「國分さんの旦那は偉いよ。河東碧梧桐の研究家で、その碧梧桐の全集をまとめた人だ」-明大名誉教授でOSI会長の百瀬恵夫氏からそう聞いたのは先月の百瀬氏と同研究会代表・篠原勲氏が主催した「絵画&墨書」絆展のときだった。
「えっ…」-もう半世紀以上も昔のことなのでとっさにはどんな句を謳ったかは思い出せなかったが、難儀して覚えた名前がよみがえった。正岡子規の高弟で高浜虚子とともに中学校の教科書にも必ず出てくる俳人だ。
「國分さん」とは、絆展にも出展している國分絮虹(じょこう)の雅号を持つプロの墨書家・國分ひろみさんだ。百瀬氏から聞いたことを伝えると「昨年亡くなった」と語った。
「えっ…」-記者はまた絶句したのだが、國分さんはすぐ「全集? 來空が自分の論評を入れた13巻があるので読んでください」と話した。
ネットで調べた。碧梧桐は「1873年(明治6年)-1937年(昭和12年)」とある。「河東碧梧桐全集」(発行・短詩人連盟 発売・蒼天社)は2011年2月に刊行し、1巻当たり500ページ前後の全20巻で、原稿用紙にして約24,000枚にも及ぶ大作だ。定価は各巻とも1万円前後だ。そのうちの第13巻を頂いた。
國分さんのご主人・來空(1931年9月10日-2019年9月21日、本名:鈴木昌行)は、「河東碧梧桐全集」を著した理由を「日本詩歌をダメにし、日本人のコトバの感性をネムラせた教育者、既成の詩歌俳壇への大いなる警鐘として-。」(図書新聞2871号)と述べている。
來空はまた、前頭芋ブログ來空による河東碧梧桐評を2006年9月3日に開始し、2016年4月12日に終了するまで碧梧桐と自らの作品、その他論評を綴っている。最初のブログは次の通りだ。
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赤い椿白い椿と落ちにけり
子規から碧梧桐はよく爼上にあげられている。
空間極めて狭くして、いよいよ印象の明瞭なるを見る。之を小幅の油画に写しなば、只々地上に落ちたる白花の一団とを並べて画けば即ち足れり。蓋し此句を見て感ずる所、実に此だけに過ぎざるなり。
椿の樹か如何に繁茂如何なる形を成したるかまたその場所は庭園なるか、山路なるかの連想に就きては此句が毫も吾人に告ぐる所あらざるなり。吾人又此れ無きがために不満足を感せずして只々紅白二団の花を眼前に観るか如く感ずる処に満足するなり(正岡子規)
この句、碧梧桐の代表作となったが、碧梧桐は「違う色を一句の中で重ねてならん」という決まりがあったのでこの句を書いたのだ。ムホン者は俳諧や結社から外されたのも事実と知らねばならない。
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來空のTwitterは「次女が勝手に書き込んでます」とのことで今も継続して更新されている。「訃報」では「來空が9月21日に永眠しました。88歳。前日に家族全員が集まった幸せな死でした。最後の言葉は『死ぬことも輝き。ばんざーい、ばんざーい』。来空を愛してくれた皆様、どうもありがとうございました!」
Twitter にある10代の作品や戦前生まれであることがよく分かる作品も紹介する。
炎天を歩く麦刈田の白い茶碗のかけら
ぐーんぐーん空が凧をひっぱる僕もひっぱる
ポンポン戦死するように爆ぜまくるぎんなん
川底の田螺よろよろ動く極楽ありそうにない
弟丁稚に行って一年ひきだしに朝顔の種ある
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國分さんから、巻末に「好きなもの-羊羹・わかば(煙草)・魑魅魍魎」とある來空の詩集も頂いた。随所に詩文とぴったりの墨書も掲載されている。いくつか紹介する。
鰐(わに)にナローと蟹(かに)にナッタとは
ニンゲン両手あげる海がバンザイ
大宇宙 新鮮。睾丸(きんたま)が造られる
ン!玉ランナ!!
朝顔がきゅっと一つの罪を閉じる
ねむれない耳を一つにして置く
みんなよろこぶ遠足が来た死が来た
記者は「鰐(わに)にナローと蟹(かに)にナッタとは」に心を打たれた。「わに」と「かに」、「ナロー」と「ナッタ」の語感の面白さもあるが、來空はもっと深い意味をこの詩に込めている。中島敦「山月記」と同じだ。詩人として名声を得ようと苦労するが、結局は発狂して人食い虎になる李徴に自らを置き換え、照れ隠しのためにこのような詩にしたと解するのは考えすぎか。
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記者は詩歌のことはよく分からないが、中学生のとき、石川啄木の「やはらかに積れる雪に熱てる頬を 埋むるごとき 恋してみたし」を読んで感動し胸が締め付けられたのを思い出す。サトウハチローの詩もよく読んだ。
芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」はそれがどうしたという感想しかなく、蠅叩きではとても間に合わず、天井から吊り下げられた蠅取り紙が真っ黒になり、髪の毛や衣服にもくっつけてばかりいたので、一茶の「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」には複雑な気持ちを抱いた。
好きな短歌は牧水の「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも染まず ただよふ」だった。先生は「白鳥は悲しくないだろうか、牧水と同じように悲しいはず」と教えた。当時からへそ曲がりだった小生は「どっちの青にも染まらないのは立派ではないか」と解釈した。(「や」は疑問や反語を意味する係助詞でもあり、感嘆の意味の間投助詞でもある)
今は小説家・丸山健二にはまっており、大和言葉のすばらしさにうなっている。改行を重ね、文章をチドリ状に配し、時には句読点を省くなど音楽的・映像的効果も盛り込んだ「詩小説」は、新しい文学の可能性を示唆している。丸山小説は碧梧桐や來空に通底するものがあると思うのだがどうだろう。