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2023/02/18(土) 10:11

中島新社長の経営力、国際力、人間力、胆力を激賞 三菱地所・吉田社長

投稿者:  牧田司

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中島氏(左)と吉田氏(同社会議室で)

 三菱地所は2月16日、社長交代と取締役会長の異動を発表。4月1日付で取締役兼代表執行役執行役社長に取締役兼代表執行役執行役専務・中島篤氏(59)が就任し、取締役兼代表執行役執行役社長・吉田淳一氏は取締役会長に、取締役会長・杉山博孝氏は取締役に就任する。杉山氏は6月下旬に開催予定の総会をもって取締役を退任、特別顧問に就任する予定。

 同日行った記者会見で吉田氏は「2017年4月に社長に就任してから6年が経過しました。この間、2020年4月に開始した『長期経営計画2030』を立案し3年が経過、一区切りがついたタイミングであり、今後は新しい社長のもとで『2030』を推進すべきだと判断し、社長交代を決断しました。

 新社長に中島を選んだのは、経営企画部門での経験、海外留学へのチャレンジ、不動産開発部門での経験、海外事業の中核企業でもあるロックフェラーグループ社のトップとしての役割などを通じ、その経営力、国際力、人間力、胆力を着実に成長させており、グローバルな視点から日本をみて新たな価値創造にチャレンジできること、加えて、私が大事にしているインテグリティを体現したような誠実、かつ実直な人間であるからです。その明瞭な知と心でもって未来をきりひらいてくれると思います」と激賞した。

 また、自らの6年間の社長時代を振り返り、「6年前の記者会見の席で心がけたいこととして3点をあげさせていただいた。一つ目は将来的な視点に立ったデベロッパーマインドによる挑戦、二つ目はグローバル対応力の強化、三つ目はインテグリティを深めることでした」と語り、新本社への移転に伴う新しいワークスタイルの提案と実践、長期営計画の発表、丸の内ネクストステージの推進、ロボット、AI、IOTの実装やDXの推進による新たな社会の基盤づくり、海外事業、投資マネジメント事業などそれぞれ成果を上げてきたことについて説明した。

 社長就任について中島氏は「身が引き締まる思い。『泉パークタウン』を見学して、その壮大な事業に感銘を受けて三菱地所に入社することに決めました。これまで企画担当として7年間の海外勤務や3度の中期計画を経験しました。藤和不動産との業務提携、リーマンショックの対応、黎明期の不動産証券化などにも携わってきました。そして、2011年からのロックフェラーグループでの経験が大きな財産となっています。これらの経験を通じて、何ごとも真剣、誠実に向き合うことを学びました」と語った。

 社長としての役割については「まず当社の本拠であり、DNAでもある大手町・丸の内・有楽町を圧倒的に魅力的な空間にしていくことです。グループの総力を結集してビジネスだけでなく居住、文化、エンターテイメントなどを取り込んで魅力ある空間にし、国際化にも寄与したと考えています。

 第二は、グローバル化。さらに海外事業、投資事業に力を入れ、成長させたい。価値観・文化もグローバル化にとって重要。多様性の社会の実現にも貢献したい。

 第三は、SDGs。サスティナブルは奥行きが深い分野であり、わたしも学んでいるところですが、会社としても脱炭素社会の実現に向け先駆的な役割を果たしていると自負しています。これからも社会から要請されていることは何かという視点を大切にし、対話、コミュニケーションを大切にしながら、よりよい社会を創造するその一翼を担っていきたい」と述べた。

 中島氏は、昭和38年8月9日生。昭和61年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、三菱地所入社。平成3年6月、海外留学(人事部在籍)、同5年6月、経理部、同10年4月、都市開発企画部、同16年4月、経営企画部副長、同23年4月、休職(ロックフェラーグループインターナショナル社)、同28年4月、執行役員 欧米事業部長、令和2年4月、執行役常務、プロジェクト企画部、都市開発部、物流施設事業部、ホテル事業部担当、同4年6月、取締役 代表執行役 執行役専務、経営企画部、サステナビリティ推進部担当、現在に至る。

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中島氏

◇      ◆     ◇

 いつも馬鹿な質問をするからだろう。いくら手をあげても指名されないので、この日は質問をしないと決めていた。(手を挙げたすべての記者の方が指名された)

 実は、小生も1つだけ質問したかった。海外留学2年も含めて都合7年間の海外勤務を経験されている中島氏の苦労、語学力、コミュニケーション能力についてだった。

 ところが、小生は全く英語が話せない。英語が理解できない者に中島氏も説明するのは困難だろうと質問はあきらめた。中島氏はきっと、ボキャブラリーの問題ではなく、コミュニケーション能力の問題だと答えたに違いない。

 このコミュニケーション能力がわが国に決定的に欠けている。母語を大切にし、同時に外国語教育をしっかり行わないとグローバル化についていけなくなるだろう。小生は20年近く前、中国・北京大学付属小学校を訪ねたことがある。3~4年生の生徒は英語がペラペラだった。これは負けると思った。その後、10年も経たないうちにGDPは中国に抜かれた。

 小生の時代はどうだったか。昭和37年だ。中学1年の最初の英語の授業だった。担任の先生が、いきなり級長をしていた小生に向かって、まるで進駐軍みたいな命令口調で〝スタンド アップ〟と声を掛けた。カット頭に血が上り、知らんぷりを決め込んだ。先生は激怒した。政府が「もはや戦後ではない」と宣言したのは昭和31年(1956年)だが、三重の田舎町には当時、戦争の傷跡が色濃く残っていた。あの言葉で英語が嫌いになった(頭が悪いのだが)。

◇       ◆     ◇

 両氏の会見はとても分かりやすかった。分からなかったのはメディアの的外れの質問だった。〝三菱地所は保守的なイメージ〟〝欧米中心なのか〟などと仏壇の奥に眠っているカビが生えた経典を持ち出した。

 もちろん、両氏はこれを否定した。小生が説明するまでもないことだが、同社は丸ビルが竣工した20年前あたりから劇的に変わった。東京駅周辺の街も変わった。2011年に社長に就任した現取締役会長の杉山博孝氏はとても気さくな方で、広島カープファンであることを公言してはばからなかった(コーポレートカラーと一緒だからでもないはず)。同社のイメージチェンジに大きな役割を果たした。

 吉田氏も社長に就任した2017年の翌年、大手町パークビルが完成したとき、〝本丸〟の本社オフィスをメディアに公開した。こんなことをした会社は少なくともデベロッパーにはなかった。吉田氏はデベロッパーのオフィス・住宅の木質化にも先導的な役割を果たした。

 そして今、もっともワンダフル、ビューティフル、ハートフル、アートフル、ウォーカブル、チャレンジング(小生だってこれくらいの英語は分かる。スペルは書けないが)な活動を行っているデベロッパーこそ同社だ。コロナ禍でも見学会をきちんと行ったのは同社だけだ。

 とんちんかんな質問をした記者の方には〝ペン(スマホか)を捨てて街に出よ〟といいたい。大・丸・有を歩けば三菱地所がどのような街を目指しているか、そしてまた日本橋、新宿、渋谷、池袋などとどこが異なるかすぐわかる。丸の内仲通りにはバギー姿があふれ、道路に敷かれた本物の芝生の上に素足を投げ出し、子どもに食事を与える母親がいる光景を見てごらん。

 別の記者の方は中島氏が大・丸・有の開発に関わってこなかったことを質したが、中島氏が大・丸・有を知らないわけがないし、吉田氏がそんな人にバトンを渡すはずがないではないか。むしろ逆だ。中島氏は米国勤務時代、外からしっかりわが国の街づくりをそのよさと弱みを眺めていたに違いない。小生は中島氏の話を聞いていてカチンと響くものがあった。大・丸・有を含めた同社の街づくりは間違いなく変わると。

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