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2016/04/27(水) 00:00

樹齢30年以上 戸建てより低く〝伐採〟された「白岡ニュータウン」のケヤキの街路樹

投稿者:  牧田司

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白岡ニュータウン 中央通りの街路樹(戸建てより低いことが分かる)

 まず写真を見ていただきたい。総合地所の「白岡ニュータウン リフレの杜〝コミュニティガーデン街区〟」を取材して、その帰りに中心街を見ようと立ち寄ったときの街路樹の様子だ。街路樹はケヤキであることがすぐわかった。記者は「ひどい、こんな強剪定はない」とほとんど叫ぶように声を上げた。隣にいた同社執行役員 分譲第一事業部副事業部長・井上理晴氏は「これは剪定じゃない。伐採だ」と吐き捨てた。

 「白岡ニュータウン」は同社が昭和60年代に開発した総区画1,261区画の大規模戸建て住宅地だ。美しい街並みが特徴で、記者は埼玉県を代表する昭和~平成の団地だと思っている。

 〝コミュニティガーデン街区〟を取材するのが目的だったのだが、熟成した街を歩くのも楽しみにして出掛けたのだが、無残な姿に伐採されたケヤキを見て愕然とした。怒りもこみ上げた。

 道路は、地元の人が「中央通り」と呼ぶメイン道路で、樹齢は30年以上経過している。樹齢からして樹高は20メートルくらいに達するはずだが、ここの通りのケヤキは戸建てとほぼ同じ6~7メートルくらいで〝伐採〟されていた。

 1本や2本ではない。道路の両側数百メートルにわたっていた。樹形はマダガスカルの奇樹・バオバブの変種ではないかと思ったほどだ。剪定は昨年、幹回り60~120センチの99本を対象に約85万円で市から発注された。

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同上

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駅前のケヤキの街路樹

◇       ◆     ◇

 記者はこれまでも10数回にわたって「街路樹が泣いている」という見出しで記事を書いてきた。私憤をぶちまけるような記事も多いのだが、昨日見た「白岡」のケヤキは異様奇怪さの点で最右翼かもしれない。

 かつて元国立市長は「大学通りのサクラやイチョウの高さと同じくらいにせよ」と言ってマンションの高さを20mに制限した。そのやり方が常軌を逸したために事業主に訴えられ敗訴した。

 今回はどうもその逆のようだ。〝戸建ての高さまで街路樹を切れ〟という地元住民の声に押されたのか忖度したのかわからないが、とにかく近接する戸建てに落ち葉が落ちないよう、枝木がかからないよう、日照が奪われないようにした結果、まるで垣根のような高さになったのが容易に想像できる。

 〝街路樹にマンションを合わせろ〟〝戸建ての高さまで街路樹を切れ〟と、いうことは正反対で、どちらが〝正論〟かさっぱりわからないのだが、しょせん景観などという文言は行政や一部の住民の我欲のためにいかようにも解釈できるような捉え方しかされていないのではないかという結論に達せざるを得ない。

◇       ◆     ◇

 高さが10m以上はある電柱より低い高さでぶった切られたケヤキの怒りの矛先はどこに向ければいいか。

 真っ先に浮かぶのは道路を管理する白岡市だが、行政にその責任を問うのは難しい。〝地元の方々の声を聴いて適正に剪定している〟という答えがまるで羊羹切りのように返ってくるだけだ。

 樹形がどうなろうと、景観がどうなろうと管轄する道路課などは関係ない。街路樹によって車の運行が妨げられたり、近隣住民から苦情をもらったりしないよう心掛けるのが仕事だからだ。職を賭してでも〝伐採〟に反対する職員などいない。「切れ」一本やりの住民と闘う価値が毫ほどもないことを賢明な彼らは知っているはずだ。

 ならば剪定作業を行う造園業者はどうか。これもまた責めるのは困難だ。〝行政の発注通り行う〟のが役割であって、間違ってもプロとして〝ケヤキはあるがままが美しい〟などと進言し、本音を漏らすことはない。そんなことを言ったら、明日から仕事が来なくなる。

 だとすると、やはり自治の主役である住民に怒りをぶつけるべきなのだろう。住民の中には「切れ」という者もいれば「切るな」という者もいる。そのはざまで行政は右へ左へ揺れ動くのだが、結局は〝大きな声〟をあげた人が勝つ。それが民主主義だ。そんな人に景観論争など挑んでも〝それじゃ、雨樋の修繕費や落ち葉の処理代を払ってくれるか〟と一喝されるのが落ちだ。

 かくて衆愚政治は街の隅々まで浸透し、よってなにが美しいやら醜いやら誰も判別つかない、なによりも我欲が最優先する自滅するほかない社会が構築される。

 それでも記者は「白岡ニュータウン」は埼玉県を代表する美しい街といいたい。この「中央通り」から中に入った住宅街は、道路が東西軸を基本に設計されているので「南道路」「北道路」による評価差が少なく、各住戸は2段植栽によって緑や草花が植えられ、全体として美しい街並みが形成されている。ただしかし、あの醜いケヤキ(とわたしが考えるだけかもしれないが)が街の価値を引き下げないか気掛かりだ。

 付け加えるが、ケヤキは街路樹の中でも単価が高いほうで、最近はめっきり減っているという印象を受ける。植樹したのはもちろん白岡市ではなく、街を開発した総合地所だ。立派な街にしようと当時の担当者は企画したはずだが、企画意図とは真逆の哀れなケヤキの姿を見せられたら滂沱の涙を流すのではないか。

 それにしても昨年剪定されたケヤキの本数はどうして99本なのか。枝葉を全て奪い取られ、息も絶え絶えな姿はなにやら〝白寿〟を連想させる。悲しくてしょうがない。生きることを全否定されたようだ。

 言い忘れたことがまだある。ケヤキの生命力はこんな暴挙にもびくともしないということだ。剪定を担当した業者によると、「切られた小指ほどの枝は3年もすれば手首ほどに成長する」そうだ。

 ケヤキよ、泣くな。3年後には民家が埋まるくらいの葉っぱを降り注いでやれ。葉っぱは大地を肥やし、ミミズを育て、紊乱した人の心を癒す。愚かしいことをやめさせるまで成長しろ!

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白岡ニュータウンの街並み

続々「街路樹が泣いている~街と街路樹を考える」 支離滅裂の「新三郷」(2014/10/24)

 

 

 

 

 

 

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