RBA OFFICIAL
 
2019/03/29(金) 23:25

「たたむ」「心理的瑕疵」「平成の終焉」に違和感 国交省 新・不動産業ビジョン2030

投稿者:  牧田司

 国土交通省は3月28日、不動産業が持続的に発展していくための中長期ビジョンの策定に向けて、平成31年3月28日(木)に、第39回「社会資本整備審議会産業分科会不動産部会」を開催し、「新・不動産業ビジョン2030」(仮称)のとりまとめに向けた議論を行った。

 同部会は、少子・高齢化、人口減少社会の進展、AI・IoTなどの技術革新が進展し、社会経済が大きな変化を遂げており、また、オリンピック・パラリンピック東京大会後の概ね10年程度先を見越した不動産業の目指すべき方向性を共通して認識できる指針づくりが必要として中長期ビジョンの策定に向けた議論を進めているもの。

 新ビジョンは4月中に発表される予定。

◇       ◆     ◇

  こんなことを言っても詮無いことだが、「新・不動産ビジョン2030」(仮称)の取りまとめ案を読んで「おやっ」と思ったことが3つある。「たたむ」「心理的瑕疵」「平成の時代の終焉」いう文言だ。もちろん法律用語でもないので住宅・不動産行政に直接的な影響を及ぼすとは考えられないが、正直に言えば違和感がある。

 「たたむ」は、A4で全62ページのなかで3度登場する。①「ストック型社会」の実現に向けて「(空き家・空き地など)有効な活用方策が見込めない不動産は思い切って『たたむ』ことも視野に入れ、そのための適切な『たたみ方』や、その後の活用方策を探る必要がある」②「建替え、コンバージョン、リニューアルなど多様な選択肢の中から不動産の『たたみ方』を含めて提案し」③「不動産を早期に『たたむ』ことへの動機づけなど」だ。

 文脈からして「布団をたたみ収納する」というような意味ではなく、「店をたたむ」、つまりおしまいにするという意味で使われているのは間違いない。部会を開催した同省不動産業課でも公式文書で初めて用いた文言だという。

 どうもこの言葉は、東京都市大学教授・饗庭伸氏の著作「都市をたたむ」(花伝社、2015年12月)が初出のようで、饗庭氏は「それほど変わった言葉をつくったつもりではないのですが、拙著がきっかけで使われることになったと思います」とのコメントを寄せた。

 もう一つの「心理的瑕疵」は、「既存住宅市場の活性化が不可欠であるが、その実現を阻害しかねない要因として、昨今、過去に物件内で自殺や事件があった事実などいわゆる『心理的瑕疵』を巡る課題をどのように取り扱うべきかが課題となっている」と書かれている。

 「心理的瑕疵」は業界用語で、既存住宅市場や賃貸住宅市場で用いられており、事件などが起きたことを告げなければ重要事項説明違反に問われることもあるようだ。だが、しかし、これは社会的通年が優先するはずで、国交省の公式文書に使うべき類の「課題」ではないと思う。

 そんなことが問題になるのなら、事故死、孤独死が日常の特養や一部のサ高住はどうするのか。入居費を安くするのか。死後も「死に方」がずっと問われるのであればそれこそ死者も浮かばれない。四十九日法要(神式は五十日祭)か一周忌法要(キリスト教は1年後の昇天記念ミサがあるようだ)を過ぎれば重要事項説明から除外したらどうか。

 もう一つの「平成の時代が終焉」は、ビジョンの「おわりに」の冒頭で「平成の時代が終焉を迎えつつある…」といきなり出てくる。ここで読み進めなくなった。

 「終焉」はよく使われる言葉だ。小生も「バブルの終焉」などと何度も使用した。この語彙には有無を言わさない断絶、終息、滅亡などの強い意志が込められている。

 だから、「平成の時代が終焉」などと言われると、何だか平成と次の元号との間には大きな隔たりがあるように感じられてならない。そうならないように生前退位-新元号決定(公表)-退位・即位の儀が行なわれるのではないか。

 小生の身近な人にも「平成の時代が終焉」をどう思うかについて聞いた。「終焉」を肯定的にとらえる人もいたが、「終焉という言葉は好きではない」「デリカシーに欠ける」「中国でも使うことがあるが、意味は結末」などと話した。小生も同感だ。「幕を閉じる」もあまりいいイメージではないし、「たたむ」も適当でない。平凡だか「平成から〇〇へのリレー」「平成から〇〇へ年が明ける」などのほうがよほどいいと思うがどうだろう。

 このように書くと、反論もあるかもしれない。天皇陛下御自身が「天皇の終焉」と述べられたことがあるからだ。

 平成28年8月8日に宮内庁から発表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の中には「これまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」と記されている。

 このお言葉に対して、8月12日付毎日新聞は西川恵氏の署名入りコラムで「天皇陛下が生前退位の意向を示唆されたお言葉で、強く印象づけられたのが『天皇の終焉(しゅうえん)』という表現だ。『逝去』でも、『死亡』でもない。ここには一個人の死を超えた、天皇が体現してきたシステム、体制、時代がピリオドを打つという意味が込められているように感じる」と報じている。

 しかし、どうだろう。天皇陛下はまさに「逝去」「死亡」について触れられていると小生は考える。天皇の逝去には重い殯(もがり)や喪儀に関連する行事が続くということを説明されたのだと思う。

 だからこそ、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」退位を決断されたのではないか。

 そしてまた、「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」(在位30周年記念式典でのおことば)につながる。

 このお言葉からは、「平成の終焉」はもちろん、(国家・社会)システム、体制、時代がピリオドを打つという意味の「天皇の終焉」を示唆するものは全くないと思う。

 

rbay_ayumi.gif

 

ログイン

アカウントでログイン

ユーザ名 *
パスワード *
自動ログイン