27-0で圧勝した後の大宮健保グラウンドに東急リバブル松本大樹が立った。小雨が降り続ける中、1球1球、捕手めがけて球を投げ続けた。
大槻監督を除けばチーム最年長の48歳。ここ数年は代打出場すらほとんどない。それでもユニフォーム姿で登録メンバーに名を連ねている。黄金時代も最悪時代もずっと試合を見続けていることになる。
新人の頃からチームの期待は大きかった。1歳か2歳先輩の城西大出身の〝ミスターRBA〟岡住がチームの柱として活躍していたころだ。
しかし、チームの期待に応えることはあまりなかった。素晴らしい球を持ちながらコントロールが定まらず、投手としての出場機会はほとんどなかった。打力でも長打力は秘めてはいたが、強打者揃いの当時のレギュラーの座を奪うまでは至らなかった。そんなチーム事情から、ナインには名前の大樹にひっかけて〝未完の大樹〟〝大樹晩成〟と呼ばれていた。
今でも忘れられないシーンがある。勝てばドームが決定する試合だったか。対戦相手は当時の最強チーム大京。一打逆転の場面で松本が打席に立った。普段は赤ら顔の松本の顔が見る見るうちに青ざめていくのがカメラのファインダー越しに見て取れた。結局、凡退し試合にも敗れた。
あれから20数年。松本が登板機会をうかがっているなどと夢にも思わなかった。捕手役を務めた川添は「藤巻より球は速い」と言ったように、当時を彷彿させるボールを投げた。
驚いたのは2球続けて低めの外のスライダーが決まったことだ。同じようなスライダーを投げる投手はいるが、同じ軌道でキャッチャーが構える位置に2球続けて投げられる投手はそういない。今野も川崎も小笠原もできないのではないか。
ただ、ノーコンは全然解消されていなかった。針の糸を通すほどの球を投げる一方で、変化球を投げるつもりだったのか、打者のはるか頭上を越えそうな球も何球か投げた。
そんな松本の投球練習を見ながら、大槻監督は「先発はない」と無情な言葉を吐いた。
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今年のRBAは、54歳のミサワ鉄人大野が最年長勝利投手記録を樹立し、68歳の明和地所・藤縄が最年長投手としてマウンドに立った。ほぼ同期のナイス芦沢が25キロの減量に成功し先発マウンドを任されている。
〝未完の大樹〟のまま終わるのか〝大樹晩成〟を証明して見せるか、それを決めるのは松本大樹本人だ。チャンスは残されている。