「旧用賀名主邸」従前(左)と従後
三井不動産と三井ホームは8月19日、江戸時代後期に建築された築250年以上の古民家「旧用賀名主邸」の耐震改修工事が完了したのに伴うプレス内覧会を実施した。「Hi ダイナミック制震工法」※を採用し、屋根の軽量化を図ったことで、同程度の建築物を解体・再建築する場合と比較してコストは5分の1程度に抑え、震度6強の地震でも倒壊することがないという。両社は古民家再生の新たなモデルケースとなることを期待している。
プロジェクトの経緯について、耐震改修工事の総合設計を担当した三井不動産レッツ資産活用部チーフコンサルタント・石田宏次氏は、「オーナー様とは25年くらい前からのおつきあい。相談を受けたのは1年くらい前。安全性に問題があり、雨漏りもして、床の一部にたわみがあり、安心して維持管理できるようにならないかということだった。建物はわが国の伝統的建築工法である貫工法が採用されており、関東大震災も影響はなかったと聞いている。基礎はしっかりしていたので、三井ホームの技術力を持ってすれば建物は解体しないで極力そのまま残し再生できると考え、引き受けることにした」と語った。
設計・施工を担当した三井ホーム東京支社東京オーナーサポート部副部長・内田敦氏は、「事前の調査の結果、耐震指数は0.3だった。0.7以上ないと倒壊の恐れがあったので、1.00まで引き上げることを考えた。Hiダイナミック制震工法を採用し、屋根はスギ+土+瓦の重量が1㎡当たり80㎏あったのを鋼板屋根にすることで1㎡当たり5㎏まで軽くし、全体では屋根の荷重を24tから1.5tに抑え、耐震指数は1.01以上にした。制震オイルダンパーは普通のもので5か所に施した。残せるものは極力残した。意匠などはそのままにした」と語った。
土地・建物のオーナーの飯田浩一氏(63)は、「私は16代目。2006年まで親が住んでいた。私自身も25歳まで住んでいた。耐震性に問題があり、雨漏りもしたし、強風の時などの窓の音は凄いし(飯田氏自ら窓を揺らした。その音に記者は飛び上がった)、冬は寒い。居住条件はとても厳しい。どうしたら安全に、倒木などで近隣に迷惑をかけないかをフリーハンドで考え、専門家に任せることを決断した。様々なリスクを回避することができたので、今後は結婚式場とかロケなど地域の方々に楽しんでいただける」と話した。
物件は、東急田園都市線用賀駅から徒歩8分、世田谷区上用賀3丁目に位置する敷地面積約300坪(1,000㎡)、延床面積約67坪(約220㎡)の木造平屋建て。設計・施工は三井ホーム。2025年3月に着工し、竣工は7月。
※「Hiダイナミック制震工法」は、江戸川木材工業が開発した技術で、古民家のような伝統的構法の建物にも採用可能な制震工法。建物の壁に複数の制震オイルダンパーを取り付けることで、大地震時の建物の変形を吸収し、柱や梁、壁等への負担を軽減できる。今回の工事では、建物南側の特徴的な意匠を残すため、居室の天井・床、縁側は仕上げ材も含めて改修はなっていない
「Hiダイナミック制震工法」
制震オイルダンパー
屋根
続き間の和室3室(1室全て8畳以上)
縁側
正面玄関
内田氏(左)と石田氏
飯田氏
◇ ◆ ◇
旧名主の古民家を見学するのは今回で2度目だ。わが多摩市の多摩中央公園には江戸時代の名主だった「富澤家住宅」が移築・保存されている。建築年代は不明だが、18世紀後半とも推定されており、その後かなり増改築されたとある。欄間などに立派な装飾が施されており、当時の名主がどれほどの力を持っていたかよくわかる。
今回はどうかといえば、欄間、床柱などを含め豪華さでは富澤家住宅に軍配を上げた。前述したように、これは18世紀の半ばと後半の違いではないかと解釈した。
しかし、驚いたのは柱だった。主要な柱の太さを測ったら1尺(37.88cm)角もあった。樹種はケヤキのはずだ。昔のわが家の大黒柱も太かったが、ここまではなかったはずだ。
それ以上に驚いたのは敷地内の区の保存樹に指定されている樹木だ。玄関の前には樹齢300年超と言われる剪定がまた見事なクロマツが2本(もう1本のアカマツも同じくらいではないか)植わっていた。ケヤキの巨木は差し渡し1m以上あった。そのお陰で、この日の外気温は35℃を超えていたはずだが、敷地内は30℃強ではなかったか。
それにしても、築250年以上の建坪67坪もある古民家をごく普通の耐震オイルダンパーを5か所に設置するだけで、しかも工期はわずか4か月で耐震補強ができるとは。三井ホームの施工力もそうなのだろうが、釘も金物も一切使わないわが国の伝統的貫工法(記者は「抜き」だと思った)もまた凄いではないか。
オーナーの飯田氏はメディアの質問に対して「また住めるかも」と話した。ここに住まなくてどこに住むのか(記者は「飯田さんはどこに住んでいらっしゃるのですか」と聞くのをぐっとこらえた)。近隣の地価公示は坪(1種)約300万円だ。
柱の太さは1尺角(貫との接合はくさびのみ)
樹齢300年以上の黒松
直径1m以上のケヤキの巨木
門
◇ ◆ ◇
今から250年前(1775年)と言われてもピンとこなかったので、ネットの年表で調べた。ちょうどこの年、アメリカ独立戦争が勃発したとある。わが国では田沼意次が幕府財政の改革に取り組んでいたころで、イギリスを中心とする産業革命の影響を受け、杉田玄白の「解体新書」が刊行された年(1774年)、平賀源内のエレキテル復元の年(1976年)などとある。
わが故郷・三重県はどうかというと、国文学者・本居宣長(1730年~1801年)が活躍したころで、松尾芭蕉(1644年~1694年)、河村瑞賢(1618年~1699年)、三井高利(1622年~1694年)などもいる。三井高利は日本橋に「三井越後屋呉服店」を開業した豪商として知られているが、記者は河村瑞賢のほうが記憶に残っている。全国各地で航路開拓や治水工事を指揮した豪商として高校の歴史の教科書にも出てくる。出身地の南伊勢町には石塔が建っていた。皆さんいかがか、そのころの三重県人の活躍は凄いではないか。