光井氏(「HARUMI FLAG」タワー棟デビューメディア発表会)★
~かつて「パークシティ浜田山」で美しい花を咲かせたように~
「HARUMI FLAG」のマスターアーキテクトとして街全体のデザインを統括する光井純氏(光井純&アソシエーツ建築設計事務所 代表取締役)に2023年1月19日、オンラインによる取材の僥倖に恵まれた。テーマは光井氏がデザインするマンションはなぜ美しいか。光井氏は出張先の故郷・岩国から、1時間にわたって建築物と人、街、自然、美とは何かについて語った。( )は記者 写真提供は★が電通PRコンサルティング、☆が光井純&アソシエーツ建築設計事務所(JMA)
光井氏は1978年、東京大学工学部建築学科を卒業後、岡田新一設計事務所で4年間勤務したのち渡米し、イェール大学大学院で建築学を学び、シーザー・ペリ&アソシエーツ(現ペリ クラーク&パートナーズ)勤務を経て1992年に帰国。シーザー・ペリ&アソシエーツ ジャパン(同)と光井純&アソシエーツ建築設計事務所を設立。国内外の様々なプロジェクトに関わっている。
NTT新宿本社ビル、シーホークホテル&リゾート、九州大学新キャンパス、日本橋三井タワー、あべのハルカスなどの施設のほか、パークコート恵比寿ヒルトップレジデンス、青山パークタワー、幕張パークタワー、オーバルコート大崎、芝浦アイランド、パークシティ浜田山、Brillia L-Sio 萩山など数多くの首都圏を代表するマンションを手掛けている。BCS賞、グッドデザイン賞などの受賞も多数。
NHK大阪放送会館・大阪歴史博物館☆
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-先生、わたしが2013年以降に書いた記事から「光井純」のワードで検索すると35本ヒットします。これまでマンションは何棟手掛けられたのでしょうか。
光井 進行中のプロジェクトもあるので概算にはなりますが、70棟以上だと思います。そのうち中国、台湾、シンガポールなどの東南アジアを除けば、国内では60棟以上だと思います。
日本に戻って最初に行った仕事はシーホークホテル&リゾートとNTT新宿本社ビルです。そして、縁あって三井不動産の「パークハイム氷川台西」(1997年)のマンションを手伝ったのが、集合住宅としては最初の仕事です。
それから「オーバルコート五反田」(2001年、「オーバルコート大崎」との複合)のデザインコンペがあるというので、応募して競り勝ったのがきっかけで、三井不動産さんとの関係が深まりました。当時、五反田開発を担当されていた現会長の岩沙さん(弘道氏)にデザインを気に入っていただき、意気投合しました。
時代を経るごとに深みを増す建築デザインの在り方と、低層部を張り出すことによってつくられるヒューマンスケールのデザインは、これからの街づくりにとても大事だとする岩沙さんの考え方は、わたしがアメリカで学んだ考え方と一致しました。
それは現在の三井不動産グループの住宅とオフィスなどの複合開発、ミクストユースの街づくりにも基本理念として継承されています。
その意味で「五反田」開発は、その出発点をつくった大事なプロジェクトでした。
-先ほども話しましたが、この10年間のわたしの「こだわり記事」をワードで検索すると、100件ある「隈研吾」は特別として、「光井純」は「安藤忠雄」「青木茂」とほぼ同じの35件です。
そのうち三井不動産関連ですと「SKYZ」に始まり「大崎」「武蔵小杉」「BAYZ」「渋谷大山町」「中央港」「晴海」「幕張」「武蔵小山」「柏の葉」「HARUMI」「白金」「六本木(ホテル)」「豊洲(複合施設)」などです。2013年以前だと「芝浦」「恵比寿」「青山」「浜田山」などが印象に残っています。(このほか、東京建物の「萩山」「聖蹟桜ヶ丘」、フージャースコーポレーションの「府中」「つくば」、オープンハウスの「青山」、伊藤忠都市開発の「松陰神社前」、大和ハウス工業の「有明」、東急不動産の「あざみ野」、総合地所の「名古屋」、相鉄・東急の「横浜」などがあり、モリモトの物件もいくつかあるのに注目)
これが肝心なのですが、「光井純」の次は「吉永小百合」の32件です。わたしもこれには驚いたのですが、つまり先生と吉永小百合さんは美しいということで一致すると。先生のデザインはなぜ美しいのか、人に優しいのか。これが今回の大きなテーマです。
光井 (しばし破顔されたあと)吉永さんと一緒? 大変恐縮でございます。わたしの建築は、アメリカで学んだヨーロッパの古典的建築の考え方に大きな影響を受けています。三層構成、シンメトリー、パラディアンコンポジション、ヒューマンスケール、黄金率などです。クラック音楽を学ぶのと同じ側面があるかもしれません。古典をまず学び、それからモダンにつなげていくことが大事です。
ゴーギャンやピカソなどの絵画も学びました。人の肌を描くとき、光が当たっているところは肌色などを使いますが、陰の部分は緑などを使います。色彩の基礎はとても大事だと思います。(光井氏はかなり専門的なことを話されたのだが、これは省略する。何事も基礎が大事だということだ)
-先生、わたしも油絵を描きますのでよく分かります。(ルノワールは肌を描くとき青を使ったと読んだことがある。記者は陰に黒を使って汚い絵をたくさん描いてきた)
光井 主題の絵に暖色を使う場合、陰に黒を使のではなく、補色を使うときりっと締まる。建築も同じで絵画や古典建築のルールを活用しているところはあるかもしれません。
-わたしは建築物を見るときまず注目するのはデザイン(狭義の意匠ではない)で、そのデザインは美しいか、美しくないかです。それと同時に考えるのが機能美です。丹下健三先生は「機能的なものが美しいのではない。美しきもののみ機能的である」と語りました。先生、この考え方はどうでしょう。(これは永遠のテーマ。数十年考えているが、解は見いだせていない)
光井 丹下先生は巨匠ですので、私も学生時代は「形態は機能に従う」など巨匠の考えを学びました。美しいものは機能的であると。自然界では人間も動植物も何百万年の進化の歴史の中で理想的な形になってきました。しかしながら、人間の作為的なデザインは、自然が積み重ねてきた進化の時間に追いついていないのではないかと思うこともあります。ですから、そう簡単に「美しいものは機能的」とはおこがましくて言えない。
また、わたしは「モノ」として建築を見過ぎてしまうと人が不在となってしまうのではないかという反省がずっとあり、常に人を中心に据えながら建築デザインを考えています。
その場所にいる人の暮らしに思いを馳せて、どんな暮らしをするんだろう、どんな故郷になるんだろうと。そこには川があり山があり、海や森もある。建築デザインはその場所にあったものにならなければならない。
美しく機能的ということで「場所」や「人」から逸脱してしまい、建築だけの普遍的なあるいは自律的な価値を探求し過ぎることによって、近代・現代建築の理論は、建築デザインの中核を成す「人」や「場所性」を置き去りにしてきたのではないかと不安に思っています。
ですから、わたしは街の中で建築物は「人」や「場所」に対してどんな役割を持っているか常に考えデザインすることにしています。人が建物の中にあって美しいと感じるデザインが重要です。どんな人が暮らしていて、どんな子どもが生まれて、どんな生活をするんだろうと思うことが、ご指摘された「優しい」建物に繋がっていると思います。
-ちょっと横道にそれますが、小林秀雄は「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」といいました。これは言葉が独り歩きし、いろいろ解釈があるのでしょうが、わたしは「花が美しいのではない、花を美しく感じる心が肝心」と解釈しているのですが、いかがでしょうか。先ほど先生が仰った人が肝心、次代に継承する自然を大事にしないといけないということに繋がるような気がするのですが…。(「花」は世阿弥の世界観を小林秀雄が論じたもの)
光井 私もそう思います。人間も、数十億年の自然との関係の中で進化してきました。その進化の過程で生物としての形や仕組みも変化してきました。しかしながら常に自然の中で育まれ、生物としての感性は遺伝子の中に組み込まれて綿々とつながっています。花や山、森を我々が見たときには、その背後にある自然の均衡を、直感的に美しいと感じている。
だから花の美しさを感じる心は、実はわれわれの体の中にある自然そのものだということです。(なるほど。光井氏のデザインを「美しい」「優しい」と感じるのは、光井氏が人を中心に据え、いつも自然や街との関連性を重視するヒューマンスケールを追求しているからだと得心した)
-先生はこの前(1月10日)も「近景・中景・遠景」から建物がどう見えるかが大事だと仰いました。わたしは先生の作品は遠景からでもすぐ分かります。その象徴的なマンションが「青山パークタワー」(2003年)だと思っています。あの建物は「青山」だからすっきりと街に馴染んでいるのではないかと。(三井不動産のプレスリリースには「ランドスケープデザインは『青山に森を創る』をテーマに、敷地の2/3以上の約5,000㎡を緑地とし、その中に高さ19m・樹齢200余年のケヤキをシンボルツリーとして、また10,000本の樹木・草花を植樹しました」とある)
光井 そうですね。アメリカの街のシルエット、例えばマンハッタンを見ると、ロックフェラーセンターとかエンパイヤステートビルが核となって大きな山形のシルエットを作っています。マンハッタンという都市全体が、人々の活動や暮らしを包み込みながら、息づく山のような風景を、何百年にもわたる街づくりの試行錯誤の中でつくりあげている。
青山で言えば、渋谷は谷にあり、「青山パークタワー」は丘の上に建っています。丘の上に建つ建物は、周りの建物・風景の中心として象徴となる。建築家は、遠景から風景の中での建物の役割を見つけて、その役割にふさわしいデザインに到達しなくてはなりません。(そんなマンションはどれだけあるか。100のうち10あるかどうかではないか)
-先生のこれまでのマンションで、衝撃を受けたのは「パークコート恵比寿ヒルトップレジデンス」(2000年)でした。「芝浦アイランド」(2007年)にも驚きましたが、もっとも好きなのは「パークシティ大崎」(2015年)です。あの工場街のイメージを一新された。
光井 大崎地区のデザインでは、古典建築が持っている構成要素の基本をベースにしながら、ヒューマンスケール、リズム、分節、コーナー、スカイライン、陰影、ディテールなどの手法に基づいて丁寧に一つひとつデザインを進めました。
-先生、話の腰を折って申し訳ありません。いま、陰翳観を話されました。あのとき(1月10日)、実は午前中に東急不動産さんの「千代田富士見」の記者発表会がありまして、デザイン監修を担当されている隈研吾さんが谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を持ち出して、デザインに陰翳を盛り込んだという趣旨の話をされました。わたしなどは「陰翳礼讃」はやたらとトイレ・厠の話が出てくるので〝なんだ、これは〟と思ってしまうのですが、建築家にとって「陰翳礼讃」はバイブルなのですか。
光井 陰翳は建物の表情をつくる上でとても大事です。建築物は太陽の位置や、大気の状態によって刻々と表情を変えるので、陰翳を考えながらデザインをすることはとても有効です。一方で壁面に張り出しなどをつくると、陰影を生み出すだけでなく、雨が降ったときには水が切れて汚れないという効果があります。庇をうまく作ることで影が生まれる。日陰や木漏れ日があったりすると人間はほっとします。機能的にも省エネに貢献します。
-大変失礼な質問です。これまでデザインされた建物の中で、これはまずかったなどというものはないのでしょうか。
光井 どの花が美しいかと同じ論理で、花はがけ地、水辺、森の中とか、それぞれの場所の制約の中で一生懸命咲いています。それぞれが美しく、どれが一番だと比べることはできません。建物も同様に、敷地の特性、気候、場所の文化や歴史などをしっかりと研究しながら建築家が様々な思考を巡らせ時間をかけて取り組んだら、それぞれの場所でその場所でしか咲かない美しい花になれるのだと思います。(これまた含蓄のある言葉だ。デベロッパーや建築家は考えないといけない)
-住宅都市についてです。わたしはこの前の先生のお話を聞きながら、デザインコードに沿った街づくりとして「幕張ベイタウン パティオス」とUR都市機構が整備した「ベリコリーヌ南大沢」などと比べました。いずれも素晴らしいと思っているのですが、「HARUMI」はちょっと違う、これまでにないものになるのではないかと想像しました。
光井 当初、「HARUMI」のタワー棟は、西の運河に寄って計画されていました。これに対して、私はこの広大な敷地を選手村として一体的に開発・利用するというチャンスは今後ないだろうから、レガシーとして残るようにできないかを考え、タワー棟を街の中心軸に据え、シンメトリーを提案して実現しました。
仮に一般的な都市開発として都があの土地を売却したとすれば、分割され、ばらばらに開発されていたかもしれません。選手村として使われるという運命が「HARUMI FLAG」を実現させた。このような街は今後出てくる可能性は極めて少ないと思います。
-「HARUMI」で注目しているのは、駐車場、電柱が地下化され、先生も強調された「地上は緑で覆われている」という点です。いまそのような街はあるか考えたのですが、「広尾ガーデンヒルズ」は緑に覆われてはいるが、駐車場、電柱は地上です。先生の作品で緑が多いのは「パークシティ浜田山」(2010年)ではないかと思いますが、いかがでしょうか。(質問した時点で「浜田山」が地下駐車場、電柱地下化されていることを失念していた)
光井 「浜田山」は力を尽くしたマンションで、駐車場、電柱は地下化され、地上は緑で覆われています。理想的な街づくりができたと思っています。あのような開発のプロトタイプとして挙げられる例は、バンクーバー、サンフランシスコ、ポートランドなどの街でしょうか。
世界の優れた街の開発では、基本的には駐車場などは地下に潜らせて、地上は人の空間にするということが当たり前になっているのです。「HARUMI」も駐車場と電柱を地下化したのは都やデベロッパーの素晴らしい決断でした。諸外国のどこの街にも負けないものをつくろうとしたということです。そういった点からも「HARUMI」も「浜田山」と同じように素晴らしい街になるでしょう。
-最後の質問です。今後、どのような仕事、街づくりをしたいかについてです。
光井 子どもたちの故郷になって、親から子へバトンタッチできるような街、ずっと住み続けたくなるマンションを作りたいですね。
-先生、いまそんなマンションはありません。(もともとが狭いし)世帯分離によって子どもはどんどん去っていく。
光井 これからは変わると思います。「浜田山」「HARUMI」もそうですが、〝他にはない〟〝ずっと住み続けたい〟と思える未来の世代のために良質な住環境を残していきたい。その場所にしかない、美しい花を咲かせたい。
(光井氏はインタビューの冒頭、「わたしはいま故郷・岩国にいます。前日は東京の本社、その前は広島です。どうしたら地方の街おこし、再生によって元気な街を作れるか、毎日のように考えています」と語った…「毎日考える」ぐさりと胸を衝かれた。先生ですら毎日考える、われわれは怠惰な毎日を過ごしていいのか…)
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以上、約1時間のインタビューの要約だ。本当は全文を紹介したかったのだが、余裕がない。光井氏は同社のホームページで次のように述べている。こちらも参照していただきたい。
建築を「モノ」としてではなく、文化の一部、そして、優れた街並みの一部となって街と共に成長する、あたかも生き物のように捉えてデザインすることである。この考え方を受け継いで、敷地をとりまく自然環境、街並み、文化、歴史、そして建物に関わる人々、その他多くの設計条件に対して、的確なレスポンス[応答]を行いながら設計を進めていくことを大切にしている。
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「『パークシティ浜田山』と同じような素敵な街になる」と光井氏が話した「浜田山」は2007年11月8日付の記事で次のように書いた。
「建物外観は光井純氏が総合監修を担当。屋上緑化、地下駐車場、免震構法の採用のほか、スラブ厚280~300ミリ、リビング天井高2600ミリ、床、建具・面材は全て天然石、タイル、突き板仕様で、トータルとしてのグレードが極めて高いのが特徴だ。
高級マンションとしては、広尾ガーデンヒルズが連想されるし、同社の億ションなら『麻布霞町パークマンション』があるが、記者は、立地・コンセプトの違いはあるにせよ、ほぼ同等の価値があると思う。ランドスケープデザインが特に優れている。同社の記念碑的なマンションになるのは間違いない」
本当にそうなのか。いまどうなっているか確認しようと、インタビューの翌日1月20日に現地を見学した。
「浜田山」の全体敷地は約25,000坪。従前は三井グループの運動場として利用されていた。記者はRBA野球大会の取材で何度か訪れている。
1998年だった。勝てば東京ドームという三井不動産V.S.三井不動産販売(現三井不動産リアルティ)の準決勝戦が行われた。三井不リードの最終回、一打逆転の場面で三井不・志村亮投手が三井不販の主砲・江川尚志氏を三振に斬って取った場面が忘れられない。江夏の9球ではなく7球くらいだったと思うが、江川氏ファウルを打つなど粘ったが、最後は空振り三振。「志村さんは本気で投げてきた。最後は球が消えた」と話した。勝った三井不は優勝した。
当時も運動場は緑に覆われていたが、この日見た「浜田山」は成長途上だった。既存樹の巨木はたくさん残されていた。低・中層住宅地であり、街路樹や敷地内の樹木は冬季の日照を確保する目的もあるのだろう。常緑樹は少なく、高木はケヤキ、サクラ、コブシなどの落葉樹が主体だったが、春から秋にかけては緑にあふれ、四季折々の花が咲き、紅葉を楽しませてくれることはすぐわかった。
「HARUMI」が完成すれば素晴らしい街になるだろう。「浜田山」で美しい花が咲いたように、「HARUMI FLAG」にもその場所でしか咲かない美しい花が咲くことを期待している。
「HARUMI FLAG」最終章のタワー棟分譲へ 光井純氏「街」について語る(2023/1/12)
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