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2022/12/16(金) 17:37

145年の自然と人の歴史を次代に繋ぐ コスモスイニシア「ETOWA KISARAZU」開業

投稿者:  牧田司

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「ETOWA KISARAZU(木更津)」

 コスモスイニシアは12月16日、国や地方自治体の公共施設などを活用したアウトドアリゾート「ETOWA(エトワ)」の2施設目「ETOWA KISARAZU(木更津)」を開業する。前日の15日、同社代表取締役社長・高智亮大朗氏と木更津市長・渡辺芳邦氏が出席してオープンセレモニーを実施し、施設をメディアに公開した。

 施設は、木更津東ICから車で5分、JR内房線木更津駅からタクシーで25分、木更津市下郡に位置。開校が1873年(明治6年、当時下郡小学校)で、平成31年3月に閉校となった木更津市立富岡小学校跡地を10年間借り上げ、コンバージョンしたもの。宿泊施設として2棟1区画の4ベッドキャビン(6区画)と1棟1区画の2ベッドキャビン(9区画)の全15区画、オリジナルのBBQピットを校庭に整備。校舎1階の入り口をエントランスに、保健室をマーケットに、校長室をミーティングルームに、職員室は地元のコーヒーショップ「THE COFFEE」を誘致して宿泊者以外も利用できるカフェラウンジにそれぞれリノベーションし、シャワールーム、みんなのトイレを設置している。

 デザイン監修は第一弾の「ETOWA KASAMA(エトワ笠間)」と同様アクタス。ログ小屋「IMAGO」の施工はアールシーコア。宿泊料金は繁忙期:28,000円/人、閑散期:20,000円/人(BBQその他飲み放題・食べ放題、朝食付き)。チェックインは18:00~20:00、チェックアウトは11:00~13:00。

 セレモニーで高智氏は、「当社は『Next GOOD 』をミッションに掲げ、2020年から新規事業の一つとして『会(エ)と話(ワ)』をコンセプトに『ETOWA(エトワ)』事業に取り組んでおり、今回は『笠間』に次ぐ第2弾。海あり山ありの豊かな自然に恵まれており、温泉もアウトレットもある。わたしたちの原風景。この恵まれた立地を生かし、非日常を演出しました。た。今後は宿泊機能だけでなく、教育、サテライトオフィス機能など様々なニーズを取り込み進化させ、地域に貢献することを約束いたします」と挨拶した。

 渡辺氏は、「この種の施設は市内で2件目。卒業生の方も感無量と話されたように、たくさんの思い出が詰まっている小学校。賑わいを取り戻していただき、自然と調和したSDGsの取り組みを推進している木更津市への支援、協力を賜りたい」と述べた。

 同社の公的不動産の有効活用の取り組みとして、第一弾の「ETOWA KASAMA(エトワ笠間)」が2020年7月に開業している。

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高智氏(左)と渡辺氏

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2棟1区画の4ベッドキャビン

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挨拶する高智氏

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◇        ◆     ◇

 何に感動するかは人それぞれだが、記者は敷地内に植わっているヒバ、オリーブ、スギ、ケヤキ、ヒノキ、モミジ、イチョウ、キンモクセイ…に圧倒され、畏怖の念すら覚えた。

 イチョウの胴回りは1m超、スギも1m近くあった。樹齢は開校時に植えられたとすれば約150年も前だ。樹木に畏怖の念すら覚えた。開校が明治6年(1873年)というから今から149年も昔、西郷隆盛、木戸孝允、板垣退助、大隈重信、岩倉具視らが活躍した時代だ。

 その後、日清・日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、第二次世界大戦、終戦、平和憲法、エネルギー革命、高度成長、バブルの発生と崩壊、東日本大震災…夏の暑さにも冬の寒さに耐え、風雨に晒されながら、樹木は悠久の時を刻み続け、生徒を見守り続けてきた。

 外貌は決して美しいとは言えない。ひこばえだらけで樹皮ははがれ、苔むし、腰(幹)は曲がっており、醜悪ですらある。だからこそ大きな価値があると思った。生きる意味、価値をわれわれに教えてくれると。

 もう一つ、この学校には大きな財産がある。校門には「ありがとう」と廃校の言葉のほかに、小学校校歌とともに全卒業生の名前が石碑に刻み込まれている。明治時代の男性徒は助七、蔵之助、寅吉、菊松、清吉…などで、女性徒はふで、ひな、みや、はる、くに、こう…ほとんど全てが平仮名だ。

 考えてみれば、平民が姓名を名乗ることを許されたのは明治3年(1870年9月)の「平民苗字許可令」が始まりだ。だとすると、これらの名前はその〝はしり〟だ。

 市の教育委員会によると、同小学校の開校時の生徒数は記録残っておらず、記録に残っている明治8年の卒業生は8名、廃校になった平成31年の在校生は28名、うち卒業生は5名。145年間トータルの卒業生は4,426名とのことだ。石碑にはこの方々とその家族の歴史が刻まれているということだ。

 学校は廃校になったが、同社と市の連携により歴史は次世代に引き継がれることになった。無限の可能性を秘めたプロジェクトだと思う。高智社長は「ここをハブとして地域の活性化に貢献したい」とも語った。

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スギ(左)とカエデ

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ケヤキ(左)とイチョウ

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〝145年間 ありがとう〟

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校歌と全卒業生の名前が刻まれた石碑

◇        ◆     ◇

 渡辺市長はあいさつの中で「卒業生は感無量」と話したので、記者は卒業生にもコメントを取ろうと、カフェラウンジで談笑していた来場者に「長老の方はいらっしゃいませんか」と声を掛けた。小生と同じくらいと思われる年配の方が「いるいる、90近い男が。外にいるはず」と話した。

 頼んだコーヒーを頂くのを待ちきれず、すぐ外に飛び出し、ひときわ高い身長の方がそうだろうと目星をつけ「すいません、年齢が90近い長老の方がいらっしゃるとか」と声を掛けた。どんぴしゃり。同市教育委員会教育長・廣部昌弘氏だった。

 廣部氏は「年齢じゃなくて身長でしょう。わたし? 187cm、年齢は62歳。卒業したのは昭和47年。同級生は1学年35人。全校生徒で150人くらいではなかったか。校舎は木造で、一部2階建てでした。勉強? 児童会長を務めました。スポーツ? ソフトボールをやってました。廃校になったのは残念ですが、再利用していただくことになってよかった。地元の方々も喜んでいる」と語った。

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〝90近いのは年齢じゃありません〟廣部氏

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富岡小学校(before)

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校長室(before)

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職員室(before)とカフェラウンジの床(after)

コスモスイニシア 公共施設を活用したアウトドアリゾート「ETOWA(エトワ)」第一弾(2020/6/30)

 

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