外していないのではないか。

 阿波踊りの起源や歴史については諸説があるようだが、江戸時代の百姓や町人の盆踊りだったとする説に賛成だ。武士と町人が一緒に踊ったという説もあるようだが、絶対的な階級社会ではまずありえない。この日だけは豊作祈願にかこつけ、無礼講で日ごろのうっ憤を晴らしたのではないか。

 阿波踊りが全国区になったのは、単純なリズムが覚えやすく、どこかお上を批判する意味が込められているような「阿呆」という言葉が共感を呼び、人を食った珍妙な男踊りもさることながら、やはり妖艶な女踊りにみんな魅了されたからではないか。

 とにかく衣装デザインがいい。基本のカラーは白、赤、黒、黄、青の五色。五行思想と関連があるのではないか。それぞれの色は補色の関係にあり、ややもすると滑稽な姿になるが、阿波踊りは満艦飾でありながらそれぞれの色が引き立つようにデザインされている。派手な配色も意表をついて面白い。

 そして、何よりも美しいのがチラリズムだ。浴衣姿の女性がつま先立ち、脚を上げるごとに覗くふくらはぎが男心をそそる。実にコケティッシュだ。吉田兼好の「徒然草」にある「久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通(神通力)を失ひけんは、誠に手足・はだへなどのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし」そのものだ。

 現在の女踊りは浴衣の下には何もつけず、ショーツにストッキングを穿いて踊るようだが、昔は湯文字(ゆもじ)を着ていたのではなかろうか。ウィキペディアによると、「江戸の湯文字は緋色か白で老女は浅葱色、大阪では遊女が赤で素人は白、三重では黄色が主に用いられた」とある。その名残か。多くの女踊りの浴衣の裏地は緋色のはずだ。

 そればかりではない。女性を美しく際立てるのに半月形の編み笠も大きな役割を果たしている。身長を大きく見せる効果と、上部からの光を覆うことでうなじから顎、鼻のラインを浮き立たせる効き目もある。電灯などがなかった昔は篝火をたいたはずで、そのゆらゆらと揺れる光が妖艶な表情をいや増しにしたのではないか。

 編み笠の起源は鳥追い笠とあるから、これもまた傀儡(くぐつ)、白拍子(街娼)が身に着けていたものと結びつく。その文化は平安の時代から受け継がれてきたのではないか。

 こうしてみると、阿波踊り・盆踊りは「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という死生観を漂わせながら死者を供養するとともに、庶民の性の解放を高らかに謳った舞でもあったのではないか。古今東西、文化を創るのは「阿呆」=庶民であることが証明されているようでうれしい。

 記者は「おわら風の盆」を一度見たいと思っている。高橋治の小説「風の盆恋歌」(新潮文庫)はお勧めだ。

 

 

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