国土交通省は8月1日、戸建て住宅団地を含む老朽化した住宅団地の建て替えや再生を幅広く論議する「住宅団地の再生のあり方に関する検討会(第2期)」(座長:浅見泰司・東京大学大学院教授)を設け、第1回検討会を行った。
平成26年度から28年度にわたって行われた「住宅団地の再生のあり方に関する検討会(第1期)」の取りまとめは、土地共有者の組合員算定方法の合理化を盛り込んだ都市再生開発法の改正(平成28年6月)や、建築基準法第86条の一団地認定の職権による取り消しの手続き規定を追加する同法施行規則の改正(同年10月)につながった。
今回は、制度見直しを活用した新たな再生手法を整理しガイドラインを定めるほか、敷地売却の仕組みを活用した団地型マンションの再生のあり方、戸建て団地の再生・活性化などを論議する。平成30年度までに中間報告をまとめる予定。
会の冒頭、同省住宅局長・伊藤明子氏は「第1期取りまとめが円滑に動くように、さらに戸建て住宅団地の再生にもつなげる、幅広く深い論議を行っていただきたい」などと話した。
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確か大月敏雄委員(東京大学大学院教授)だったと思うが、「戸建て団地とは何ぞや」という質問が飛んだ。これに対して同省市街地建築課市街地住宅整備室企画専門官・佐々木雅也氏は「団地の定義から考えていただきたい」と答えた。
記者もこの問題に以前から悩んでいる。昔は平気で「マンション団地」「戸建て団地」と呼んでいた。しかし、最近は「団地」なるフレーズをほとんど使わない。あるハウスメーカーから「牧田さん、戸建て団地はやめてくれないか。なんだか古臭いイメージだから」と言われたこともある。
読者の皆さんは「団地」という単語にどのようなイメージを描かれるか。おそらく十人十色だろう。
広辞苑(第六版)を当たってみた。「団地」とは「住宅・工場などが計画的に集団をなして建っている土地」とある。また「団地サイズ」では、「公団住宅など狭い室内に合わせた、一般よりも狭い畳・家具など」とある。
「団地サイズ」の住宅が供給されたのは昭和30年代以降だから、発刊当初の広辞苑には載っていなかったのではと考え岩波書店に問い合わせた。同書店によると「団地サイズ」が掲載されたのは1991年11月の第四版からだという。つまりバブルがはじけた後だ。確かにこの頃には「団地サイズ」は〝狭い〟という認識が浸透していた。昭和30年代に建設された公団住宅の建て替えが決定されたのは昭和61年だ。
公団住宅が庶民のあこがれの的であった時代の「団地妻」は「新妻」と同義語として理解されていたはずだ。1961年には「大和団地」(現大和ハウス工業)が設立されている。その大和団地は「ネオポリス」というブランドで戸建てやマンションを分譲した。同社は2001年に大和ハウス工業に吸収された。
これらからすると、「団地」が新しいイメージでとらえられていたのはせいぜい30年間くらいだ。民間が「経年優化」「経年美化」の街づくりをしているのと対照的だ。世の「妻」だって30年で〝古い〟と評価されたら起こるだろう。
昭和25年に制定された建築基準法はどうか。同法には「団地」の定義はないが、「一団地」という単語が12カ所ある。また、1919年に公布された「市街地建築物法」にも「一団地」の文言があるように、大正時代には「一団地」という言葉はあった。しかし、これは「一団の土地」と解するのが妥当のようで、「団地」なる言葉はいつ生まれたのか判然としない。興味のある方は調べていただきたい。
さて、最初に戻る。少なくとも「団地」の言葉は一般名詞として存在はするが、どのようなものかをはっきり示す「定義」はないということになる。国会でも論議された「集団」とは何ぞやという問題にも突き当たる。
もうこれ以上深入りしない。同省や検討会の委員の方々が鳩首凝議しても結論は出ないのではないか。
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櫻井敬子委員(学習院大学教授)がまたまた辛辣な問題提起をされた。〝またまた〟と書くのは、以前、櫻井氏は「建築基準法は窮屈」と同省の会合で発言されたのを記事にしているからだ。今回もまた「建築基準法はきつい規制が多すぎる。実態とあっていない」「全員合意のドグマを何とかしないといけない」「区分所有法はロートル化している」「(管理組合について)民主主義が機能していない」などと発言された。
同感だ。いっそ櫻井氏を座長に建築基準法や区分所有法を根本から考え直す会を設けてはどうか。建基法や区分所有法が時代遅れであることはみんなわかっていることではないか。わが国の都市計画は、土地所有権の絶対的排他的権利が強い割に細かな規制が多すぎる。理念と実態が釣り合っていないと思う。