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2026/08/24(月) 18:33

熊谷組 RBA野球に初参戦 原点は〝自分たちが輝き、会社も家庭も元気に〟

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熊谷組野球部が社内用に作成したポスター

 第2回トライビジョン(第38回RBA)野球大会日曜ブロックに初参戦する熊谷組野球部キャプテンの甲斐観道氏(32)と主砲の辻郷忠英氏(28)、チームの相談役的存在の熊谷組グループテクニカルサポート事務代行事業部経理・管理グループ部長・牧田正二郎氏(65)に話を聞いた。ここ数年、あと一歩のところで決勝進出を逃している強豪の鹿島建設との練習試合で0-8と完敗したのは気になる材料だが、二人とも全然意に介していない。スポーツマンとして、社会人としての原点をアピールした。社会人野球の強豪として名を馳せた熊谷組野球部をよく知る牧田氏も全面的な応援を約束している。試合は二の次だ。〝熊谷旋風〟を巻き起こせ!

◇         ◆      ◇

 記者は、熊谷組が参戦すると聞いたとき、早速、チームに取材を申し込んだ。そのメールに、記者は三重県出身で、小さいころから野球好きになり、当時、都市対抗野球大会に出場していた三重交通が社会人野球の強豪・熊谷組に勝利し、3位に入賞したことなどを書き連ねたら、甲斐氏から次のような返事があった。ご本人から承認が得られたのでそのまま転載する。

 「会社から公式な活動補助は受けていない有志のチームです。それでも集まってくれた23人の熱い仲間なので、団結力は負けません。RBA強豪チームに挑みます」とあり、「弊社の硬式野球部について、知ってくださりありがとうございます。先ほど、当時のことをよく知るチームの相談役にご報告いたました。当日は同席させていただきます。

 1993年に熊谷組硬式野球部が休部後(対外的には廃部)、1994年に会社に残った野球部メンバー、野球部OBその他関係者等が野球部の復活を夢みて結成し、会社から非公認で活動していた硬式野球チーム『熊球(ゆうきゅう)クラブ』」というチームがありました。そのチームも時代とともに自然消滅となりましたが、今回の立ち上げに際し、夢の夢で終わったチーム名を時代を我々が引き継ぎました。

 当時の硬式野球部や熊球クラブの方と関わっていた、メンバーは一人もいませんが、その偉大な先輩方にいい報告ができるようこれから頑張ります!! (前社長の櫻野は、当社の硬式野球部出身でして、今回の野球チーム復活を大変喜んでくださっております。また、硬式野球部のOB会長も在籍されており、応援してくださっております)

 このメールに対し記者は「〝熊谷旋風〟を巻き起こせ」と挑発したら、甲斐氏は「法被を着たはしご乗りや、まといの応援団も復活させるぐらい、熊谷旋風を巻き起こします」と返ってきた。

 そして本日(24日)の取材後、甲斐氏から次のメールが届いた。

 「貴重な経験にも、自社の歴史を知る機会にもなりました。改めて、野球チームを立ち上げてよかったと思いました。

昔は社会人の強豪ですが、いまは企業からの活動補助金等も制度としてないので、完全有志のチームです!

 鹿島建設様の専用グラウンドもありません!運営費や大会参加費もすべてメンバーの自己資金と有志の支援だけで成り立っています。私やマネージャーやメンバーと力をあわせて自費で運営しています。

 初練習試合の相手だった鹿島建設さんが素晴らしい自社グラウンドをお持ちだと知った時は、確かにその環境の差に驚きました。

 しかし、私たちはゼネコンマンです。『何もない場所に、自分たちの手で新たな価値を創り出す』ことこそが私たちの本業であり、誇りです。

 形がない状態だったからこそ、理想のチームを一から創り上げることができた、その情熱と挑戦のプロセスに共鳴して、志を同じくする仲間が集まってくれたのだと確信しています。

 実際に入部希望者はその後も絶えず、すでに選手23名に加え5名が待機中、マネージャーも5名体制となる予定です。

 私たちが何より大切にしているのは『自分たちの原点』です。誰かの期待に応えるための野球ではなく、自ら熱狂するための野球。主役はどこまでも、グラウンドに立つ僕たち自身です。

 チームには20代・30代の若手や、これから親になる世代も数多く在籍しています。自発的な情熱で本気で野球を楽しみ、自分たち自身が輝くこと。その溢れ出るエネルギーをもって、会社にも、家庭にも、元気を与える側でありたいと考えています。

 自分たちの手で創り出したこの熱量を胸に、私たちはこれからも挑戦を続けていきます」

◇         ◆      ◇

 皆さん、いかがか。私的なことだが、記者がRBA野球大会を取材するようになったのは第3回大会の平成3年だ。バブルが崩壊し、連日のようデベロッパーの破綻が伝えられ、株で大損し(大儲けもしたが、ほとんど飲食費に費消した)、妻の乳がんが発覚・発症し、公私にわたりどん底の時代だった。一人になると、無性に泣けてきてハンカチがべとべとになった。無神論者ではあるが、神や仏を呪った。

 そんなとき、RBA野球が行われているのを知った。当時2億円という桁違いの巨人からの契約金提示を蹴り〝野球は趣味で〟という名言で三井不動産に入社した志村亮氏も出場していると聞き、取材することにした。見出しは〝頑張れRBA〟だった(厚かましいとは思ったが、私自身も元気をもらうためだった)。

 「主役はどこまでも、グラウンドに立つ僕たち自身…自発的な情熱で本気で野球を楽しみ、自分たち自身が輝くこと。その溢れ出るエネルギーをもって、会社にも、家庭にも、元気を与える側でありたい」-これがRBAの原点だと記者も思っている。野球選手は小さいころからのあこがれの的であり、力があり、コンマ1秒の判断力が備わっているリスペクトすべき存在だ。みんな礼儀も正しいので、社会人の鏡だと今でもそう思っている。

 〝世のため、人のため、自分のため〟-この原点を読者の皆さんと、そしてまた全ての企業経営者の方々と共有したくてあえて冒頭に紹介した。

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 前段で紹介した「当時のことをよく知るチームの相談役」とは、記者と同姓の、今年11月に66歳になる牧田氏だ。大学では軟式野球部に属し、熊谷組に入社してからは硬式野球部の選手やOBなどと交友関係を結んだそうだ。

 牧田氏は「熊谷組野球部は1993年に休部・廃部になるまで通算3度都市対抗で優勝しており、当時は日本石油さんと都市対抗戦料理数で1、2位を争っていた。対外的には廃部になったが、復活もあるかとクラブチーム『熊球クラブ』を立ち上げた。チーム名は、熊谷組野球部の選手寮『熊球寮』」からとった。その後、自然消滅してしまったが、いまでも『エスブライド』として活動を継続している。甲斐は休部・廃部になった1993年の翌年生まれですから、熊谷組野球部を知らないが、歴史を引き継いでくれるのがとてもうれしい。応援していく」と語った。

 鹿島との練習試合も観戦したそうで、「相手はうちのチームを格下とみなし、本気を出していなかった」とも率直な感想も述べた。

 牧田氏はまた、熊谷組からプロ入りした選手として江本孟紀氏(東映)、パンチ佐藤氏(阪急)、伊藤敦規氏(阪急)、鈴木哲氏(西武)、波留敏夫氏(横浜)、森永勝也氏(広島)などを挙げた。ネットで調べていただきたい。熊谷組野球部からプロ入りした選手は少なくとも20人はヒットするはずだ。

 業界紙の記者としては、熊谷組といえば、東戸塚駅前の総戸数3,300戸にも及ぶ大規模マンション開発「ニューシティ東戸塚」が忘れられない。

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 甲斐氏と辻郷氏に、初戦で対決する旭化成リフォーム向けにコメントを求めた。甲斐氏は「負ける気などさらさらない。野球は経歴勝負するものではない。毎日、スイングしている。朝と夜とでそれぞれ100回、開幕まで2,000回が目標」と、辻郷氏は「公式のプライドを捨てて全力でプレーする」とそれぞれ語った。

 甲斐氏は宮崎県・鵬翔高校⇒鈴鹿大学卒で、大学では特待生として乞われ入学したそうだ。本職は内野手。1番打者として先発する。辻郷氏は創価高⇒創価大卒。内野手。神宮大会などでもベンチ入りしていたとか。同期に門脇(巨人)。野球大会では2番打者として出場する。

 投手は法政-高崎経大卒だそうだ。このほかアメフト、ラグビー、プロゴルファーも在籍しているとか。

 旭化成リフォームの金田監督、いががか。一昨年の準優勝チームとして負けられないだろうが、生きのいい投手の補強ができていなければ互角と見たが…。

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左から牧田氏、甲斐氏、辻郷氏

 
 

 

 

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