新聞記事は鮮度だ 空気や風を伝えよ
住宅新報も週刊住宅も1面は行政ニュースが多い。最近では宅建業法改正、空き家、民泊、所有者不明土地、安心R住宅、インスペクションなどが入れ代わり立ち代わり登場する。たまに評論家などのコメントを盛り込んでマンションやホテル、サ高住、ITなどについての総花的な縮刷版のような記事でお茶を濁す。
これはいかがなものか。行政の動きは無視できないが、新聞記事は鮮度だ。日々生起する出来事を活写し、空気や風を伝えるのが使命だ。欺瞞と打算に満ちた羽織袴と、腹黒の魂胆が透けて見える純白のウェディングドレスの結婚式のような記事に読者は辟易しているはずだ。
そして何より問題なのは、住宅新報も週刊住宅も週刊紙でありながら一般紙と同じブランケット版の形態を墨守し、都はるみさんの「三日遅れの便り」どころか一週間遅れの〝旧聞〟ニュースをそのまま発信し、かつまた、読者の関心が高いはずの出来事を小さく扱ったりすることだ。これが解せない。
例えば、3月22日に行われた「東京ミッドタウン日比谷」の記者内覧会。この商業施設は多くのテレビカメラも入ったように注目を浴びたが、3月27日号の住宅新報はわずか1段見出し扱いだった。前回書いた「今宵も一献」とスペース的には同じだった。
新聞は、見出しや写真の大きさによって社としての記事の軽重を示すから読まれる。Webと唯一といっていいくらい差別化できている優位性だ。それをかなぐり捨てて、どうでもいいような記事(失礼)と、初日の入場者が10万人を超える施設を同列に扱うのが信じられない。しかも、この記事は主語、述語、掛かり受けがよくわからない。
同紙はまた、3月20日号で、積水ハウスの土地取引詐欺事件に対応するガバナンス強化と木造強化の「ニュース」を報じた。他紙が10日前に報じた記事とほとんど同じだった。積水が記者会見を行ったのは3月8日(金)で、掲載しようと考えれば前号の3月13日号に間に合ったはずだ。
どうでもいいことだが、某社の野球部のかつての主砲は、前夜の食べ残しのカレーやスパゲッティをそのまま翌日の弁当に詰め込まれても文句ひとつ言わなかったが、記者のかみさんは前夜の刺身を翌日も出すようなことは絶対しない。逆に〝大丈夫だから〟といっても食べさせてくれない。
まだある。同紙は先日3月27日に行われた住友不動産の「シティタワー国分寺ザ・ツイン」の記者内覧会に欠席した。前号では同社の「八潮」を3段見出しの4面トップ記事にしていたのに…。当然のことながら、4月3日号には「国分寺」は1行も書かれていない。会社や記者の都合で取材を取捨選択すべきではない。重視すべきは読者の立場だし、企業存続の基盤であるスポンサーの意向を忖度しなければ、あとはもう飢え死にするしかない。
もう一つ、マンションや戸建ての見学会記事について。
〝講釈師見てきたように嘘を言う〟という諺がある。見もしないのに見たように講釈を垂れるという意味だ。それだけ〝事実〟が大事であるということでもあるが、業界紙は〝見たまま〟を伝えない。配布された資料をそのまま引き写したような内容のものも少なくない。
見る目がなく、何を見ていいかわからないと言ってしまえばそれまでだが、そんな記事を書いていたらいつまでたっても一本立ちできない。マンションなどの商品について基本的な知識が欠如していると断言できる。
当たり障りのない記事は、「客観報道」を心掛けているからと反論されるかもしれないが、そもそも「客観報道」などない。その会社の編集方針や記者のものの見方・考え方が記事に反映されるからだ。単に「事実」「真実」だけを伝えるなら新聞は1紙で十分だ。
しかし、この「事実」「真実」も曲者だ。あの松本サリン事件で、被害者であるにも関わらず警察とメディアに容疑者にされた河野義行氏の例が端的に示している。朝日と読売・産経が対極にあるのもある意味で読者が期待する〝偏向報道〟に応えているともとれる。
記者の私見だが、〝偏向報道〟は歓迎されるべきことだと思う。読者はそれが嫌なら読まなければいい。選択肢がたくさんあったほうがいいと思うから、記者は「業界紙頑張れ」とエールを送っている。独自性を発揮しろと。
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