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2017/08/08(火) 17:33

「おーお明治」大学の誇り 百瀬恵夫名誉教授の「瑞宝中綬章」受章を祝う会に300名

投稿者:  牧田司

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〝白雲なびく駿河台…おーお、明治〟百瀬恵夫・明大名誉教授の受賞を祝う会(京王プラザホテルで)

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百瀬氏と幸子夫人

 明治大学名誉教授の百瀬恵夫氏(82)が今年の春の叙勲で「瑞宝中綬章」を受章したことを祝う会が7月28日、都内のホテルで行われ関係者約300名が参加した。

 「瑞宝章」は公務などに長年にわたり従事し、成績を挙げた人に贈られるもので、百瀬氏は明大教授としての「教育研究功労」のほかに、中小企業の育成と協同組合の理論的支柱として実践に携わり、さらに沖縄泡盛の酒造協同組合の設立などにも深くかかわったことなどに対する「沖縄産業振興功労」の功労に対して綬章した。

 百瀬氏は、受章の喜びを「感無量」とし、「私の沖縄への思い入れは、特攻隊員として沖縄戦に参加し、捕虜になりながら生き残った兄の悲しみと、その兄に注いでくださった沖縄の方たちの限りない愛情に対する恩返し」などと語った。

 当日は、明大卒で元内閣総理大臣・村山富市氏や明大理事長・柳谷孝氏、同学長・土屋恵一郎氏、同校友会会長・向殿政男氏、明大時代の同級生で元衆議院議員・元厚生労働省副大臣・中野清氏など明大関係者のほか、百瀬氏の幅広い活動を示すように内閣府沖縄振興局長・槌谷裕司氏、明大卒で台湾 環球科技大学の創設者・許文志氏、協同組合ジェプラ理事長・大木勝志氏なども参加。

 発起人を代表して明大常勤理事で明大政治経済学部教授・飯田和人氏と明大評議員会議長で明治大学校友会相談役・山口政廣氏が挨拶した。沖縄県知事・翁長雄志氏からのメッセージも届いた。

 このほか、百瀬氏が会長として30数年間、継続して毎月1回「例会」を行っている「中小企業研究会」や、沖縄の自然保護、環境保全及び自然と人間との調和が全てに優先することを基本理念に掲げ、勉強会を行っているNPO法人OSI(沖縄環境・観光産業研究会)、さらに明大体育会柔道部明柔会(OB会)名誉顧問、明大マンドリンOB倶楽部最高顧問などを務めていることなどから各界から多くの関係者が参加した。

 百瀬氏は、明大マンドリンOB倶楽部の生演奏が行われる中、ほとんどすべての参加者の席を回り、ともに受章の喜びを分かち合った。

 参加者には記念品として、百瀬先生と篠原勲氏との共著「明大魂と人間力」、先生が作詞された「もののふ」「沖縄讃歌」のCD、川越菓匠「くらづくり本舗」の菊の紋章入りどら焼き、先生直筆「道」のオリジナルラベルの10年古酒泡盛「海乃邦」が贈られた。

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会場で披露された「瑞宝中綬章」額装

◇       ◆     ◇

 百瀬氏は来賓各氏からのお祝いの言葉を受けて、次のようなお礼の言葉を述べた。

 「感無量でございます。言葉になりません。本当にありがとうございます。もっとも尊敬申し上げている村山先生、怪我にも関わらず駆け付けてくださいまして本当にありがとうございます。皆さんにも心からお礼申し上げます」

 「私は長野県松本の生まれであります。9男2女の11人兄弟です。村山先生のご兄弟の数と一緒だと思います。

 私が5歳の時父親を、15歳のとき母親を亡くしました。(百瀬家は素封家だったそうだが、家計が一挙に苦しくなり)以来、私は高校も大学もいわゆる苦学生になりました。

 その中で守ってきたのは『人様に迷惑をかけるな、他人から後ろ指をさされるようなことはするな、教育が全て』という母親の教えでした。

 松本出身のわたしがどうして沖縄に力を入れるのか、たくさん質問がございます。その理由を少しだけお話しさせていただきます。

 私の5番目の兄は沖縄戦の終戦の直前(昭和19年)、沖縄に特攻隊員として行きました。『震洋』というベニア板で作られた一人乗りの魚雷艇に魚雷を積んで特攻攻撃をしました。

 幸か不幸か、その当時は他にもたくさんあったようですがエンジンの故障で『震洋』は不発となり、兄は米軍の捕虜、いわゆるPW(Prisoner of War)になりました。

 兄は、戦時下の沖縄を目の当たりにし、『沖縄の人たちは自分が生きるだけで精いっぱいなのに軍人にも一生懸命尽くしてくれた。このご恩は忘れられない。恵夫も何か沖縄の役に立ったらどうか』といつも聞かされていました。

 41年前、沖縄から講演の依頼がございました。私の専門は中小企業と協同組合研究ですが、沖縄(の会社)は99.9%中小企業、零細企業です。この沖縄の中小企業を救うのが私の使命と固く決意し、この30年間、ここ10年間はやや少なくなりましたが、毎月のように沖縄に参りました。

 わたしの沖縄への思い入れは、兄の悲しさと、沖縄の方々の限りない愛情に対するご恩返しだと思っているからであります。このことを評価してくださったのが内閣府の槌谷局長です」

 続いて百瀬氏は家族についても次のように語った。

 「家内は同級生であります。結婚する相手は同級生が一番いい。当たりはずれがないのです(爆笑)。私は的を外しません。私みたいな人間をうまく操縦してくれたのは女房です。皆さんご存知のように、私はやりたい放題をやってきましたが、女房の言うことだけは聞く。女房にとても感謝しています。

 私には2人娘がいます。婿が2人、孫が3人。すべて教職についています。家内も教職についておりましたので、家族は二人の背中を見て育っています。 

 これまでただ一つ、きつくみんなに言ってきたのは時間を守れということです。時間を守れない人間は約束を守らないと。これが私です。

 これからの残された人生は「利他」の言葉がありますが、人さまの役に立ちたい、ご鞭撻を賜り頑張ってまいります」

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百瀬氏

◇       ◆     ◇

 以下、百瀬氏の叙勲を祝う来賓各氏のあいさつ。

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乾杯の音頭を取った北野大氏と司会を務めた松永二三男氏(元日テレアナウンサー)

 明大政治経済学部教授・飯田和人氏 先生の今回の受章は中小企業とその協同組合の育成、沖縄の産業振興に貢献されたことに対する内閣府の推薦と長年の教育研究に尽力されたことに対する文科省からの推薦という2つの省からの推薦によるものです。

 私は8人の発起人の一人で、先生の後輩であります。今回の祝賀会には大学の最高決定機関から中小企業関係団体まで幅広い様々な分野の方々がいらっしゃいますが、大学の柔道部やマンドリンクラブなどスポーツ・文化分野からも大勢の方がいらっしゃっています。先生が様々な分野で指導力を発揮されたことが参加者の顔ぶれからもよくわかります。

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飯田氏

 明治大学評議員会議長・明治大学校友会相談役・山口政廣氏 先生は余分なことを話されない。単刀直入、ズバリと要所を指摘される。本質、核心をついた言葉をしかも心を込めて話される。

 この先生のお人柄と姿勢にわれわれが教えられてきた。

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山口氏

 元内閣総理大臣・村山富市氏 (車椅子から杖を突いて立ち上がり)こういうぶざまな格好で申し訳ございません。1週間前まではぴんぴんしていましたが、元気を出しすぎて踵を骨折してしまった。

 百瀬先生は大変ユニークな方で、私も評議員会などでお会いするのを楽しみにしていた。いつも遠慮なく発言されていた。その言葉に敬意を払っていた。なくてはならない存在。これからも大学、社会のために活躍していただきたい。

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村山氏

 内閣府沖縄振興局長・槌谷裕司氏 先生の教育研究の功績は山ほどあるようですが、(これまで受章されなかったのは)勤続年数が足りなかったということのようです。いかにもお役所的と言われそうですが、そこで我々内閣府は文科省にお口添えをいただき、それなりに忖度いたしまして、一計を案じて今回の受章につながったわけでございます。

 今年は沖縄復帰45周年の節目の年ですが、叙勲が間にあったことと、宮中で今上陛下に叙勲者代表としてお礼の言葉を言上されたことをともに喜びあいたいと思います。沖縄の地場産業の育成や泡盛の普及などに尽力された。先生は沖縄版アベノミクスだと思います。

 ここで一句。「恵夫飲む クースで広がる 好景気」

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槌谷氏

 沖縄県知事・翁長雄志氏(代理 沖縄県東京事務所長・比嘉徳和氏代読) 知事は岩手県の全国知事会議に出席のため、私が熱いメッセージを預かりましたので代読させていただきます。

 先生は沖縄県の中小企業の発展、とりわけ生コン業界の経営に対する指導、助言に多大な尽力をされました。

 また、県の重要な地場産業である泡盛の普及のため紺碧会の会長を長年務められ、在京県人会ネットワークの構築にも多大な貢献をされております。

 今回の綬章はご自身の栄誉であることはもちろんのこと、県民関係者の誇りでもあります。深く敬意を表するとともに心からお祝い申し上げます。

 今後とも高い見識と豊かな経験を生かし、後進の育成と県勢の発展にご支援賜りますようお願いいたします。

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比嘉氏

 明大理事長・柳谷孝氏 叙勲の記念品の一つとして渡されている篠原勲先生と百瀬先生の共著「明大魂と人間力」(第三企画出版)を拝読いたしましたが、キーワードであるオンリーワン、モノノフ、武士道精神は実は先生の人生そのもの。国内外の明大の講演などのゲストとして依頼が多いベスト3を私の独断と偏見で選べば、まず百瀬先生、次に北野大先生、そして土屋学長と言いたいのですが、土屋学長は公務でありますので除外しますと、マンドリンOB倶楽部であります。

 先生の古武士然とした姿が大好評でして、そして「筋を通せ」「卑怯を許すな」「悪いことは悪い、正しいことは正しい」「覚悟を持て」というメッセージが共感を呼ぶのであります。

 先生にはこれからも明大の建学の精神を未来に引き継いでいただきたい。

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柳谷氏

 明大学長・土屋恵一郎氏 昨日、800名くらい入る明大リバティホールで坂東玉三郎さんと対談したのですが、坂東さんと百瀬先生は共通するものがある。そこにいるだけで花がある、存在感があるということです。これほど存在感がある人は先生を除いていません。

 先生と私は悪縁の関係。私は法学部出身、先生は政経学部。学内では法学部と政経学部はいつも選挙などで反対側にいる。先生の悪口をいうとわっと沸くのです。

 ところが先生は私のことを気に入ってくれているようでありまして、悪口を言わない。私の名前は「恵一郎」ですが、先生は「恵夫」。先生は「土屋はいいやつだ。恵という字がついている人間には悪人はいない」とおっしゃる。ご自分のことだろうと思うんですが(笑)。

 歳を経るごとに人間の花を咲かせる、これが誠の花です。男ここにあり、それが先生です。皆さんとご一緒に確認しましょう。

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土屋氏

 明大校友会会長・向殿政男氏 私の名前は「向殿」ですが、先生は〝バカ殿〟と呼ばれる。実に口が悪い。しかし、先生ほど信念を持っていらっしゃる方は明大にいません。言いづらいことを平気で言う。度胸がある。これは信念がないとできないことです。

 先生がお書きになった本にも「人間力」が出てきますが、無骨でもいい、迎合しない、正しいことは正しいとはっきり言う、これが明大の精神です。これを先生は体現されている。これからも明治の柱として頑張っていただきたいと思います。

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向殿氏

 元衆議院議員・元厚生労働省副大臣・中野清氏(明大時代の同級生) 先生は私の生涯の誇りであります。先生には市会、県会、国会議員として38年間、先生のお世話になった。特に中小企業政策、金融政策について大きな教えをいただいた。以前の金融政策論は貸し手側から書いたものばかりでした。例えば銀行。天気のいいときは金を貸すが、雨が降れば傘を取り上げる、そんな金融行政は間違いだと先生はおっしゃった。借り手側から考えないといけないと仕込んでいただいた。改めてお礼を申し上げたい。

 余談ですが、私の長男は明治に入れなくて他に入ったのですが、孫がやっと法学部に入れてもらった(爆笑)。

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中野氏

 台湾 環球科技大学の創設者・許文志氏 百瀬先生と伊藤(正昭)先生は私の恩師です。百瀬先生は1960年代以降の台湾の発展に大きな影響を与えられました。2004年以降、324名の学生がマスターコースで百瀬先生と伊藤先生の講義を受け、683名の東南アジアの国際学生が講義を受けました。

 もう一つ、2005年から今日まで台湾の5カ所で明大マンドリンOB倶楽部の演奏会が行われました。これは台湾の音楽史に残る珍しいものです。

 先生は日本と台湾をつなぐ経済・教育・文化の民間大使です。

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許氏

 協同組合ジェプラ理事長・大木勝志氏 先生に1987年(昭和62年)、包装資材ディーラーの協同組合ジェプラ設立時に顧問として参画していただいてから30有余年。売上高は当時300億円から現在700億円の企業体になり、数年前の株式会社設立へと至っています。これが先生の指導の証です。

 人間力を基盤に相互扶助の精神をど真ん中に据え、会員の人格を尊重し、組合の経済的、社会的地位の向上を目指してきました。われわれは中小企業と協同組織のシンボルだと自負しております。

 先生を長年観察しております私の「人間・百瀬恵夫」像を一言で言わせていただければ、学者の域を超越しているということです。

 「バカヤロウ」の毒舌の裏にはものごとへの確信と人への愛、思いやり、心配りがあります。文武両道、行動力と実行力、徹底した現場主義は高邁な理論の裏付けがあります。さらに付け加えるなら、一線は超えないが女性が泡盛と同じくらい大好き-こんな人は先生以外いません。「人間力」そのものです。

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大木氏

 第三企画社長・RBAインターナショナル会長・久米信廣氏(中締め挨拶) 先生は多くの俊秀を育てていらっしゃいましたが、私は俊秀でも何でもありません。しかしながら、私は先生の弟子の一人として、先生を思う気持ちにおいては人後に落ちないと自負しております。

 先日、先生から(文化勲章受賞者)平櫛田中の書の扁額を頂戴しました。『今やらねば いつできる、わしがやらねば だれがやる』という言葉が書かれています。先生からの叱咤激励の声そのものであり、ありがたく頂戴いたしました。そのとき、先生から『平櫛田中の旧姓は〝たなか〟。平櫛家に養子に入ったとき、旧姓を取り入れて田中と名乗った』というお話しもお聞きしました。そこで、『私は先生の養子ではありませんが、百瀬久米(きゅうべい)と名乗らせてください」とお願いしました。田中をでんちゅうとしたように、久米をきゅうべいと読み直したのですが、先生はこころよくご了承くださいました。本当にありがとうございます。

 私は先生の最後の弟子を自認しております。最後というのは『今現在も弟子であり続けて教えを受けている』という意味であります。

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久米氏

明大 柔道部 メダリストも勢ぞろい

〝文武両道 全うできたのは先生のおかげ〟吉田氏

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左から園田氏、百瀬氏、小川氏

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左から小川氏、吉田氏、海老沼氏

百瀬氏受賞に花添える明大マンドリンOB倶楽部

古賀メロディーなど1時間近く熱演

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女性にも人気〝でも一戦も交えておりません〟

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〝はい、バター〟〝はい、チーズ〟〝はい、キムチー〟

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「感謝の言葉以外ございません」幸子夫人

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百瀬氏ご家族の皆さん

◇       ◆     ◇

 百瀬氏はお礼のあいさつで〝兄の悲しみ〟〝沖縄の人への恩返し〟を語った。兄の悲しみとは戦争に対する憎しみであり、怒りだ。沖縄への恩返しとは、沖縄戦で14万人もの民間犠牲者を出し、その後も様々な犠牲・格差を強いられてきた不公平に対する憤りであり、社会的弱者に対する愛だ。

 以下、2005年(平成17年)2月7日発行の「RBAタイムズ」百瀬恵夫特集号の1部を紹介する。

百瀬教授を沖縄に駆り立てる愛と憎しみ

「生きて虜囚の辱めを受けた」兄への複雑な想い

 百瀬氏を沖縄に駆り立てるのは「生きて虜囚の辱めを受けた」実兄(87)への複雑な想いだ。一言でいえば、戦争に対する憎しみと肉親への愛だ。

 お兄さんは、日本軍の敗色が濃厚だった昭和19年、命と引き換えに米軍艦に突撃する魚雷艇・震洋の搭乗員として死地の旅についた。

 ところが、当時の日本軍の魚雷艇はベニア板製で、エンジンの性能も低く、事故や誤爆で本来の目的を達成できたものは少なかった。成功率は1割で、死亡率は9割と言われている。お兄さんの魚雷艇も体当たりできずに負傷、米軍の捕虜となり終戦を迎えた。

 命からがら帰ってきた故郷・長野県松本市でお兄さんを待ち受けていたのは、住民の冷たい視線だった。長野県でただ一人生きて帰ってきた特攻兵を見ようと、至るところから〝見物人〟が訪れた。

 当時10歳の百瀬氏も「軍国教育を受けていた私も、兄は返ってこなかったほうがいいと思った」そうだ。

 「生きて虜囚の辱めを受けた」お兄さんは、「生きて帰ってきて恥ずかしい。死んだほうがよかった」と自殺を図る。が、死ねなかった。

 その後、お兄さんは警察予備隊(のちの自衛隊)に入り、現在も健在だ。

 百瀬氏は「沖縄に来るよう何度も兄を誘ったが、本人は首を縦に振らなかった。兄を見ていると、悲惨な戦争はあってはならないとつくづく思う」と語る。

 (後略)

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