東京2020オリンピック・パラリンピックの選手村裁判が結審した。無聊をかこつ記者は結果記録を閲覧しようと東京地裁を訪れたのだが、閲覧申請者が多いためか「今週は無理」と言われた。そんな時、同業の記者の方から〝特ダネ〟がもたらされた。大東建託の恒例の今年の「街の幸福度(自治体)ランキング」トップに「埼玉県比企郡鳩山町」が選ばれたというのだ。喜ぶべきなのか悲しむべきなのかとっさには判断できず、もう絶句するほかなかった。
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早速、同社のホームページで確認した。確かに首都圏トップは「埼玉県比企郡鳩山町」で、「神奈川県横浜市都筑区」「東京都中央区」がベスト3。以下、中央区、港区、武蔵野市、印西町、目黒区、横浜市青葉区、文京区、逗子市がベスト10となっている。
それぞれの自治体に対する偏差値、評点、回答数が記載されており、鳩山町のそれは87.3、74.2、67の順で、都筑区は70.5、70.3、1,155、中央区は69.7、70.1、1,039とあった。
「幸福度の評点は、非常に幸福だと思う場合を10点、非常に不幸だと思う場合を1点とする10段階の回答平均を100点満点にするために10倍したものです」「偏差値とは、評点の平均値が50になるように変換し、評点の数値が評点の平均値からどの程度隔たっているのかを示したものです」とあり、回答者数は165,302名とある。
このランキングを見てすぐ気が付いた。「鳩山町」は昭和を代表する開発面積約140ha、約3,200戸の大規模住宅地「鳩山ニュータウン」があり、居住者の高齢化が進行している代表的な街だ。2位の「都筑区」はUR都市機構による開発がもっとも新しいことから、横浜市はもちろん神奈川県下でももっとも年少人口・生産人口比率が高く、「中央区」もまた人口増加比率が23区でもとびぬけて高いことで知られる。
このあまりにも対照的な街が幸福度でベスト3を占めるのをどのように理解すべきか。〝住めば都〟-若い人も年寄りもみんなそう考えているのならいいが、例えば年寄りが「非常に幸福」と答え、若い人が「非常に不幸」と答えたら、評点は55点になる。これはどう判断すればいいのか。この街の人は幸せなのか不幸なのか、誰も判断できないではないか。
記者はこの種のランキングを無視することにしているが、大東建託さんも「本当に住みやすい街大賞」を発表しているアルヒさんも、いい加減やめたほうがいい。属性などはっきりしない人の声を寄せ集めて撹拌し、その声が「幸福度」やら「住みやすい街」の指標になるかのように喧伝するのは上場企業のやることではない。幸福と不幸を足して二で割る神経はどうかしている。
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「鳩山ニュータウン」は記者にとって思い入れが深い住宅地だ。今から17年前に訪れた。記事の冒頭には「前日、同じぐらいの規模で同じように郊外型でありながら、驚くほど生き生きした街づくりが行われている山万『ユーカリが丘』団地を見学し、『鳩山はどうなっているか』気になってしょうがなかったからだ」とあり、そのあとすぐ「人口流失、高齢化、地域経済の停滞…などが集中的に現れているのではという仮説は当たった」と書いている。
「売上げは数年前の3分の1。みんな車で数分の大型店に行く。増えたのは車だけ。道路事情がよくなったため車がひっきりなしに通り、60キロぐらいのスピードで通過していく」という商店主や、「コンビニまで歩くと20分。車がないと生活できない。学校の帰りもバスがものすごく混む。就職活動をやっているんですが、先日も面接の人から『残業もありますよ。通えるんですか』と聞かれた。結局、落とされたのですが『一人暮らしする』といえばよかったかなと。同級生も都内に引っ越していくし、気がついたら近所の家が空き家になっていたり…。独立したらマンションを借りようかと、親とも話しているんですが…」と語った都心の大学に1時間半かけて通う女子大生の声を紹介している。
記事は以下のように締めくくっている。
「母娘と思われる二人連れに声をかけると、そのお母さんは『私ですか、この頭を見なさい。真っ白でしょ。あと2つで80歳。娘は50歳ですよ。でもね、これだけは書いといて。ここのお年よりはみんな自立していると。街もきれいでしょ』
この母親の言葉に記者は救われた。
真夏の陽気を思わす炎天下で、深緑の歩道が風を運んでくれた。白い葵の花が『ここはいいよ』と呼びかけた」
今回、「幸福度」ランキングで圧倒的1位になったのは、あるいは建築家で東京藝術大学准教授・藤村龍至氏(42)らの同ニュータウン活性化の活動が浸透し、町民の意識を劇的に変え、地殻変動を起こしているのか。それなら嬉しいのだが…。
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これは昨日(9月7日)のことだ。「風の橋」と名付けられた橋を渡ったところにあるわが街・多摩ニュータウンの下駄箱商店街の昼下がり。かつては八百屋や肉屋などで賑わっていた7店舗のうち3店舗はなくなり、残った4店舗は高齢者の「憩いの場」やカフェ、床屋などだ。
コロナから逃げるため、記者はオープンタイプのカフェで食事をしようと席に着いたとたん、隣のデイサービスの施設のやはりオープンタイプのテーブルに腰かけていた記者と同年配かそれとも年上か、二人の女性のうち一人が片方の手で歌集を示しながら、もう一方の手で「いち、にい、さん」と相手の肩を叩きながら音頭をとり「白いブランコ」を歌い出した。
か細くはあるが、緩やかなテンポと美しい歌声に記者は聞きほれた。お返しのつもりで拍手を送った。すると、一人の女性は「歌って楽しいわね、歌えるっていいね」と微笑み、〝この広い世界中のなにもかも ひとつ残らず あなたにあげる だから私に手紙を書いて 手紙を書いて〟〝人は誰も人生につまずいて人は誰も夢破れ振り返る〟〝今日の日はさようならまた逢う日まで また逢う日まで〟…30分以上も繰り返し歌った。
なぜかこの間、ミーンミーンとせわしなく鳴いていたセミは沈黙し、その歌声は記者の三半規管から胡乱な右脳と左脳を覚醒し、心にしみわたると同時に、道行く人に愛の意味を伝え、風の道を通り抜け、天空を舞った。
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