ポラスと第三企画のCSRが意味するもの
「南越谷阿波踊り」フィナーレ
記者はこの10年間、本場徳島を含めて3大阿波踊りと呼ばれる南越谷と高円寺の阿波踊りをほとんど欠かさず見学している。
前者はハウスメーカー各社の広報担当者やメディアとの懇親が目的の「広報連絡会 臨時会」の参加者の一人として、後者は「第三企画」が「第三企画連」として踊りに参加しているのを写真に収めるためだ。前者の場合は、飲むのも目的の一つだから踊りを見るころにはかなり酔っ払ってはいるが、それでも「虹」とか「菊の会」など世界をまたに駆けて公演しているトップクラスの連の舞台踊りをみている。後者もまた、地元の有名連の一つ「殿様連」が第三企画連と一緒に踊っているので、やはりどこにも負けない踊りを見学している。この10年間を振り返って、阿波踊りの果たしている役割などについて考えてみた。
まず、南越谷阿波踊りについて。いうまでもなく、この阿波踊りは徳島県出身でポラスグループの中央住宅の創業社長・故中内俊三氏が呼びかけて始まったものだ。昭和60年8月24日に第1回目が行なわれている。観衆は約3万人だったという。それが、最近では毎年約60万人が集まるという。60万人といえば越谷市の人口の2倍近い数だ。参加連は70を越え、踊りに参加する人は延べ5000人にのぼるという。
中内氏が開催を提唱したころのポラスの売上高はせいぜい数百億円だったのではないか。今ではグループの平成25年3月期の売上高は1,531億円(前期比13.9%増)、経常利益は110億円(同1.1%増)にものぼる。従業員数は2,425人で、これもまた当時より数倍に増えているのではないか。中内氏が亡くなられて8年が経過する。中内氏が存命であれば今日の盛況振りをどう評価するだろうか。
記者がもう一つ考えるのは地域貢献のあり方だ。中内氏は「会社がつぶれても阿波踊りだけはつぶすな」と語ったそうだが、世間には宣伝のためにイベントを行う会社がたくさんある、しかし同社は地域密着企業として、地域と一緒になって努力し、汗をかいてきたからこそ共感を得られたのだろうと思う。CSRはどうあるべきかを考える意味でもこの南越谷の阿波踊りは参考になるはずだ。
ポラス「北辰連」
後片付けをするポラスの社員
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次に高円寺の阿波踊りについて。これももう説明するまでもなく全国に知れ渡っている。今回で57回目を数え、参加連は90を越え、観衆は本場の約130万人に匹敵する約120万人を動員するというから驚きだ。
第三企画はこの高円寺の阿波踊りに平成元年から参加している。同社の社長・久米信廣が連長を務める。徳島出身で若いときはミュージシャンを目指したという久米は重さ10キロもある鉦を軽々と片手に持ち、約10人の大太鼓の「暴れ太鼓」を鼓舞する。久米が「音の魔術師」なら太鼓の部隊は神業師だ。太鼓の部隊のほとんどは第三企画の印刷工場で重さ数十キロの紙と踊る紙業が日課だからだ。
この暴れ太鼓に呼応するのが殿様連の暴れ踊りだ。手に「弓張提灯」を持ち、腰を落として鳴り物を合図に一気に駆け上がる差込が得意技で、ドドドッと十数メートルも駆け回る。
この光景はどう控え目に見ても他を圧する。鳴り物の腕前は、殿様連の連長が「みんな本場に連れて帰りたい」と真顔で語ったほどだ。2年前は「観衆を楽しませた」として「青梅市友好賞」を受賞している。
記者のモットーである「記事はラブレター」は、第三企画の理念「人の前に明かりを灯す」と同義語だ。
第三企画連&殿様連
殿様連(左)と第三企画連
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この10年間の見学でたどり着いた結論は、阿波踊りこそ究極の盆踊りということだ。おんな踊りは極楽鳥ではないかということだ。編み笠は鳥の羽で、背を大きく見せつつも満月の光を遮り、かつ炬火の光で下から顔を照らす効果を狙っているかのようだ。浴衣の赤やピンクの裏地は日本古来の鴇色が基本だという。ステップを踏むごとに裾から白い脛がのぞく。久米の仙人(久米信廣ではない)は、洗濯する女性の白い脛を見て神通力をなくしたと徒然草はいう。記者も日本の女性をもっとも美しく見せるのは阿波踊り以外にないと思う。
第三企画連
殿様連
第三企画連&殿様連