野村不動産ホテルズが運営する「NOHGA HOTEL UENO TOKYO(ノーガホテル上野)」の開業4周年イベントとして11月4日から行われている「NOHGA×artwine アート体験」を6日、見学取材した。参加者は14名。大人になってからは絵を描いたことなどないと思われる人ばかりで、油絵が趣味の記者はハラハラドキドキ、ビールと白ワインを飲みながら観察・鑑賞したが、でき上ってみればみんな素晴らしい作品ばかり。最高の取材ができた。結構なことではあるが、真似するホテルが続出するのではないかと心配になったほどだ。
イベントは、ノーガホテル上野と「artwine.tokyo」がコラボしたもので、「artwine.tokyo」のエキスパートが画題に合わせたペアリングイメージを伝え、ホテル内レストラン「Bistro NOHGA」のソムリエが厳選したワインとシェフ特製カナッペを楽しみながら、講師によるレッスンを受け、自由にアートを仕上げ、作品は持ち帰りができるというもの。
イベント・画題(テーマアート)は、11月4日・ゴッホ「ひまわり」、11日・クリムト「接吻」、18日・ルノワール「桃」、25日・葛飾北斎「富嶽三十六景」の金曜日コース(19:00~21:30、限定10名)と11月6日・モネ「睡蓮」、13日・ゴッホ「星降る夜」、20日・アルコールインク、27日・アルコールインクの日曜日コース(15:00~17:00、限定16名)の2通り。
料金は一人8,800円(税込)。事前予約制で「artwine.tokyo」公式サイトhttps://artwine.tokyo/へ。
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絵画教室は珍しくともなんともないが、これは取材しないと悔いが残ると、早速取材を申し込んだ。何に興味を引かれたかといえば、ホテルワインが飲めることと画題(テーマ)だ。記者はワインではないが、このホテルで「TOKYO CRAFT」のおいしさを知ったし、ゴッホ・ひまわり、モネ・睡蓮、クリムト・接吻、ルノワール・桃、葛飾北斎・富嶽三十六景など誰もが知っている絵を、どのように模写・表現するのか見たかったからだ。
参加者を写さない、写すのは絵のみという条件付きで取材が許可された(1回のみ)。ホテルと、創作過程を取材することを了解していただいた参加者のみなさんにお礼申し上げます。
取材は、狙い通り大成功。ワインは飲み放題ではないようだが、スタッフは惜しげもなく空のグラスに継ぎ足していたし、キャンパス(6号)、絵具(アクリル)、絵筆、エプロンなどが用意され、講師から失笑を浴びることも怒られることもなく、自由に描けるこの種の教室・イベントなどはまずないはずだ。レベルの高い「プラウド」を取材するのもそうだが、こんな楽しい取材ができるのはめったにない。
記者が見学した6日のテーマは、モネが86歳で亡くなるまで200作品を描いたという「睡蓮」。参加者は14名。年齢は20代から40~50代のカップルや友人同士か。記者のような年配者はいなかった。
これは想定内だった。主催者の読み通りだったはずだ。新しい自分の可能性を探ろうとか、美とは何かを突き止めようと考える年寄りなどいるはずはない。
絵筆など小中学生以来握ったことなどない人かほとんどだったのも納得だ。講師の方が、ウルトラマリンブルーらしきアクリル絵の具で下塗りをするのを皆さんがぎこちなく真似るのを見てすぐそれはわかった。多少なりとも絵を描く人はまず模写などしない。絵画教室などに通っている人は、鉛筆か木炭のデッサンから始まり、モデルやモチーフに向かって車座になって描くのが普通だ。
だからこそ、最初は期待より不安が募った。講師の指導に忠実に従おうという必死さがひしひしと伝わってきた。それはもう痛々しかった。幼稚園児だってもっとましな絵が描けるのではないかと思ったほどだ。描いているご本人もいったい何を描いているのか見当もつかず、こんなことにお金をかける価値があるのか、家に帰ったら家族に笑われるのではないかと疑心暗鬼に陥ったのではないか。
ところが、講師の方が「パレットに使ってはいけない絵の具などありません。好きなように描いてください」「さて、皆さん、プルシャンブルーです。藍色と呼ぶ色で濃淡、影を付けましょう」と語りかけたころからか、信じられないほど、どんどんよくなっていった。(プルシャンブルーはブラックより重宝する絵具)
もう、あれやこれや書かない。皆さんの作品を写真に撮ったので見ていただきたい(うまく写っていないのは記者の腕前でも、皆さんの作品が劣っているからでも断じてない。全ては安物のデジカメのせいだ)。世界に二つとない、唯一無二の傑作ばかりだ。
その前に断っておく。絵画であろうと音楽、小説であろうと芸術は全て上手いとか下手などといった物差しで測るべきではない。好きか嫌いかだけだ。記者がもっとも好きな作家の一人、丸山健二氏の小説「月は静かに」(新潮社、2002年初版)で、主人公でもある北辺の一角に存在する五百坪の庭は次のように語っている。
「大所高所からおのれを眺めれば、私が希求してやまず、渇望してやまなかった美などというものは、所詮、束縛を助長する窮屈な尺度でしかなかった。本来大らかで、人間の悟性を超越しているべき美を条件付きの方向に局限してしまうのは、とりもなおさず美そのものの本質に背馳することだった。
美が完全なものであるならば、醜もまた完全なものであらねばならなかった」