12月19日付「日経新聞」朝刊に、「セルフメイドの空間」と題する建築家・隈研吾氏の一文が掲載されていた。コロナをきっかけに、建築手法を従来の「集中へ」から「分散へ」大きくかじを切った決断は、都市と田舎(地方)、資本と労働、持続可能、ワークライフバランスなどの視点からも示唆するものが多い。
隈氏は、人類が歩んできた建築空間の歴史とは「集中へ」という一語に尽き、「集中へ」のベクトルは、平面的には「都市化」であり、立体的には「高層化」であったとし、「その行きついた先は20世紀初頭に登場した高層オフィスビルであり、その閉じた箱で働くことが社会のヒエラルキーの上位にいることを意味し、だれも疑わなかった。しかし、『集中』が心身ともにいかなるストレスを与えていたかを、今回のコロナが気づかせてくれた」という。
「それに気づいた」隈氏は「まず自分がやっている設計事務所から『分散へ』の大転換を踏み出し」、田舎の工事現場と東京の事務所とを往復する従来のやり方は「サスティナブル(持続可能)でなかった」と考え、ロックダウンをきっかけに、現場の担当者達に、『田舎に住んじゃえよ』と、東京からの脱出を勧めた」
「すると何人かが、待ってましたとばかりに実際に田舎に移住したのである(中略)富山の山の中に酒蔵を建てるプロジェクト担当者は(中略)近くに住む紙漉きの職人さんと親しくなって、自分で紙漉きの技を習得し、その酒蔵に使う和紙を、自分で漉き始めたのである」
その素晴らしい出来栄えと担当者のコミュニケーション能力に感嘆した隈氏は、実際の酒蔵のデザインに採用することを決めた。
「集中を反転した先には分散があり、分散はセルフメイドにつながって空間の民主化、すなわち空間を自分自身が作る途が開ける」とし、「そういう方向に舵を切っていけたら、日本の田舎はもっと楽しくなり、都市はもっと風通しのいい場所になるのではないか。その反転に気付いたことが、2020年の最大の収穫であった」と締めくくっている。
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「都市」と「田舎(地方)」の問題(対立)は、昭和40年代に発生し、バブル崩壊によって一挙に噴出した。あまりにも重いテーマだ。「地方創生」など表層的な論議では解決しないと考えるが、ここではさておく。
一つだけ、老婆心ながら田舎育ちの小生だからいえることを指摘したい。富山に移住した担当者のことだ。全国紙に書かれ、紙漉の技を隈先生に絶賛されたからには後戻りができない。
移住は、ひょっとしたら隈先生の厳しい指導から逃れるためか、コロナ感染を恐れたためか、あるいはまた彼女に捨てられた心をいやすためか、そしてまた、美味しい地酒の誘惑に負けたためかしらないが、田舎暮らしは楽ではない。
冬の寒さは格別で、紙漉き作業の晒し、水洗いの作業は過酷だ。北アルプスから一挙に下る川の水の冷たさは、世間の風の冷たさとは比較にならない。夏は逆にとてつもなく暑く、体温超えもしばしばある。春や秋は過ごしやすいと決めてかかるのは危険だ。隈さんから逃れられても本物の熊の襲撃に合うかもしれない。
先生、スタッフに移住を勧めるのも結構ですが、少なくとも3年は試運転期間とし、尻尾を巻いて東京に舞い戻っても暖かく迎えてやっていただきたい。もし、3年我慢できたらこれは只者ではない。先生を超える新建築の伝道師になるかもしれない。