既報の通り、今年1月11日に急性心不全のため死去した旧木下工務店の創業社長で日本ハウスビルダー協会理事長、日本住宅建設産業協会(現全国住宅産業協会)の理事長を務めた木下工業会長・木下長志(きのした・ながし)氏(享年92歳)の「お別れの会」が2月27日、都内のホテルで行われた。
冒頭に参会者が黙とうをささげたのち、木下工業社長・小林伸氏が逝去に至る経緯などについて語り、続いて全国住宅産業協会会長・神山和郎氏がお別れの言葉を述べ、同副会長・牧山蒸治氏が献杯の音頭を取.る式次第によって執り行われた。
遺族を代表して長男の木下正志氏(56)は、「姉が2人いるのですが、父は男が欲しかったらしく、大変かわいがられた。わたしは成人して中学校の教員になったのですが、26、27歳のとき『跡を継がないか』と勧められて木下工務店に入社しました。最初に配属されたのが柏市の営業所でしたが、水が合わなくて半年で入院することになった。結局、そこで辞めることになったのですが、わたしが跡を継いでいたら名前すら残らなかったはず。父は、皆さんにも仰っていただいたように土地を耕し、種を植え、花を咲かせた。偉大な父だった」とお礼の言葉を述べた。
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他の取材があり、記者が駆け付けたときは散会するところだった。関係者に挨拶して、正志氏から逝去の状況について聞いた。紹介する。
死去した1月11日とは正確には推定ということのようだ。木下氏は長野県飯田市の自宅に一人で住んでおり、その夜、いつものように自分で布団を敷き、着替えをして風呂に入ったまま心不全で亡くなったという。発見されたのは5日後で、診断した医師は「溺死状態だったが、急性心不全が死因で苦しまなかったはずだ」と話したそうだ。
考えてみれば、生まれてきたまんまの裸で死ねるなんて母親の羊水にまた戻るようではないか。大往生だ。木下さん、さようなら。