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2024/07/17(水) 10:58

バブルに乗り踊った故・長田高明氏(99) 東京カンテイが「お別れ会」

投稿者:  牧田司

 R.E.port716日、「東京カンテイは16日、424日に99歳で死去した同社取締役会長・長田高明氏のお別れの会を、オークラ東京オークラプレステージタワー『オーチャード』」で開催。故・長田氏は19247月、山梨県北杜市生まれ。東京第三師範学校を卒業後、陸軍幹部候補生として兵籍に編入。陸軍特攻隊訓練中に終戦を迎えた。その後、小学校教員などを経て、63年に三共建物(現・朝日管理)を設立。79年に東京カンテイを設立した」と報じた。

見出しだけ読んだだけだが、不動産経済通信も同日、長田氏の「お別れの会」が「しめやかに行われた」と報じた。

◇      ◆     ◇

この記事を読んで、記者は複雑な気持ちになった。確かに長田氏は東京カンテイの創業者ではあるが、同氏が設立した旧朝日建物について触れないのはいかがなものかという思いだ。この記事を書いた記者の方は長田氏に会ったこともなく、朝日建物がどのような会社だったかを知らないはずだからやむを得ないのだろうが…せめて長田氏をよく知る参列者の声を載せてほしかった。(経済通信は載せたのか)

斯くいう記者も、長田氏とは23回くらい会っただけ、話し込んだことは一度もない。陸軍特攻隊員だったのを初めて知った。ただ、朝日建物のマンションは昭和50年代の後半から60年代の前半にかけてかなり見学した。準都心部で今でいう〝駅近〟マンションを供給していた。最後に見学したのは、1996年竣工の「朝日パリオ越谷」だった。

同社は質の高いマンションを供給したが、実兄の故・長田庄一氏(元東京相和銀行取締役会長)との関係も触れないわけにはいかない。中古マンション価格が新築マンション価格を上回った異常なバブル期に同社は中古マンションを買い漁り、いわゆる〝マンション転がし〟の急先鋒の役割を果たした。直接、同社に取材したわけではないが、年間にして数百億円、数百戸を売買していたはずで、その事業資金は東京相和銀行から流れていたというのは業界の周知の事実だった。

1999年、東京相和銀行の破綻により、朝日建物は東京地裁に和議を申請し、その後、セコムが営業権を譲り受け、ホリウチコーポレーション(堀内建設)と合併させてセコムホームライフとしてマンション分譲を継続してきた。セコムホームライフは2020年、穴吹興産グループ入りし、社名もあなぶきホームライフに変更された。そして昨年10月、穴吹興産は同社を吸収合併し、あなぶきホームライフは解散した。

 東京カンテイと朝日管理の社長は、長田氏の実子の長田千江美氏のようだが、記者は東京カンテイが設立された時、目黒駅前の雑居ビルに取材に行ったのを覚えている。今のような大きな会社になるとは夢にも思わなかった。

余談だが、「お別れの会」は本当に「しめやかに」行われたのか。記者などはこの年(75歳)になって「しめやかに」葬られるのはまっぴらごめんだ。参列者(来てくれるかどうか)に失礼だ。葬儀には好きなヘンデルの「水上の音楽」を流すよう身内に頼んでいる。

 

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