新型コロナの影響で当初予定の6月から7月27日延期され、その後段階的に開業となった三井不動産の公園・商業・ホテル・駐車場の複合施設「MIYASHITA PARK」を見学した。「立体都市公園制度」を活用したPPP(パブリックプライベートパートナーシップ)施設で、見学した9月3日(木)は平日であったにも関わらず、若い人などで溢れかえっていた。かつて路上生活者の〝住まい〟となっていた公園は一変した。
「立体都市公園制度」は、平成16年に都市公園法を改正し創設された制度で、様々な都市課題を解決するため、都市公園の地下を多目的に利用したり、建築物の屋上や人工地盤上に公園を設置したりすることを可能にした制度。同制度を活用した施設は横浜市の「アメリカ山公園」がある。
事業は、老朽化した宮下公園の再生・利活用増進を図るため、渋谷区が平成26年8月に公募型プロポーザルにより事業者を募集し、同27年2月に三井不動産をPPPによる事業者として決定。同29年4月の都市計画変更を経て、同29年8月に期間30年の定期借地権契約を締結。2020年4月に竣工した。
商業施設名称は「RAYARD MIYASHITA PARK(レイヤード ミヤシタパーク)」で、様々な「ヒト・モノ・コト」が集まり、それらが複層的に交わることで新しい価値が生まれる場所という想いを込め、“層・重なり”という意味の「LAYER」に、「RAY(光)+YARD(庭)」=光の当たる庭という意味を加えて「RAYARD」と名付けられた。同社の公園一体型のブランドだ。
1~3階の店舗フロアには、日本初出店の6店舗、商業施設初出店の31店舗をはじめ業種業態に捉われない様々な店舗約90店が出店。個性豊かな渋谷の新たな「ストリート」となっているのが特徴。
南街区1階には、日本の古きよき横丁文化を発信する「渋谷横丁」を構え、2、3階には公園のアクティビティと親和性の高いスポーツブランドやカルチャーブランドを配置。原宿エリアやキャットストリートと繋がる北街区1、2階には高感度なファッションブランドを揃えている。
施設は、渋谷駅から徒歩1~2分、南街区が渋谷区渋谷1 丁目、北街区が渋谷区神宮前6 丁目に位置。全長約330m、敷地面積約10,740 ㎡、延床面積約46,000 ㎡。商業棟の南街区は1~4階建てS造15,922㎡(駐輪場2階1,404 ㎡含む)、北街区は1~3階建てS造・SRC造・RC造10,649 ㎡(地下駐車場階除く)とホテル棟4~18階(240 室)、渋谷区立公園、駐車場375 台(南街区97台、北街区278台)から構成。プロジェクトアーキテクトは日建設計、設計・施工は竹中工務店。公園は専用使用権を設定し、区が運営する。三井不動産は総額235億2,100万円を支払う。
「RAYARD」ブランド第2号施設として、PFI事業による名古屋市の久屋大通公園「RAYARD Hisaya-odori Park(レイヤード ヒサヤオオドオリパーク)」が9月18日(金)に開業する。
「sequence MIYASHITA PARK」(写真提供:三井不動産)
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記者は9月3日(木)の14:30~16:30の約2時間、1階から3階の商業施設、4階の屋上公園、ホテルを見て回った。
もともとデパートなどの商業施設は好きではなく、この6か月間は繁華街に立ち寄ったこともないので、混んでいるのかそうでないのか判断できないが、その光景は異様に映った。
当然のこととはいえ、新宿駅や東京駅を行き交う人々とは全く異なっていた。10人のうち7割くらいは20代から40代の若い人で、ファッションショーから抜け出してきたような目も彩な、肌も露わな女性が圧倒的に多かった。小生のようなくたびれたスーツを着た年寄りはほとんど皆無(当たり前か)だった。
カップルだけでなく女性同士で手をつなぐ人も多く、ソーシャルディスタンスとは無縁の世界が広がっていた。昼日中というのに、電車の車両と同じように席がすべて埋まっている飲食・居酒屋なども少なくなかった。
とはいえ、コロナ対策を怠っているようには見えなかった。随所に消毒液が置かれていた。小生が利用したその場で醸造したワインが飲める「渋谷ワイナリー東京」では、マスク1枚がプレゼントされた。
来街者数人におずおずと「コロナは怖くないですか」と声をかけた。友だちが感染した人も含めて口では「怖い」といいながら、顔はみんな「大丈夫」と語っていた。-こういう人たちがafter&withコロナをリードしていくのだろうと思った。
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従前の「宮下公園」にはほろ苦い、甘酸っぱい思い出がある。星降る寒天の夜(当時は都心でも星がきれいに見えた)、公園のベンチに体を寄せたあい(当時は夜ともなると人もまばら)、〝あの星のように永遠に輝き続けるようなあなたにする〟などと永遠の愛を誓った。その数年後には、〝花を愛せる人になって〟の殺し文句、三行半の台詞でもって捨てられるとは夢にも思わなかった。もう50年も昔だ。
あれ以来、あちこちにテントが張られている光景を取材の行き帰りに横目で眺めたことはあったが、公園を訪れることはほとんどなくなった。区がナイキジャパンにネーミングライツ(命名権)を売却するため、路上生活者を排除したときからも10年が経過した。
われら団塊世代やここを塒にしていた路上生活者は、今の「MIYASHITA PARK」を訪れたらどのような思いを抱くだろうか。