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2019/07/08(月) 12:52

都心部で増殖する「狭小住宅」とは何か 「居住の自由」か居住環境の保護か

投稿者:  牧田司

 隠花植物か顕花植物か分からないが、都心部でどんどん増殖しているという「狭小住宅」について取材することにした。しかし、そもそも「狭小住宅」とは何かと考えたとたん行き詰まってしまった。定義などないからだ。ないものについて書くのは難しい。

 「住宅」そのものの定義だって怪しい。「人が住むための家」「すみか」(広辞苑など)くらいしか説明されていない。日本国憲法は「居住の自由」(第22条)「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(第25条)「住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利」(第35条)を謳ってはいるが、「住宅」そのものについての言及はない。

 建築基準法もしかり。居室の採光・開口部、天井の高さ(最低2.1m)などの規定はあるが、「住宅」とは何ぞやについて触れていない。都市計画法にも「住宅」の文言はしばしば登場するが、「住宅」の定義はない。

 頼みの国土交通省「住宅着工動向調査」には様々な調査項目があるにも関わらず、住宅の敷地の広さについてのデータはない。

 あるのは総務省の「住宅・土地統計調査」くらいだ。そこには「住宅」とは、「一戸建の住宅やアパートのように完全に区画された建物の一部で、一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができるように建築又は改造されたもの」と定義づけ、「完全に区画された」とはコンクリート壁や板壁などの固定的な仕切りで、同じ建物の他の部分と完全に遮断されている状態をいい、「一つの世帯が独立して家庭生活を営むことができる」とは、①一つ以上の居住室②専用・共用の炊事用流し(台所)③専用・共用のトイレ④専用・共用の出入口を有しているものとしている。

 従って、ここでは「住宅」とは総務省の定義に基づいて記述することにするが、だからといって「住宅」とは何かという本質については全く迫れていない。わが国で「住宅」なる言葉がいつから用いられていたかも不明だ。白川静「字通」には、「住まい」は字鏡集で用いられていたとあるので、平安か室町時代ではそのような概念が漠としてあったと思われる。

 しかし、奈良時代には「墾田永年私財法」があったが、江戸時代までは農民・商人などは土地の所有権はなかったはずで、「居宅」「母屋」「小屋」「家督」「妾宅」「庵」「屋敷」「長屋」「借家」などの言葉からすると、「住宅」なる言葉が市民権を得たのはずっと最近のことかもしれない。

 岸田國士は昭和18年に発表した「力としての文化――若き人々へ」(河出書房)で次のように述べている。

 「元来、住宅などといふものは、最もその国の風土習慣を重んじなければならぬものであり、その建築は、いづれの点からみても、国民生活の特色を発揮し、時代の変遷に応じたその国の文化を如実に現すべき筈のものであります。従つて、厳密に云へば、文化住宅などといふ言葉は意味をなさないのでありますが、一歩譲つて、『文化』の最尖端を行く住宅建築のことを指すなら、それは第一に、民族興隆の意気と理想とを象徴するものでなければならないのであります。
 ところが、事実は、『文化住宅』といへば、概してもの欲しさうな和洋折衷の簡便主義、赤瓦青ペンキといふ風な植民地的享楽気分が土台になつてゐるのが普通であります。
 なるほど、『文化住宅』の設計者は、これこそ経済的条件のゆるす限り、合理的かつ趣味的要求を満たしたものと云ふかも知れません。時代の風潮といふものは恐ろしいもので、合理的とは簡便第一であり、趣味的とは伝統を忘れて感覚の刺戟を追ふことだつたのであります」(青空文庫より)

 そしてまた、先の敗戦までは「国民」は「朕(天皇)の臣民」であったわけだから、「住宅」が絶対的排他的所有権として定着したのは高々この80年くらいのことかもしれない。

 …などと書いてくると、全然前へ進めない。この前の藤原正彦先生の話と同じだ。言葉でもって言葉の定義づけをするとなると堂々巡りになり、迷路にはまり込むばかりだ。

 なので、もう「住宅」の定義はよして、本題の「狭小住宅」に移ることにするが、この「狭小」なる言葉もまた難物で、とらえどころがない。「小さくて小さい」と言われても、イソップの「蛙と牛」だ。時代によって人によってその大きさ・小ささの認識はまちまちだ。数値で計れないところがある。

 参考になるのは、各自治体が条例や指導要綱で定めている最低敷地面積だ。平成14年(2002年)の都市計画法改正によって、自治体は全ての用途地域域で敷地面積の最低限度の基準を面的に定めることが可能となり、これによって最低敷地面積を定める自治体が増えている。

 例えば、中野区は「建ぺい率40%の第一種低層住居専用地域の最低敷地面積は60m」とし、平成16年6月24日施行後、敷地分割により最低敷地面積の数値を下回る建築敷地は、建築確認申請が出来なくなった。

 足立区は、「足立区環境整備基準」で事業区域の面積が150㎡以上の場合、建ぺい率によって最低敷地面積を定めており、建ぺい率が60%で駅から500mの交通利便地域では66㎡、それ以外は70㎡以上とするよう定めている。

 他の区も同様に、葛飾区の「葛飾区宅地開発指導要綱」は、6区画以上の分譲住宅の場合で建ぺい率60%の地域では66㎡以上とすることを求め、墨田区の「墨田区良好な建築物と市街地の形成に関する指導要綱」は、宅地開発を行う事業者は原則として宅地の最低敷地面積を60㎡以上と定めている。

 断っておくが、記者はだからといって敷地が60㎡、あるいは66㎡未満の住宅を「狭小住宅」と呼ぶわけではない。この前も書いたが、一概に狭小住宅を「悪」と言えない市場(住宅は「幸せ」を売る商売であり、消費者が支持するものを「悪」と決めつけるのは難しい)が形成されているのも事実だ。

 だが、しかし、これらの住宅が面的に広がったらその住宅地の資産価値はどうなるのか、再利用の際にネックにならないかなどの問題は残る。

 この誰からも制約を受けない「居住の自由」と、社会的な富ともいうべき「居住環境」の両面からこの問題にアプローチすることにする。いったい、どこに行きつくのか記者もまったくわからない。まずは実態から調べることにした。

 

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