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2021/01/07(木) 14:44

生と死の永遠のテーマを考えさせてくれる「丸山健二の〈文学〉オンラインサロン」

投稿者:  牧田司

 酒もたばこも嗜なまず粗食に徹し、ギャンブルや女男・風俗とも無縁で、権力や反権力、文壇、神仏などの類との関りも絶って長野の田舎町に引っ込み、ひたすら人類と純文学の永遠のテーマである生と死のあり方を問い続ける作家-丸山健二氏(76)を皆さんはご存じか。※

 酒とたばこを断ち切れず、ギャンブルや風俗にも人並み以上に足を突っ込み、神様仏様(それと稲尾様)にすがったことも数えきれないほどある、丸山氏と真逆の人生を歩む小生だが、なぜか丸山小説にはまり込んで30年以上が経過する。

 酒を嫌悪される丸山先生に失礼だが、例えていえばビンテージのワインかウィスキー、あるいは日本酒の古酒だ。

 並みの小説とは比べものにならないが、敢えていうなら、並みの小説などは1時間に50~100ページくらいは読めるが、丸山小説はせいぜい20ページくらいではないか。これくらいの差がある。丸山小説は、数行読んだだけで行き詰まり、ぱたりと本を閉じることもしばしばある。見たことも聞いたこともない難しい語句・語彙が登場するからでもあるが、ぐさりと肺腑をえぐられ、呻吟せざるを得ないからだ。

 尋常では考えられない暗喩、隠喩(メタファー)が文中の至るところにさりげなく散りばめられており、それを探すのは、あたかも砂漠の中でダイヤモンドを探り当てるような楽しみも丸山小説にはある。

 丸山氏ほど日本語を自在に操る作家を小生は寡聞にして知らない。わが国の作家でノーベル文学賞を受賞したのは川端康成と大江健三郎氏の2人(カズオ・イシグロ氏は日本語では書かれていないはずだ)だが、小生は丸山氏こそが世界に誇れる日本人作家だと信じて疑わない。(同じように考えている人はほかにたくさんいるはず)

 しかし、丸山氏の最近の小説は「詩小説」とも呼ばれるように韻を踏む言葉も多発するので外国語に訳すのはとても無理-つまりノーベル文学賞の選考対象にならない-のが残念でならない。(ノミネートされたら丸山氏は拒否するかもしれないが)

※丸山氏より1歳下の同じ芥川賞作家の辺見庸氏は昨年10月、毎日新聞のインタビューで菅義偉首相について「特高顔が怖い」と答え、そのまま大きな見出し付きの記事になった。

 この記事を読んで小生は驚愕した。辺見氏は特高を知らないはずなのでよくぞそんなことをしゃべったものだと。そしてまた、毎日もそのままそんな見出しを付けたものだと。

 これには続きがある。菅総理はこの記事に激怒したと週刊誌が報じた。菅首相は「辺見って何者だ」と関係者に聞いたそうだ。同じ団塊世代の菅氏が辺見氏をご存じなかったというのに小生はまた驚いた。辺見氏をご存じないのなら、あの学術会議の任命を拒否した6氏のこともご存じなかったのだろうと確信した。

 菅首相は辺見氏と同等かそれ以上に〝過激〟な丸山氏をご存じだろうか。

◇       ◆     ◇

 記者はこれまで、わが業界紙について何度も批判的な記事を書いてきた。他意は全くなく、ひとえにジャーナリズムとして業界に役立つ記事を書いてほしいと願うからだ。

 もう一度、ここで業界紙の記者としてどうあるべきかの見本を紹介する。小生のことではない。前段で紹介した丸山氏の著作とその姿勢だ。

 丸山氏は1994年、「まだ見ぬ書き手へ」(朝日新聞社)を著した。プロの小説家を目指す人向けではあるが、われわれ記者にも、そしてあらゆる職業の人に対しても示唆するものが多いはずだ。少し紹介する。

 「(本物の小説家を目指す人は)できれば交際を絶ってください。これまでだらだらと付き合ってきた友人を遠ざけ、職場の同僚とも一線を画してください」

 「見て気付いたこと、思いついたことを片っ端から書きとめるノートをたくさん用意してください。外出用のノート、枕元用のノート、居間用のノート、トイレ用のノート、職場用のノートとあれこれ使い分けてください」

 「他人を見る、世間を見る、外界を見る、それも必要以上に見るということは、自己の内面を覗き込む以上に、小説書きにとっては大切なことなのです」

 「小説に限らす、どんな仕事でもきちんとやってのけようと思い、少しでもいい仕事を考えるなら、時間がかかって当然なのです」「(書き直しは)最低でも七回くらいはやる必要があります」

 「時の首相と食事をしたり、勲章の類を喜んでもらったり、芸術院の会員になりたがったり、政府が呼びかける協力に応じたりするときは、もはや自分が芸術家でも何でもない、ただの俗人になりさがってしまったことを自覚すべきなのです」

 「これからの書き手は孤独と戦うことから始めなくてはならないのです。口先だけではなく、ポーズだけではなく、真に救済の文学を目指すのでしたら、孤独に立ち向かい、孤独を捩じ伏せ、孤独を超越する道を歩かなくてはならないのです。その道を歩む書き手だけが、より高い未踏峰に登ることができ、新しい鉱脈を掘ることができるのです」

◇       ◆     ◇

 皆さん、どうですか。仲間との交際を絶てとか、ノートは何冊も用意しろとか、書き直しは最低でも七回行うべきだとか、これを実践できる人はそういないはずだが、その姿勢だけは吸収したい。最近話題になっている会食や学術会議についても、丸山氏は26年も前に厳しい指摘を行っている。耳が痛い評論家や芸能人、文化人はたくさんいるはずだ。

 いま丸山氏は、自ら立ち上げた「いぬわし書房」を通じ、これまで語ってこなかった自著の背景を語り、さらに参加者の悩みや質問に回答する「人生相談」コーナーも設けた「丸山健二の〈文学〉オンラインサロン」を昨年から開催している。

 オンラインサロンは1時間30分で、これまで12回行われており、丸山氏は何度も〝冷徹な観察眼〟〝嫌らしいほどの観察〟を強調した。記者は「先生のおっしゃる嫌らしいほどの観察とは、見えないところを観る心眼ではないか」と質問したら、次のような回答があった。

 もちろん心眼も大事だが、核心に迫るには肉眼での観察が大事になってくる。肉眼での観察は昆虫学者、動物学者、植物学者と同じ。冷徹な観察眼でじっくり見るということです。

 皆さんは、目を開けてちゃんと生きているが、本当は見ているようで見ていない。細かいとこまで見ていない。それをやってしまうと時間がだんだん無駄になって、生きていくのが大変ですからね。生活できなくなるから。

 われわれ小説家はそれが生きる証みたいなもの。じっくり見るというのは、対象が誰でもいいということではない。自分の感性に引っかかった人、あれっこの人何? これはなんだろうと。どうでもいいやと思わないで2歩も3歩も前に出て見てしまう。

 カメラでいえば、ズームではなくて普通の50ミリレンズで肉薄する。普通に撮れる正確に撮れる画面がゆがまない普通のレンズを付けて撮るには、一歩も二歩も踏み込まなければならない。

 踏み込まれたほうはたまったもんじゃないですよね。カメラはともかくとして、近くから肉眼で(わたしのような)サングラスをかけた反り込みのおっさんにじっと見られたら迷惑ですよね。それでも見ちゃう。なるべく近づいて、その人の話を立ち聞きし、身なりから髪型、服装までじっくり見る。そういうところから核心に迫れるんです。

 これはスパイがよくやる方法なんです。普通のスパイは観察だけでいろんなことを組み立てていくわけです。そこからとんでもないことが分かる。性格からから趣味、弱点まで分かる。そのような観察はその気にならないとそこまで到達できない。それと修練。修練を積むうちにだんだんわかってくる。

 ただし、われわれは探偵やスパイではない。捉え方が間違っていても構わない。単なる妄想でも構わない。それでも小説としては成り立つ。かなり生々しい現実をバックボーンにして物語を組み立てられる。これが大事なこと。

 絵空事の物語ではあるが、リアリティをもって読者に伝える。読み手の皆さんを読んでいる間がっちり捕まえて、読んだ後、これはもしかしたら自分のことではないか、ひょっとしたら現実そのものを描いているのではないかという、重い感動を与えられたらと思っては書いています。それが純文学の所以ではないかと。

◇      ◆     ◇

 皆さん、どうですか。記者の質問に丸山氏は上記のように丁寧に答えてくださった。わが国の現代作家の最高峰から直接声を聞き、質問にも答えてもらえる-こんな僥倖はない。

 コロナ禍で苦労されている皆さんにもオンラインサロンへの参加をお勧めしたい。1時間30分も丸山節が視聴できて2,500円(+消費税)というのは、わが多摩市の名酒・原峰の泉とほとんど同じだ。先生、またまた酒と比較してごめんなさい。

「丸山健二の〈文学〉オンラインサロン」のURLを紹介する。

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