主要ハウスメーカー広報担当者の集まり「住宅広報連絡会」が主催する「8月度臨時会」が8月24日(土)行われ、メディア関係者を含めた約40名の参加者は南越谷阿波踊りを鑑賞・体験した。
臨時会は、地域に密着したポラスの社会貢献活動を直に学ぼうと住宅関連のメディアにも呼び掛けて20年くらい前にスタート。毎年、懇親会を開き、本場の有名連による阿波踊りの舞台踊りを鑑賞し、「にわか連」として踊りを体験している。
南越谷阿波踊りは昭和60年(1985年)、徳島県出身で越谷市に本社を構えるポラスグループの創業者・中内俊三氏の提唱によりスタート。当初の約3万人だった観客は年を追うごとに増え、今年は約78万人(前年は75万人)。本場徳島と東京高円寺とともに日本三大阿波踊りと言われるまでに発展している。
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記者は、第1回目からほとんど欠かさず参加している。高円寺にも15年間くらいずっと参加しており、参加回数だけはだれにも負けない。
阿波踊りのどこがいいか。阿呆馬鹿を演じる男踊りも悪くはないが、とにかく妖艶な女踊りがいい。中でも、フラミンゴのように片足立ちする女性のピンクの浴衣裏地から覗く白い脛(はぎ)にたまらない魅力を感じる。あの久米の仙人が神通力をなくしたのと同じだ。
もう一つ、ほれ込んだのは「小股」だ。相撲の決まり手に「小股掬い」があるように、「小股の切れ上がった」いい女というと、脚の付け根を連想するスケベ男が多いかもしれないが、記者は「小股」とは、髪を結いあげたときの「うなじ」だという説に一票を投じる。うなじから立ち上る露草のようにきらきらと光るにこげを江戸時代の粋人はそう形容したのだろう。
さて、この日の南越谷阿波踊りでも、ポラスの華ともいうべき美しい女性をカメラに収めることができた。この4月まで同社の広報を務めていた神田妙子さんだ。神田さんは同社の戸建てリビング天井高2.7mにふさわしく、身長が1.7mくらいある長身で、あの深編笠をかぶるとひときわ目立つ。
もう一人、思いがけず演舞場の舗道でばったり出くわした人がいる。同社の中内晃次郎代表だ。満面に笑みをたたえていた。舞台踊りを観に行ってもどうせ眠るだけだと街に出たのが正解だった。
二次会では、業界紙の方から「百年の孤独」の差し入れがあった。感謝申し上げるのだが、どんな味だったかさっぱり思い出せない。帰るはずだった新宿ではなく、恵比寿でラーメンを食べたのを思い出した。